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2つの別々のお守り
クリックありがとうございます。 私は今、受験生の中3で今日、東京都にある学問の神様で有名な湯島天神に行ってお守り(受験の)を購入したんです。 実は去年の5月ごろに京都にある北野天満宮でも受験のお守りを購入していて、学校のバックにつけているんです。 そこで、2つのお守りを同じ所に結ぼうかな?と思ったんですが、以前母に「ちがう所の神社のお守りを隣あわせにすると神様が喧嘩しちゃうんだよ。」と言われたことがあるのです。 別々のお守りを隣あわせにつけるのはやはり良くないことなんでしょうか? 困っています。 もしよろしければ、アドバイスをください。
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- md-81
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湯島天神も 北野天満宮も ついでに 大宰府天満宮も 天神様(菅原道真)を祭っています。 違う場所にある神社でも おなじ神様なんだから、 ふたつお守りを持っていたら きっと天神様も 2倍 応援してくれますよ。
- tukanomi
- ベストアンサー率41% (49/119)
日本のいわゆる”神様”は、”やおよろずの神”と言って、その数は無尽蔵です。そこへもってきて、仏つまりお釈迦様をルーツとする仏教が同居し、さらには キリスト教のイエス様のルーツである、生誕祭=クリスマスを祝う、という節操のないのが、日本人の現代の宗教心です。 おっと、これは日本人がだらしないとか、無節操と批判しているのではなく、そういういろんなことを素直に受け入れやすい民族だったということだと思います。 さて、ayaka93さんの”神様が喧嘩する”というのは、僕も誰からか聞いたことあるけど、結論は気にしないでいいのでは、ということです。 あなたに大事な友達がたくさんいるように、”北野さん、湯島さん、いつもありがとう!”でいいんじゃないでしょうか(笑)。 もともと日本人の”神様”は、”自然信仰”が多くあって、太陽、大きな樹木、道端の石、風、・・・など 生きていく上で、自然災害に襲われたときは、”神の怒り”を感じて、常日頃から自然を崇めて、神のお怒りがないようにしてきたのだと思う。結果、五穀豊穣の収穫を得たときは、”その辺りにおわします神様”にお礼の献上をしたり、逆に”怒り”に触れたと思ったときは、神の”心を静めるようにお払い”をしてきたんだと思います。 次に、次第にそれが”人”、つまり、”神から委託を受けた”というふれ込みで、代弁者や、そのお礼の方法とか、お払いの儀式を司る人間が出てきて、その場所、やり方を伝授していったのが、神社だと思います。 これも別に悪いことでなく、いろんな災害や苦悩から逃れたり、うれしいときにその気持ちを伝える拠り所が神社となっただけで、ごく自然発生的なことだったのだと思います。 結論はさっき書いたとおりですが、瀬戸内寂聴さんが 言っておられたのを本で読みましたが、自分の気持ちの感謝とかお礼とか、はたまたお願いとかは、”そこに誰かがおわしますかのように”そっと、手を合わせ ることが大事で、手を合わせた先に、ご先祖様があろうがいわしの頭であろうが、草木であろうがそんな形はどちらでもいいのです、という意味のことを言っておられました。 手を合わせて”お願い”する人、もしかしたらあなたの受験を一番気にかけ、いつも世話をしてくれている お母さん、かも? とういうことで、グッドラック!!