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なぜ人間は法律に従わなければならないのでしょうか?

なぜ人間は法律に従わなければならないのでしょうか? 自由に国境を越え、自由に住み、自由に食い、自由に生き、自由に殺される権利というのは 本来全ての生物が持っているものだと思うのですが。 真の自由主義とはなんだ、全ての人間は自由に生きるべきだ、法律がけしからん、 と言ってるのではなく、 「自由に動物のように生きたい」と思った人がいたとして、 それを許すことはできないのかと思ったわけです。 法律に従わないヒトとして生きる自由を選択する権利というものは存在するべきだと思うのですが、どうなのでしょうか? あるいはすでに存在しているのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

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  • aminouchi
  • ベストアンサー率46% (376/804)
回答No.17

この質問は#10の回答者の方の言うように「哲学」カテゴリーでする方が良かったと思いますし、また、他の方の回答も十全なものではないように思えますので回答いたします。 まず、「なぜ人間は法律に従わなければならないのでしょうか?」という質問ですが、とりあえずの答えとして書けば、法律に従おうとすることもそれに従わないで生きていこうとするのも どちらもその人の権利であり決意次第のことです。 歴史的に言えば、そのような人が生まれつきに持っている権利のことを自然権といいます。(自然権の範囲についても種々の議論がありますし、自然権そのものを否定する議論もありますけれど。)例えばホッブズという人は「社会契約」という考え方を最初に示した人でありますが彼は自然権を「自分が生き延びるためにあらゆることをする権利」と考えました。ただ、そうするとすべての人が自己の自然権を主張し実行しようとすれば「万人の万人に対する戦い」という状態となり、誰も安心して生活できないという状態になると予想しました。それ故に、人は自己の自然権を社会契約のもとに放棄するという考え方を示したのです。我々の社会が法律を制定するのはこの考え方を基底においているのです。 ですから、自らの自然権を存分に発揮したいという理由からその社会の法律を守らないという選択をする自由も人間にはある、と私は考えます。しかし、それは同時にその(法律を作っている)社会の一員であるという資格を失うことを意味します。というよりもその社会の一員であるということを拒否するわけです。逆に言うと、そうした人に対して社会がその人をどのように扱うこともその社会からすれば自由なわけで、有無を言わさずその存在を抹殺することも可能(というよりたいていの場合そうする様になっています)ですし、命だけは助けてその社会から追放するだけかもしれません。いずれにしろ、「法律に従わないヒトとして生きる自由を選択する権利というものは存在」しています。ただ、その結果どうなるかを他の回答者さんたちが述べているだけです。 もう一度、整理して書きますと人には土台として「自然権」が存在する。その基礎の上に社会を形成し法律を制定している。つまり、自然権と法律は同じレベルの話ではありません。 さて、「2万年前の人間がタイムスリップしてきたとして、 その人間に対して法律を押し付けるべきかどうかというような問題」は自然権の問題としての質問でしょうか。それとも現実にある社会の中での法律レベルの問題として質問しておられるのでしょうか。このレベル分けをはっきりさせれば答えは自ずと出てくるものと思います。 次に「犬や猫を法律で裁くのに違和感を覚えませんか?」という質問(これも質問趣旨は同じであると思えます)については、まずそのような裁きの具体例はありますかとお聞きしたいですね。そうではなく、抽象的に「法律に従う意思の無い者を法で裁くのは矛盾していないか」という問いをたてるのであれば以下のように答えましょう。 法律を制定するということは1つの社会としての境界を設定することでもあります。それは境界の内部にいるものに対しては皆が同意した法律として強制力を持ちますし、境界の外部にいるものに対してはこの社会の一員となるための条件を示すことになります。そして自分たちの社会の一員でないものに対しては、(社会があたかも一人のヒトであるかのように)自然権を発動して排除することが認められます。ただ、その自然権の発動に際しての内部的手続きとして自分たちの法律が存在し、それに従って自分たちの自然権を行使します。ですから、法に従おうとしないものを法によって裁くことはなんらの矛盾をも生じません。 以上のことを踏まえた上でもう一度最初の質問に戻ってお答えすれば、「なぜ人間は法律に従わなければならないのでしょうか?」の答えは「人間が自ら法律に従うことを選択するから」です。(その社会に属する生まれたばかりの子供や、2万年前に生まれて現代にタイムスリップしてきた原始人はそうした決意・決断・判断を行っていないという反論は無意味です。子供は大人になりその社会の一員として認められるまでに、そして原始人にもそれなりにその社会の在り方について教育されたり内容を知る機会が与えられ、その上での決断となるはずだからです。ヒトはその社会がどうしても嫌であればそこから脱走や亡命をしたり、法律を変えるように運動したり、革命をおこしたり、最終的には自殺したりなどの手段でその社会から抜け出すことは可能です。)

