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チョコレート(ネタバレ)の魅力
「チョコレート」を見ました。ハルベリーの演技はおいて置いて、、、すべてが中途半端に感じました。各キャラクターに厚みがなくなぜあのタイトル(原題も)なのかも読み取れませんでした。特にラストのくだりは何が言いたいのか全然わかりませんでした。 誤解しないで頂きたいのですが私の「好み」と合わなかったことにとまどっているのではありません。問題はこの作品のねらいがどこにあったのか、どこで感動させたかったのかが全くわからなかったことが悔しいです。こんなことは「クライングゲーム」以来です。どなたかこの映画の魅力を教えてください。
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私は「チョコレート」も「クライング・ゲーム」も 大好きです(特に「クライング・ゲーム」は大好き)。 チョコレートを見たのは2年半ぐらい前のことなので 当時の印象が大分薄れています。 とりあえず過去の自分の回答を確認していたら こんな印象を残していました。 http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=350853 >すべてが中途半端に感じました 以下に原因を推測してみます(あくまで推測です)。 ◆この作品のねらいがどこにあったのか ◆どこで感動させたかったのか この2つの質問の主語は誰でしょう? つまり「狙い」とは「誰」にとっての狙いか? そして「感動させたい」のは「誰」か? それは、恐らく「物語の語り手」です。 語り手にとっての「狙い」であり 語り手が「感動させたかった」のです。 語り手、というのは概ね脚本を中心とした「作り手」のコトです。 私が思うに「チョコレート」も「クライング・ゲーム」も 作り手の狙いを伝える「駒」として登場人物たちが配されたような 「作り手主導」型の映画ではなく むしろ作り手は、登場人物たちを特殊な状況に投げ込み そのあと彼らがどういう行動をとるか? そこにどのような感情の流れが生まれるのか? その行き着くところはどこにあるのか? まさに登場人物に全てを委ねるかのように 淡々とスケッチしていくような「キャラクター主導」型の映画です。 かつてのヨーロッパの映画には多かったスタイルですし 小説でいえば村上春樹の作品なんかが このタイプの代表だと思います。 >この作品のねらいがどこにあったのか >どこで感動させたかったのか といったことが分かり易い映画というのは 語り手が作品全体をコントロールしている、悪く言えば 語り手の「都合」が支配する作品です。 しかし、現実はこのように「都合通り」に「予定調和」には 物事が進みません。 他人をコントロールすることは出来ません。 つまり、この種の作品の「分かりにくさ」というのは ある意味「リアリズム」なんです。 >ラストのくだりは何が言いたいのか こういうのを「オープン・エンディング」というんですよね。 作り手の「解釈」を受け手に押し付けるのではなく 自由に解釈してもらうことを意図した映画。 つまり、私はこの映画を キャラクター主導の映画として非常に徹底した作品として見て よくぞハリウッドの中でこのスタイルを貫き それなりの評価を獲得したものだ!と 感心した記憶が蘇ってきました。 最後に。 最近似た主旨の回答をした記憶がある。 多分、コレです。 http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1152163
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- nonat
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私も、この映画のよさがわからない一人です。 参考URLの映画紹介でも賛否両論が山のようにあります。 ご覧になると、新しい発見があるかもしれません。
お礼
こんはんは。 >私も、この映画のよさがわからない一人です。 同意見の方がいらっしゃって嬉しいです。 参考URL特に肯定的な意見を拝見いたしました。 そういうことか!と納得しました。 おかげでスッキリ致しました。 まぁスッキリしたところで私の評価は変わりませんが、、、。 ご回答本当にありがとうございました。
残念ですが、魅力は教えられません。 私も、いい作品とは思えないからです。 あのえんえんと続くベッドシーンだって、迫力はあったけど決して美しくないし、辟易しました。あんなもので、体当たりの演技なんて持ち上げないでほしいです。シンプル・プランで惚れ込んだB・B・ソーントンですが、むちゃ裏切られました。 お互いに息子(息子も愚かなのと、知的障害者らしいのと)を失ったわけだけど、そのことについてちゃんと向き合ってるとも思えないし、男は独善的だし女は無茶苦茶。性格わる~~。幸せになる資格はないと思った。 納得できたのは、人種差別をあからさまに表明する正直な老人だけかな。 ほんとにいい映画をちゃんと評価してほしいと思います。
お礼
こんばんは。残念ですが(笑)全く仰る通りです。 >あのえんえんと続くベッドシーン ほんと無駄に長い(汗)。あれでハルベリーがアカデミー賞獲れるならシャロンストーンにもあげてくれ!と思います。 あの受賞で米映画界の「黒人」や「女優」の地位が向上していないことがかえって浮き彫りになったような気がします。 内容についても登場人物のキャラが薄く誰に感情移入してよいのかわからないままラストを迎えてしまいました。ホントにいい映画なんでしょうかね?求めている回答とはちがいましたが私と同意見の方がおいでになる事がわかり嬉しいです。ご回答ありがとうございました。
お礼
こんばんは。 評価されている方の回答大変勉強になります。以前の感想も拝見させて頂きました。「キャラクター主導映画」「オープン・エンディング」とは北野作品とかキューブリック作品なども入ると認識しておるのですが、間違いでなければその手の作品嫌いではありません。「なんだかよくわからなかったけどよかった」みたいな(笑)。 ただ恥ずかしながらあの映画がその類の映画だとわかる前に終わってしまったのが残念です。そして#3様のご回答を拝見していてようやくあの作品が好きになれない理由がわかりました。「キャラクター主導型」のわりにハルもビリーボブも相当な偶然が重ならなければあのようなシチュエーションにはなりえない。そこだけ妙にご都合主義で予定調和的=ハリウッド的。その設定が私には受け入れられなかったみたいです。 ですからエンディングをオープンにしても速い段階でキャラクター自体に興味を失っているのでそれに気付けないしもし気付いたとしても多分判断する材料もなかったでしょうね。伊達にアカデミー賞の「主要部門」に絡んでいるだけに(特にクライングゲームは脚本賞)観る前からこちらが勝手にハリウッド然とした物を想定してしまった為、私の思考がついていかなかったんだと思います。あの作品がアカデミー賞など受賞せずに人知れずテレビ東京の深夜あたりにやっていれば印象も変わったんだと思います。 まだまだ修行が足らないようです。大変興味深い回答でした。最近回答されているURLをせっかくご紹介していただいたのですが、「ハウル~」は未見なので観てからゆっくり拝見させて頂きます。どうもありがとうございました。