- ベストアンサー
太平洋戦争時の配給制度について
戦時中は配給制だったと聞きますが、実際どのような制度だったのでしょうか。また、疎開をすると配給を受けられなかったようですが、どうしてなのでしょうか。 戦時中の経済の歴史に詳しい方、ぜひお知らせください。
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
私の認識では、 配給制となったのは、生活必需品などの品目に限られていたようで、その他の品はお金で売り買いされていたようです。 配給切符はお金で買うものではなく、一人あたり何点と決められて配布されたものです。米,味噌,醤油,塩などの統制品は、国が生産者から安い金額で買取り、それを消費者である国民に均等に配布するという一種の社会主義のような経済(統制経済)でした。お金をいくら持っていても統制品は買えませんので、お金でこっそり統制品を取引する闇市が発達しました。 答えになってますでしょうか?(答えになってなかったらまた補足してください。)
その他の回答 (1)
- JIMI
- ベストアンサー率58% (125/215)
興味があったので調べてみました。 配給制度は1940年に米,味噌,醤油,塩,砂糖,マッチなどの10品目の配給制度から始まり翌年4月から東京大阪などの6大都市で米の配給制度(大人一日二合三勺)がはじまったようです。 多分、疎開をすると配給を受けられなかったというのは、6大都市以外の区域に疎開した人たちは米の配給が受けられなかったということではないでしょうか。 参考URLに当時の生活についての詳しい記述がありました。
- 参考URL:
- http://www.keihin.kt.moc.go.jp/LIBRARY/TAMAGAWA/parts/text/064621.htm,http://www.kita-es.kiu.ne.jp/6
お礼
お答えくださいましてありがとうございます。 映画とかドラマを見ていて何となくわかっていたつもりでしたが、リンク先を見て、とても参考になりました。 ありがとうございました。
補足
もう少し聞きたいのですが、配給は、配給切符と品物を交換していたのでしょうか。もしそうならば、お金と配給切符はいつ変えていたのでしょうか。どうやって配給切符を手に入れていたのでしょうか。 申し訳ないですが、もう少し教えてください。
お礼
さらにお答えくださって、ありがとうございます。 「お金で買うのではない」というところで、何となくつかえていたものが取れたような気持ちになりました。