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3位に「おめでとう」、4位は?
世界水泳とやらを放送中ですが、4位の選手に「残念でしたね!」と声をかけ、3位の選手には「おめでとうございます!!」。 少し変だと思いませんか? いくらメダルがもらえるからといって、3位は勝ちで4位は負けじゃあるまい。2位も3位も4位も「頑張ったけど惜敗した」ということでは、それほど違わないと思うのですが・・・。 このさい、銀も銅もなくして唯一称えられるべき優勝者に金メダルをあたえるか、それとも多くの競技で8位までは「入賞」らしいので、4位に錫メダル5位に鉄メダル6位に亜鉛メダル7位にニッケルメダル8位にアルミメダルでも渡したらどないやねん、と思いますが。いかがでしょう。
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スポーツの結果に対する適切な呼び掛けが何かというのは、絶対的な結果がどうだったからではなく、その選手の目標に対してどうだったかの問題になると思います。 あからさまに実力が頭抜けていて、金メダルしか頭にない状態の選手が予想外の波乱で銀メダルをとった場合は「おめでとうございます」といわれて、もしかしたら当の選手はむっとくるかも知れません。予選突破が目標の選手だったらたとえ10位だろうが12位だろうが、決勝に残っただけでも充分「おめでとう」でしょう。 メダルを増やそうが減らそうが同じことが起きます。どの選手にとっても大事なのはメダルそのものではなくて、結果なり内容に満足できるかどうかだと思いますよ。声をかける方にとって大事なのは結果で言葉を使い分けることではなく、選手の気持ちを考えて言葉を選ぶことだと思います。 私は問題の場面を実際に見ていないので良く分かりませんが、両選手共にメダル(=三位以内入賞)を目標にしていたのならば、それはそれでまあいいのでは?
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- ekubo
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> スポーツとは本来競技者サイドの独善的なもの まさしく、このことが近代の1つの倫理観です。「勤勉に努力すれば必ず報われる」という神話。この根底には、「求めよ。さらば与えられん」という聖書の言葉が前提にあります。しかし、現実にはありえない。地球の資源は有限なのです。 martinbuhoさんのおっしゃる「小学生の仲良しクラブ」。現実にはありえないことを民主主義・ルール・平等・自由といったヨーロッパが産んだ近代主義の論理で侵そうとしているのです。 スポーツとは、ドイツ語で「遊ぶ」という意味。何をして遊ぶのか。それは、もちろん「神遊び」。古代ローマのオリンピアの祭典は、神にその人間離れした異能の技を見せ、神を喜ばせるために行われました。そして、周囲の人々は、その神がかり的な技に神の臨在を見るのです。 件の世界水泳では、多くの人々がイワン・ソープの神業に「心(魂)」を揺り動かされました。また、逆にあれだけの異能者をそろえた読売ジャイアンツに何か反発を感じる人が増えています。その理由は・・・。 心を揺り動かす(感動・快感)行為は、民俗学者折口信夫が説く「魂振り」にもつながります。そしてそれは、「近代」が忌み嫌い、排除してきた「非合理的世界」でもあります。 近代スポーツは、山の頂上一点を目指す(1つの価値観しか認めない)ことを至上命令とされ、マスコミは、その命令伝達を担わされています。何かこの風潮は、過去の過ちの繰り返し、「恐ろしい未来」を予想させます。 非日常的な世界で心を遊ばせる。ウォーキング、気功、ヨガ・・・。求める先のベクトルはあらゆる方向を示します。この可能性が硬直した近代の病巣を粉砕するエネルギーになるのではないでしょうか。 世界スイエイとかけて、今回の私の暴言ととく。その心は、 「好き勝手言ってどうもスイマーせん。」 失礼しました。(冷汗)
お礼
オチまでつけていただいて恐縮です。(^^)
- ekubo
- ベストアンサー率31% (29/92)
