法的な観点から見れば
ヤルタ協定は秘密協定でありますから
これは日本に対して法的拘束力を有するものでは
ありません。
あくまでもソ連、アメリカ、イギリスの3国の
約束にすぎません。(これは通説です)
ポツダム宣言は日本の領土を本州、北海道、四国、九州と
周辺の島々とすることを取極めたもので
日本はこれを受諾しているのでこれは日本に対して法的拘束力を有します。
ただし、このときは千島列島に対する処遇は決まっておらず、
ソ連は不法に千島列島を占拠したことになります。
当時の連合国の不拡大路線にも反することになります。
日本の領土が確定したのは
サンフランシスコ講和条約です。
日本はこの条約で南樺太及び千島列島の全ての
権利、権原、請求権を放棄することが定められました。
つまり、日本は千島列島に対する支配権を完全に
失うことになったのです。
ただし、この条約にソ連は参加していないため
ソ連に対しては千島を放棄はしていないと言う意見があります。
しかし、それは領土に対してダブルスタンダードを生むことになり、
調印国にだけ放棄したというのはあいまいすぎます。
アメリカは調印国であることから
日本は千島列島を所有していないということになりますので
当然安全保障条約の対象にはなりえません。
ここで問題なのはこの条約での千島列島の定義です。
吉田茂全権大使(首相)は、「歯舞、色丹、択捉、国後は
日本固有の領土であり、千島列島に組み入れるものではない」
と発言しております。
しかし、条約には千島列島の定義に関する留保はされておらず、事実上4島は千島列島とみなされています。
その後鳩山一郎首相(鳩山由紀夫、邦夫の祖父)が
日ソ共同宣言を調印しました。
その中には平和条約を調印した際には
歯舞、色丹を返還するという一文があります。
これにより、将来の歯舞、色丹の日本返還が決定したのです。
ソ連崩壊後、継承国のロシア連邦もこれを認めており
確実に日本の返還されます。
ここまでは普通に言われていることです。
さて、ここからは私が調べて、注目したのは
江戸幕府が結んだ日魯通好条約(この魯は当時のロシアを表す漢字)
での領土に関する取極めです。
この際江戸幕府は「ウルップ島以北の千島列島をロシア領に、もう一方の千島列島を日本領にする。」と取極めております。これは正文であるフランス語を直訳するとこうなります。
今日の条約の訳文は政府が訳したもので正文とは大きくことなることがわかりました。
つまり、当時から国後、択捉に関しては千島列島であると
いう認識はあったようです。
つまり、日本固有の領土ではありますが
千島列島の定義を定めた条約が存在することから
国後、択捉は千島列島であり、日本はサンフランシスコ講和条約から
権利、権原、請求権を放棄しているために
日本は領有権の主張をすることができないということに
なります。
ですから仮に国際司法裁判所に持っていっても
勝てる可能性というのはかなり薄いのではないかと
思います。
それと、これはあくまでも法的な問題とは離れるのですが
確かに日本の旧島民のみなさんは故郷を追い出されるという悲劇を
経験しております。
では、現在はどうかというと
ソ連時代に入植した人々が子供を産み、その子供だちが
孫を産み、孫が曾孫を生むというところまで来ました。
つまり、彼らにとっての故郷は国後であり、色丹なのです。
仮に4島が返還されれば彼らを追い出さねばなりません。
旧島民の悲劇が再び繰り返される可能性もあるのです。
おそらく所有権の登記簿は残っているでしょうから
領土返還と同時に土地を旧所有者に返還することになるでしょう。
そうなると今住んでいる人たちは住む場、働く場を失うことにもなります。
これらの対策も考えていかねばなりません。
ただ、返せというのではなく、今住んでいる人たちの
現状も踏まえた議論というが必要なのだと思います。
お礼
御回答ありがとうございます。 とても興味深く拝見しました。 必ずしも日本の主張が国際的に通るものではないのですね…