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小学生の心の病、万引きや目立ちたがり
私事なのですが、小学生3~4年生の時、放課後の小学校に侵入して 欲しいわけでもないのに教室に入り机の中をあさって文房具を盗んだり 近所のスーパーでお菓子やジュースを万引きしたり、 学校では女性の先生やクラスの女の子の胸やおしりを触ったり、 発見されやすいように学校の壁に自分の悪口を書いたり、 動物虐待したり等、他にも沢山問題がある事をしていました。 その2年間を見てくださった担任の先生にはとても迷惑を掛けたと思います。 今、考えるとその頃の私は正常な子供ではなかったと思います。 私の育った環境はどちらかと言えば裕福な方で欲しい物は直に買って貰えました。 今、私は20代後半ですが、自分の性格や両親へ対する気持ち、 人生の大切な選択筋が歪んでいるように感じてアダルトチルドレン ではないか?と調べている内に小さい頃のおぞましい行為を 思い出して自分をもっと知りたいと思いました。 私が育った環境で良くないと思う事は、 ・母親が怒ったときに暴力を振るう ・両親がブランド志向で友達や恋人を制限した ・小さい頃、7歳年上の兄に暴力を受けた ・兄が家庭内で暴力を振るっていた 私が知りたい事は、愛情溢れる正常な家庭で育った子供は万引きをしたり 動物虐待をしないのでしょうか? 私の育った環境は変わっているのですか? 足りない部分は補足として後で説明しますので皆様の意見を聞けたら幸いです。
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- potechi777
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あなたはきっと、「手のかかるお兄さん」以上に「手のかかる心配な子供」になりたかったのだと思います。 そうして両親の関心を独り占めしたかったのかもしれません。 普通の兄弟でも、親を独り占めしたいという気持ちがあります。 あなたの場合は、より一層「のけものにされてる感」が強かったのかもしれません。 動物を虐待したのは 「弱くて何もできない自分」を子猫に映し出していたのかもしれません。 つまり、自分で自分を傷つけていたのだと思います。 (フロイトでいう倒錯っていうのかな?) だから、雨にぬれた子犬(親に見捨てられた自分を当てはめる)を見れば、 反対にほうっておけなかったのでしょう。 親というのは、子供に対して「私の気持ちは分かっているはずだ」とか 「多少八つ当たりとかしてしまっても、関係が崩れるなんて事は無い」という 変な甘えというか、確信があります。 あなたの親もそうだったのだと思います。 私自身、幼稚園教諭をしていた頃は、 感情に左右されず「今この子には、どんな接し方が適切か」を考えて 上手に保育していましたが、 自分のことなると、何故かつまらないことで長々と本気で叱ってしまうこともあります。 そうなると、止めようと思っても止まらなくなってしまうのです。 私はもしかすると「子供からの愛情」を確かめたくてしているのか、 もしくはそんな自分自身傷つけて怒っているのかもしれませんが・・・。 自分の心は自分が傷つかないために、時々自分に対して嘘をつくということです。 自分が分からなくなったときにフロイト心理学を読んでみると、 いろいろ分かって面白かったです。 ちなみに私は子供を妊娠してから、時々おねしょをしてました。 どうやら子供を持つ責任に対する不安から、自分自身が子供に戻りたかったようです。 不安を取り除いたときに、おねしょはなおりました(汗
- katyan
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私も色々やった記憶があります。 そうしながら子供は学ぶのではないでしょうか?
- mickey_goo
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補足をありがとうございました。 親の子に対する愛情というものは、必ずしも自動的に抱けるものではありません。 親自身が愛情を受けたことがなければ、自分が親になってから、子供をどう愛していいのか分からないことがあります。また、親が子に対して、愛情を抱いていても、それが子供に伝わる形で、表現されていなければ、愛していないも同然です。愛情は空気のようなものではありません。例えて言うなら、あたたかい温度を持ったり、ピンクの色のついた空気で、肌で感じることができます。例えば、職場の同僚でお互いに愛している男女がいたとしましょう。どちらも、愛している素振りや言葉を全く表現しなければ、お互いの好意というのは、永遠に伝わらないままで、この二人は一生、同僚以上の関係になることはないでしょう。家族というのは、特殊で、たまたま家族という強い枠の中に納まっているので、密接な関係ではありますが、愛情の点では表現しなければ、前述の同僚のように、お互いに何も伝わっていないかもしれません。小さい頃を思い返してみてください。親に甘えたい時には、いつでも抱きついたり、手をつないだり、言いたいことを聞いてもらったりできる関係でしたか?愛情の表現は、これだけではありませんが、愛されていれば、言葉なり行動なりで、愛情を感じる根拠があるはずです。もしかしたら、質問者さんの親御さんは、物を与えることが愛情の表現だと勘違いしておられたのかもしれませんね。また、「自分が必要とされている」というのも愛情が伴わないこともあります。老後の面倒を見てもらうために必要であるとか、「必要」なケースはいくつかあると思いますが、本当に、「自分」でないとダメなのか?条件を十分満たす代わりの人でも、必要は満たせるかもしれません。「必要」に愛情が伴っている場合は、「自分」がその人にとって、かけがえのない存在であり、「自分」でなければ、絶対にダメだということです。 ちょっとキツイ表現だったかもしれません。こうしたことを書くのは、質問者さんに、今の自分について正確に把握して欲しいからです。正確に把握すれば、対処の方法が分かるでしょう。心療内科などで、カウンセリングを受けることもできます。これからでも、自分が築く家族を愛することはできるようになります。仮に、質問者さんの親御さんがあなたに愛情を持っていなかったとしても、方法が分からないなりにも、これまで大切に育ててくれた事実は変わりありません。親御さんを責めないでください。責めても状況は変わりません。問題は、これから、どのように良い方向に自分を変えていくかです。