mugisakenomiさんの疑問は、近代スポーツの抱える病巣です。近代ヨーロッパが産んだ「近代スポーツ」は、「過剰な競争論理」と深く結びついています。そしてこの競争論理は、冷戦時代以降、近代オリンピック競技会の場で、西対東、仮想米対ソ、として展開されます。昔、バレーボールのスパイクをキルと呼んでいましたよね。 近代スポーツは、「競争の原理」に支えられ、「優勝劣敗主義」「勝利至上主義」を助長し、「勝つためには手段を選ばず」といった状況に陥りました。つまり、「過剰な競争原理」は、「過剰なメダル獲得競争」へと発展し、その「なれのはて」として「ドーピング問題」が発生したのです。 今、「過剰な競争原理」に支えられた「近代スポーツ」にmugisakenomiさん同様、多くの人々が疑問を抱き始めました。この疑問、そして「近代スポーツ」の抱える病巣を取り除くには、脱西欧中心主義に向かう必要があるでしょう。もう近代の理念、西欧の理念だけでは、対応できない社会がやってきたのです。 mugisakenomiさんがメダルに疑問を抱くことも、時代の流れの中で自然なことだと思います。ただ、メダルの種類を増やすというのではなく、スポーツとの接し方、楽しみ方、スポーツ文化とは、個々のスポーツのもつ特性は何なのか。オリンピック種目以外のスポーツをも見直すところから始めなければならないと思います。オリンピック種目だけがスポーツじゃないですよね。
お礼
含蓄あふれる回答ありがとうございます。 スポーツ文化のありかたの問題ですね。スポーツとは本来競技者サイドの独善的なものだと思いますが、オリンピックなどではそれを「見せる」ことを商売にするため、本質をゆがめている気がします。 視聴率を上げるためにルールを変更する競技もあるくらいですからねえ。(^^;
運動に限らず部外者と当事者の考えは同じではありません。人間に競争心がある以上、各分野でなんらかの基準を設けて努力を認め評価するのは自然なことだと思います。 機織をする人は人より優れた布を織ろうと努力し、絵を書く人、小説を書く人も目標を持って努力し、第三者が評価して賞を与えています。その賞にどれだけの価値を見出すかは人それぞれでしょう。現に勲章を断る人がいます。だからと云って勲章を断る人の論理で世の中を動かす必要もないわけです。 問題の水泳選手の場合は、早くから晴れの舞台で入賞を目指して努力してきているわけです。僅かに及ばず4位になった人に、4位でもかまわないよ、がんばったねというべきか、がんばったのに残念だったねというのがよいのか、その選手以外には 気持ちは分からないでしょう。 ギリシャで行われた古代オリンピック以来入賞者をどのように称えるかは時代と共に変ってきています。今後も変るでしょう。変えるのは当事者達です。農家の表彰方式を商店街の人たちが決めることは出来ません。 今の小学校の評価方法に素朴な疑問が残るのは、自己満足と安易な妥協を感じるからではないでしょうか。12年-16年の教育期間、その後に続く長い社会生活の期間を無視して、自分達が担当する6年間だけ競争のない仲良しクラブを作っているようにしか見えません。問題提起としては評価できますが解決策ではないと思います。 神様の世界にも聖人の世界にも序列があります。勿論平等社会が理想ですが、人間にはまだ完全な平等社会を実現する知恵がないと思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >現に勲章を断る人がいます。だからと云って勲章を断る人の論理で世の中を動かす必要もないわけです。 そうですね。また「勲章はありがたいものだ」という論理だけで動かす必要もないわけですよね。考え方は両方あっていいものです。 >その選手以外には気持ちは分からないでしょう。 全くそのとおりですね。 優勝めざして戦ったけど3位に負けた、残念無念という選手もいるでしょうし、自己ベストで世界の4位とは上出来だと思う選手もいるでしょう。 個人的には、2位も3位も4位もそれほど違いはなく「残念でした、ご苦労さま」の部類で、1位だけが「おめでとう!」というのが一番すっきりすると思いますが。(^^;
- zawayoshi