abspectra
質問者

お礼

自然権という言葉は参考になりました。これについてはまた調べてみようと思います。 回答を読んでいて、もっと単純な問い方を思いつきました。 「ホームレスになるのは法律違反か?」 ということです。 ありがとうございました。

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その他の回答 (17)

  • akamanbo
  • ベストアンサー率17% (462/2680)
回答No.7

>例えば、2万年前の人間がタイムスリップしてきたとして、その人間に対して法律を押し付けるべきかどうかというような問題です。 >(押し付けないと我々が困るのはわかりますが、そういう議論ではないです) まさにわれわれが困るので、押し付けるべきです。 気ままに殺されたり盗まれたり覚醒剤を運ばれたりされると困るので。 それとも、法の保護外に置くということでしょうか。中世にそういうハナシがあったような気がしますが、強い個人に庇護されない限り、即殺されますよ? ほっておくと危ないですから。

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回答No.6

我が国の憲法を一読してみてください。 そのうえで… …法は己が為にある… 法律が誰のためにあるのかを考えたらいいのではないでしょうか? みんなが身勝手な考えで行動すれば、あなたの命もおびやかされるということですよね。 だから、みんなで法律を守ることによって、自分自身を守ることになるからだと思いますよ。 …悪法もまた法なり… でも、中にはこんな法律守るの嫌だよと言う法律もあるでしょう。それは、法律を作るときに全ての人が賛成して作られたかどうかによるのではないかと思います。我が国であれば、国会の場で多数決で決めていますよね。だから必ずしも全ての人が納得しているとは言えないのだと思います。 しかしながら、法律に従わなければ、結局自由を奪われてしまうことになるので、多くの人々は従っているのだと思います。 …○○○…の本来の意味とは少し違うかもしれないけどあえて使わせてもらいました。

参考URL:
http://www.houko.com/00/01/S21/000.HTM
abspectra
質問者

補足

法律の存在意義を否定する気はありません。

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  • babyblue
  • ベストアンサー率17% (38/217)
回答No.5

