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なぜ万人が最低限の生活を送れる世の中じゃないの?
なぜ最低限の衣食住がある生活を皆が送れないのでしょうか? 貧しくて住む所がない、食べるものがない人たちになぜ国が支援をしないのですか? 豊かな人から少しずつ集めたお金や国のお金で貧しい人の分をまかなうことは できないのでしょうか? 日本のホームレスの方々はまだ恵まれている方だと思いますが、 海外などでは食べる物が本当にない人が大勢いますよね? なぜ国がそういう人たちを守っていかないのですか? ?マークだらけですみません。 ご回答よろしくお願いします。
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質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。 自分では多少分かっているつもりでいたのですが、質問者さんの実直な質問に、頭を後ろからぶん殴られた思いがします。 国際問題には個人的に少々興味もあるんですが、何せ素人ですから、間違っていることもあるとは思うのですが、せめて参考程度に意見を述べさせて頂きたいと思います。でも、ちょっと長くなりますから、暇なときに読んで下さい。 貧富の差が発生するのは、資本主義経済の特徴です。資本主義経済社会では、生産手段を持つ資本家と労働者との階級格差が埋まることはありませんし、何よりも、需要と供給のバランスに依存する「結果経済」では資源の浪費をなくすことはできません。つまり、資本主義経済は、その性質上、人為的にコントロールすることができないんです。ここで、イディオロギ―は国家単位の問題ではないかというご指摘もあるかと思いますが、それに就いては取り敢えず、現在のグローバル化は国家間の階級格差であり、国際間の搾取であるということにしておいて下さい。 では、このようにして発生する貧困を解消するためには、資本家による富の蓄積を全て排除し、それを平等に分配する必要があります。基本的には、質問者さんが仰るように、全ての人々が最低限の生活を保証されるためには、生産手段の共同化によって資源の最適分配が行なわれなければなりません。つまり、資本家から全ての生産手段を取り上げてそれを共有化し、協同生産による利益を平等に分配するわけです。これが理想ですね。 ですが、東ドイツ、ソビエトの崩壊、中国の「計画経済」廃止と、このような理想に基く社会主義革命の実験は、20世紀の内に全て失敗に終ってしまいました。どうして失敗したのかを論ずると長くなってしまうので止めますが、とにかく、理想的であるはずの社会主義思想は、上記で述べましたような資本主義経済の欠陥を証明することはできませんでした。 こんなことを書くと、私は既に絶滅してしまった学生運動家の生き残りではないかと思われてしまうかも知れませんが、問題解決のためには歴史に学ぶというのもひとつの有意義な手法です、と言ったのも毛沢東だったんですが(汗)。 とにかく、社会主義思想があっけなく崩壊してしまったのですから、今後、資本主義経済社会は、そこに発生する全ての問題を自分たち自らの手で解決してゆかなければなりません。では我々は、この「貧困」という問題をどのように解決したら良いのでしょうか。 とは言いますが、資本主義経済に発生する貧困の解決、こんなことが私の頭でおいそれと考え付くはずがありません。ですから、予めお断りしておきますが、結論は出ません(悪しからず)。 ということですから、ここでは取り敢えず、質問者さんと私の疑問を幾らかでも解消するために、問題の本質に就いて考えてみたいと思います。 まず、貧困とは経済的な問題ですよね。要はお金です。ですから、国家や国際社会がこの問題を手っ取り早く解決するためにはお金が必要になります。 でも、そんなお金はありません。仮にあったとしても、貧しいひとや貧乏な国にただお金を分けて上げるというのも、一般的には奇妙な話です。ですが、グローバルな見方をすると、国際社会ではそうも言ってはいられないらしいんです。 少なからず、先進国に暮す我々には、途上国にお金を援助してやらなければならない責任があります。何故ならば、必ずしも貧困は、全てがその国の人たちの責任ではないからです。 アフリカ、東南アジア諸国の貧困は、そのほとんどが第二次大戦までの先進国による植民地政策がその原因だと言います。現在では、近代化の立ち遅れや内戦など、直接的な要因はその国によって様々かも知れません。ですが、その紛争ひとつとってみても、元々ひとつの民族だった国が、かたやイギリスの植民地、かたやフランスの植民地であったためにふたつに分裂してしまい、戦後それぞれに独立したは良いのですが、貧しさの余り戦争をしているというのが現状です。最近では、東ティモールが良い例ですね。 植民地政策は明らかに先進国の搾取です。そして、そのお金を欲しさに戦争を起こしたのは日本であり、アメリカであり、イギリスです。