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入賞は8位、メダルは3位まで。 その選手の努力した結果がモノになった形がメダルとすれば、4位で「残念でした」になるのはわかる気がします。 ただ、選手自身はどうでしょうねぇ… 入賞して満足って人もいれば、「最高でも金、最低でも金」って人もいますし。 価値観がメダルだけではないんですけど、どうしてもメダル至上主義になっちゃうようですね。 千葉すず選手が「日本人は、メダル○○○○」といいたくなるのもわかる気がします。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >入賞は8位、メダルは3位まで。 スポーツにはルールがあり、オリンピック(およびそれに類するもの)が、そういうルールで行われてきた歴史があるわけですから、その「結果として得られる勲章」が目標の象徴になる「こともある」のは理解できます。 しかし、それでも、3位と4位の間には、かたや新聞に大見出しが踊ってオリンピックから戻ると凱旋パレード、もう一方は残念でしたねと短くコメントされてすぐ忘れ去られる・・・ほどの違いがなくてはならないとは思えないんです。 >千葉すず選手が「日本人は、メダル○○○○」といいたくなるのもわかる気がします。 もっといろんな価値観や見方を広めてほしいですね。 どんな競技にしても、世界の4位になることが、どれほど困難なことか・・・。
- reikoikegami
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おっしゃる通りですね・・・。私はテレビ放送を全く見ていないのですが,今回の大会の取り上げられ方が少々過熱気味なのが気になります。 参加する事に意義がある・・と考える選手,または視聴者もいれば,No1にならなければ意味がない・・と考える選手,または視聴者もいる事でしょう。 勝った選手にだけインタビューして負けた選手にはインタビューしなければ良いと思います。狩猟民族である黒人・白人と農耕民族である黄色人種とでは,もともとの運動性能に差があるのですから,そこで競うのは無理があると思うんですがね。 私自身も水泳をしますが,速く泳ぐと言う事を考える時,以前テレビの動物系ドキュメンタリーで聞いた事のある言葉を良く思い出します。 「サメから見ればどんなに上手く泳いでいる人でもおぼれているようにしか見えない。だからサメはエサだと思ってパクッと食べる」(笑) なぜ3位までにメダルが与えられるようになったのか・・その経緯は知らないのですが,希少金属という観点から申しますれば「イリジウム」あたりをトップのメダルにすべきかと・・。物理学的には「鉄」がエネルギー放散の分岐点になるのだそうで^^;。
お礼
ご回答ありがとうございます。 競技に参加する選手も、それに関わる人も、見る側も、いろんな価値観があっていいと思うのですが、なにゆえそこまでメダルの有無にのみ注目しなければならないのか? 4位の選手にも拍手をおくり、労をねぎらいたいと思うのですが。
- DASS
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そこまで大きな話をしているのではなく、ただ単に「メダルが取れなくて残念でしたね」と言っているのだと思います。 それは別にして、最近の小学校の徒競走では、ただ走らせるだけで、順位を付けないと聞きます。 一応は競争なのだから順位があっても、と思います。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >そこまで大きな話をしているのではなく もちろん、そう誰しもそこまで深く考えてはいないのは判っていますが、そういう無邪気な発言の積み重ねの結果、「3位は勝ちで4位は負け」という奇妙な価値観を生んでいるような気がするんですよね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 もちろん、個別具体的な場面においては、4位が残念で3位がおめでとうでいい場合もあると思います。 世間やマスコミ全般において、3位と4位の扱いにあまりにも極端な差があるのは本質的におかしい(本質的には3位と4位にそこまで違いはない)と思うし、またそうした扱われ方をすることで、スポーツ選手たち自身も「3位は勝ちで4位は負け」のような価値観を植え付けられているように思うのです。 4位にも、3位の60%くらい(?)の賞賛を。