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重荷を背負う
自分で重荷を背負いこんでおいて、いっぱいいっぱいになって他人にあたる人がたまにいて迷惑です、他人にあたるならはじめから背負うなと言いたい。 例えば、責任のある立場に立つ人、そういう立場に立つことを決めたのは他ならぬ彼自身なのに、それでそれなりのものだって得ているくせに、「やりたくてやっているわけじゃない」だの「やってあげている」だの「大変だ」だの、そんなことを言うならはじめからやるなと思う、誰のためにってまず自分のためにやっていることだろそれを自覚しろよって思う。 自分のためにやっていることなのに、他人にあたるのって何なのでしょう?
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多分本当にやりたくてやってるんじゃないと思います。 勝手にそうなって自分でもやりたくなかったんだと思います 重荷に対するストレスは拡散が出来ないと私は考えます。 だから誰かに擦り付けるしか無いんだと思う。 その人も自覚してると思うんです。 私の場合は「虐め」という問題が出てくるんで話の筋が離れてくるかとは思いますが少しお付合いをしてください 私は虐められています。そのストレスを当てる捌け口は母しかいませんでした。後飼ってる犬も虐めました。動物虐待ですね。 棒で叩いたり、グーで殴ったり、本当に酷い事をしました、私は父に同じ事をされてました、 私は学校でストレスを溜め、父は会社の責任と家族関係にストレスを溜める。母は私の虐めや私の虐待にストレスを溜める 私は虐められて3年経つと色々と性格も変わり、今までした事に後悔しています、犬や母になんてことをしたのだろう!と 私は人に当たるのはやめよう。とその日から殴った事はありません、犬には一切行ってなかった散歩をします。許して欲しいんですね 母はストレスで髪が抜け落ち(私も抜けましたが)見ると本当に泣きたくなってきます。やっぱりそれでも許しては貰えないんでしょう 私が父の顔を見るとおびえる様に。 あまり関係ありませね。 私は誰かに当たった瞬間、悲しくなります。「あぁ、なんて事したのだろう」と、 私ばっかりな人では無いと思いますけど、その人も後悔すると思います。そう願います これからもそう言う人がきっと居るでしょう。そう言うときは見守って上げて見ませんか? 良く言われる言葉では「壁」直面してるんだと思います。人生2回目とかはないんですから 困惑するのは当たりまえだと思います、色んな物を何かのために背負い過ぎて、その重量に 気づいて「どうしよう」と直面してるんだと思います。 でも逃げれる状況にあれば逃げてください、あなたが「その人の重荷を見守る」と言う重荷が 出来て、あなたも誰かに当たると言う事が考えられます。母みたいになります、 だから本当に「逃げる」って選択肢もあると思います と、まぁ広告のチラシにこう落書きがあったと思ってください。 私もそんなに生きてないから偉そうな事あまりいえないから。
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- oinieaga
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自分が受けたストレスによって、将来、自分がどうなってしまうかわからないんです。 先々を予測していなく、行き当たりばったりで生きているのです。 または、予想をしていても、食い違った時の対処方法や心構えがないのです。 そういう人は、ストレスが溜まっています。 しかも、我を忘れています。可愛そうです。 自分を見つめることの大切さを自覚しないと、一生なおらないと思います。 私も同じようなものであるので、その人の気持は良くわかります。 責任を果たそうと、間違った努力(我慢してしまい) 、我を忘れて、爆発する。 努力する時点では、爆発するほど、ストレスが溜まるなんて想定していませんでした。 爆発するまえに、一歩立ち止まって、考えることが出来るはずですなのに・・・
お礼
ありがとうございます。 何のために重荷を背負うかと言えば、根源的には自分のためだと思うのですよ、そこを自覚していれば他人にあたるということが筋違いであることが理解できると思います、それでも人間だからあたってしまうこともありますけどね、筋違いであることを理解できていればあとでフォローのしようもあります。 自分を見つめることは大切ですね。
お礼
ありがとうございます。 未成年ならある程度は仕方がないと思います、彼らは逃げるのはあまり容易ではないから、けど絶対に逃げられないというわけではないと思いますけどね。虐めの場合、極端な話、虐める相手か虐められる自分を消すということはやろうと思えばできると思います、それも1つの逃げる方法です。それをしないで、他人にあたるという方を選択する、それはある程度仕方のないことだと思います。 僕はとっととけつをまくって逃げる方です、最終手段として自分を消すという逃げ方もありますが、そこまでしたくないから逃げない選択をすることもあります、そういうときには自分で選択したことなので他人にあたるようなことはするまいと思います、それでも他人にあたってしまうこともあるでしょう、人間ですし、「色んな物を何かのために背負い過ぎて」と言いますが根源的には「色んな物を自分のために背負い過ぎて」です、「自分のために」ではなく「何かのために」と思ってたら他人にあたりたくなるのも必然かと思います、自覚が必要なのは「自分のために自分で選択してやりたくてやっているということ」だと思います。