最近は子供のうつ病が増えていると新聞の特集で読みました。が、子供が抱える心の病気・問題は今に始まったことではないと思います。 なので、あなたが何かしら問題を抱えてたことも否定できないと思います。万引きなどは本当に極貧だったというならともかく、必要もない万引きを繰り返すと言うことは裏に必ず本当のメッセージが隠れてると思ってます。 裕福でも親の目が自分に向いてないと感じたら、万引きや問題行動などで親の気を引こうとする子供もいますよね。確かにアダルトチルドレンでもそういうタイプはいますし。(ちなみに私はいわゆるヒーロータイプというか、優等生タイプのADだと思ってます) 普通の家庭と言うのがどんなものなのか、そして本当に存在するのかというのがまず疑問なので、そうなるとどこの子供も問題・心の病を抱えてるのでは?ということもいえなくはないと思いますが、少なくともある程度のラインの愛情を与えられた実感がある子供であれば万引き・動物虐待はないと思います。 しかし他の問題行為として出てくる可能性もあります。 私は万引きは貧乏な家の子がするものだと思っていたのでプライドが許さなかった点、動物は今でも凄く好きなので動物虐待はありえません。 しかし、中学の時残虐な絵を描いて悦に入っていたら、美術教師が困った様子を見せていました。自分を傷つけることはしませんでしたが、それを想像の世界でやってたのでしょう。リスカなどはないですが、自分で自分を叩いたりと言うのは茶飯事でしたから。ようやく最近になって自分を大事にしようと思い始めたところです。 私もADであることを自覚してから過去のことを色々と思い出して、心の中で整理が付かず、かえって今の症状を悪化させたような時期もありました。が、乗り越えてしまうと、今までの自分とは違う自分が開けたような気もします。 過去の自分と向き合うことはかなり辛い作業になると思いますが、それでも解決したい何かがおありでしたら向き合ってみるのもいいかと思います。 色んなAD関連のサイトに足を運んだりするだけでも色々分かってくると思いますよ。問題行動が他の行為として現れることもあれば、愛情が多すぎても溢れてしまって溺れる事もありますし。 とりあえず「自分ちって何かよそと違う部分が多かったのでは?」と気がついたのは大人になってからでした。そういう部分は皆共通してるかも?(その環境が当たり前と思って、適応するために問題行動を取っていたという点で)
- mickey_goo
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質問者さんは、子供の頃、両親の愛情を感じていましたか?親から愛されていると確信していましたか? こういう形で、自分に接して欲しかったというイメージが浮かびますか? 子供の問題行動の多くは、親子関係にあります。愛情が不足している子や、暴力を受けた子、また叱られたことがない子も非行に走ることがあります。
10代後半男性です。 愛情溢れる、というわけではなかったです。小さいころ100円程度の万引きは2回したことがあります。 自分で言うのも変ですが、まわりと比べて僕はとても優しい人ですよ。思いやりもありますよ。動物虐待なんて論外です。考えたこともありません。 あなたの育った環境は変わっているというか、僕からみたらある意味地獄に近いかな。些細なことですが家庭が不安定なのは子供にとっては致命傷ですね。 心の拠所があれば精神は安定しますよ。どの年代であっても。今からでも作れますよ。
補足
回答有難うございます。 >僕からみたらある意味地獄に近いかな。 質問の内容だけでこう書かれていますが何故そう思われたのですか? 今、いろいろ思い出してみて、そうだったかもしれないとも思いますが 質問の内容だけでそう思われたのが不思議でなりません。 兄は、身体的に少し障害を持って生まれました。 その事で兄本人も自分の体に対して絶望を感じ怒りを爆発させていたのだと思います。 両親は、そのことで自分達を責め、兄を甘やかして育てました。 変な言い方で申し訳ないですが私に対しても金銭的には甘やかしてくれました。 動物虐待の内容は2階から子猫を落としたりです。酷い話ですみません。 心境的には殺したいのではなく誰にも言いつけない動物相手に 死なない程度に憂さ晴らしをしたかったように思います。 その反面、雨に濡れた子犬を自分の服や体温でかわかしたり、 保健所で殺されている沢山の野良犬たちが助かるなら 私は死んであげるのに・・・ と本気で思っていました。 小4の時、私の愛犬(元野良犬)は子犬を産んだせいで 子犬オス1匹残して他の子犬共々保健所に連れていかれ殺されました。 でも、家で沢山犬を飼えないので他の解決方はなかったです。 両親が喧嘩しているのは1回しか見た事ありません。仲が良い方だと思います。
お礼
回答 有難うございます。 子供というのは親に愛されていても当たり前すぎて空気のように 感じるものだと思います。 だから、私は親の愛情は感じなかったけど、私は親にとても必要とされ 愛されていた(成人してからも)と思っていました。 でも、違うのかもしれません。 小3か小4の時、先生との交換日記で泣きながら何かを書いたけど 翌朝、学校に行く前に読み返して破って捨てた事を今、思い出しました。 あいにく内容は覚えていませんが助けを求めていたのには変わりないようです。 もう一つ思い出したのが、そんな問題児でしたのでクラス替えで 小5になってすぐは友達がなかなか出来ませんでした。 学校の催しで保護者も集まって学校の大掃除があったのですが 友達がいなかったので母親と一緒にいましたが、母親は私が 邪魔だったらしく「友達の所にいきなさい」と私を叱りました。 その時初めて、「私に友達がいないのが親の恥」だと知りました。 その日、その後どうしたかは覚えていません。 私の母親は私より自分が大事だった。。。。