なら、逆に考えてみましょう。 「法律がなかったらどういう世界になっているか」

abspectra
質問者

補足

法律の存在意義を否定する気はありません。

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回答No.4

>自由に国境を越え、自由に住み、自由に食い、自由に生き、自由に殺される権利というのは 本来全ての生物が持っているものだと思うのですが。  に一つ大きな勘違いがあります。「殺されること」 を受け入れるか受け入れないか、そのどちらを選択するのも自由、と言うことです。質問者の言う 「自由に殺される権利」 は、前者を指しているだけに過ぎません。 ここで二律背反が起きるのです。「自由に食い」 (「食い」 の意味を純粋に食物摂取と解しても、経済的利益を得る行為と解しても、同じことになりますが) を達するためには、「食われる」 相手がいて、その相手の 「食われたくない」 こととの間で、対立が発生します。 ヒト以外の動物の中でも、彼らなりのルールが成立していることは、少なくとも霊長類では確認されていますし、それ以外の動物、もっと言えば Virus ですら、彼らの意思に反して、殺されているかもしれません。天然痘は、本当に 「自由に殺された」 のですか。 「自由」 とはとても大切な概念ですし、「自由」 であることを目指すことは否定しません。しかし、自分が自由でいるためには、他人の自由も同じように尊重しなければなりません。自分だけ自由にして、他人の自由を尊重しない、ことは自分勝手、独裁と言うことです。この複数の 「自由」 が並存できるためには、一定のルールが必要なのです。ただし、(極めて抽象的ですが) 最低の線にとどめる必要があります。他人に迷惑をかけない限り、ヒトは自由であるべきです。オウム真理教を信仰する、創価学会に入信する、このことは個人の問題で、まさに 「自由」 であるべきですし、規制してはなりません。しかし、宗教上肯定される行為だとしても、サリンを撒いたり、他のヒトが迷惑に思う折伏を行なう、ことは、他人の 「自由」 を侵す行為になります。 この最低線が、かつては宗教や、地域の不文律であった訳です。その地域が拡大し国家を形成、また、宗教に基づきそこに営々と生活を築いてきたパレスチナ人を追い出して形成したイスラレルのような国家もあります。 無人島に一人で生活する以外には、自分の自由を大切にするのと同程度には他人の自由を尊重しなければなりません。そのための最低限の約束事を、「法律」 として定めざるを得ないのです。無論現在の日本の国内法すべてがこの意味での 「法律」 として認められるか、国際間の取り決めが同じように認められるか、これは別の話ですし、またその評価にも、個人の 「自由」 な価値観が入ってきます。 ヒトがヒトとして 「自由」 に生きるためには、他人がヒトがヒトとして 「自由」 に生きることもまた保障しなければなりません。これを前提にするならば、ヒトとして生きる自由を選択する権利というものは存在します。

abspectra
質問者

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例えば、2万年前の人間がタイムスリップしてきたとして、 その人間に対して法律を押し付けるべきかどうかというような問題です。 (押し付けないと我々が困るのはわかりますが、そういう議論ではないです)

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  • kasa2003
  • ベストアンサー率36% (4/11)
回答No.3

法律がなければ、奪う者が奪われる者を蹂躙する弱肉強食の世界です。 あらゆる人が善人であればモラルや良心だけで十分ですが、ありえないことです。 我々はルールを守ることによって寧ろ、社会から数多くの恩恵を受けることができます。 自由に国境を越え、自由に住み、自由に食い、自由に生きる権利が保障されています。 自由に殺される権利、というのはよくわかりませんが・・・ 自由と平等は法の下に成り立っているものですから、 もし法を侵害する個人や集団を認めてしまうと、 法を遵守している人々の権利が脅かされることになってしまいます。 abspectraさんが考える自由とはどのようなことでしょう。 動物のようにとありますが、誰の権利も奪わずに実現する自由が、 いつ、どのように法の存在を不都合に感じるのでしょうか。 それとも、ハーモニーベイの夜明けという映画でアンソニーホプキンスが試みた、 密林におけるゴリラとの共存のようなことなのでしょうか?

abspectra
質問者

補足

例えば、2万年前の人間がタイムスリップしてきたとして、 その人間に対して法律を押し付けるべきかどうかというような問題です。 (押し付けないと我々が困るのはわかりますが、そういう議論ではないです)

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noname#30727
noname#30727
回答No.2

ルールを持っている動物は人間以外にも沢山いるでしょう。 人が2人いれば、ルールが発生してしまいます。国家や法律は人間の集りとそのルールだから、それに縛られないという事は、1人で生きるという事を意味しています。 おそらく人間の持つ知能の高さによるもので、人間にとってはこれが自然で自由な事なのでしょう。 生まれた時に奴隷である事が決定しているよりはましだとしか言えないですね。

abspectra
質問者

補足

法律の存在意義を否定する気はありません。

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  • HAL2004
  • ベストアンサー率50% (11/22)
回答No.1

おっしゃるとおりです。 あなたの、心臓、腎臓、眼球を必要としてる方がいます。 法律は「あなた」を守ってますが、あなたが法を守らないのであれば臓器をいただけますね、ありがとうございます。 ご連絡ください。

abspectra
質問者

お礼

別に私がそう望んでいるわけではなく、疑問に思ったから聞いているのです。 法律というものが誕生するとき、当然、このような議論はあったと思いますが。 ともあれ、そのような回答は不要です。

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