日本は戦争に負けましたが、幸い占領もされずに何とか復興を遂げました。今となっては、日本人にとっては戦争は遥か昔のことです。ですが、そのような途上国の人々にとっては、それはつい最近のことであり、まだ戦争の傷跡から抜け出していないんですね。これが、貧困の原因です。 さて、問題解決のためにはまず歴史に学びます。その次は、その本質を理解するために問題を分類します。ざっと調べて見たのですが、貧困というのは以下のように分類できるのだそうです。 個人的貧困 社会集団的貧困 地域的貧困 国家レベル的貧困 この中で、ちょっと分かり辛いのは「社会集団的貧困」と「地域的貧困」ですが、恐らく、前者は一族や宗教集団などに於ける個別な理由による貧困、後者はスラム街みたいなものを指すのではないかと思います。 極めて単純な分類ですが、興味ぶかいのは、これらが解決順に並んでいるということです。私ははっきり言って貧乏ですから、国家が着手するならば、どちらかと言えばこの順番にしてもらわなければ、ちょっと困ります。逆に言うと、国際間協力や、博愛・利他的な動機がなければがなければまず解決できないであろう国家レベル的貧困が最も難問であるということになります。当たり前のことですが。 次ぎに、その国際的貧困の原因に就いては、余り明確ではないのですが、このような分類があります。 人口問題 食料問題 教育問題 紛争・内政不安 エイズ問題 人口問題と食料問題はラップします。また、人口問題の中には高齢化も含まれており、これが今後の社会保証制度を圧迫します。そして、人口増加率には地域的格差というものがあり、これは絵に描いたように途上国に集中しています。 教育問題は、その国の近代化と生産力の向上に繋がります。でも、戦争がなくならなければ子供たちは学校に行けません。 どうしてここにエイズ問題が入っているのか、私にもちょっと良く分からないのですが、少なくとも、これは貧困と密接に関係しており、決して蔑ろにはできない深刻な問題であることは確かです。エイズに掛かってしまったら、結婚の就職もできませんし、第一、そのひとは命が助かりません。もしかしたら、広く衛生・医療問題として捕らえても良いのかも知れません。 さて、我々先進国は途上国にお金を援助しなければなりません。そして、ここまで調べてみると、そのお金が何に使われなければならないのかが分かりました。 まず、生産力を上げて雇用を確保するための「インフラ整備」。教育レベルを上げて技術力を高め、如いては国際社会でひとり立ちするための「教育施設」。そして国民の生命を守る「医療施設」ですよね。 人口問題や食糧問題、ましてイラクのように内戦に軽々しく口を挟むわけにはゆきませんから、当面は食料援助が急務となるでしょう。 とはいえ、我々も日本の政府も、有り余るほどお金を持っているわけではありませんよね。世界の途上国の人口比率は世界人口の80%です。それを考えたら、日本の国で取れるお米を全部送ったって全然足りないじゃないですか。 それでも、具体的に何とかしようと思うならば、僅かでも援助を続けると共に、海外技術協力で、教育・医療を平行して援助するなどの手段もあります。尤も、戦争をしている国には、現状では、どうしても自衛隊の人たちに頼むしかないんですが。 加えて先進国からの借金です。GDPに対する対外債務の返済比率が30%以下にならなければどっやっても立ち直れない国がほとんどだそうです。というよりは、途上国というのはそういう国なんですね。ですから、その国の借金をチャラにしてやるくらいでないとほとんど効果は得られないようです。 そして何よりも、そのお金が、本当にその国のひとたちのために使われなければならないということです。 さて、お金を援助しろなどと気安く言うし、それが病院を建てるためだなんて当たり前のことではないか。お前は、そんな分かり切ったことを言うために長々と書いたのと、そんなご指摘の出そうなありきたりの回答になってしましました。 ですが、それに就いては、私がこれを調べている間に目に付いたひとつの記事に就いて声を大にして報告しておきたいと思います。 その記事は、アメリカがアフリカのある国にエイズ対策基金の援助を申し出たというものです。ですが、その国はそれを断らなければなりませんでした。どうしてでしょうか。 ひとつの理由としては、その国は既にアメリカから多額の借金をしており、これ以上債務を増やすわけにはゆかなかったからです。そしてもうひとつは、エイズ対策基金として援助されるならば、その国はアメリカから高価なエイズ治療薬を大量に購入しなければならないからなんです。その治療薬、本当に効くんでしょうか? まさか紛い物なんてことはないんでしょうが、要は、アメリカは単に金儲けのために資金援助を申し出ただけということなんです。 その記事を読んで、私は腹が立ちました。甘っちょろいと言われるかも知れませんが、腹の虫が収まりません。 その国は、お金も治療薬も、喉から手が出るほど欲しいに決まってます。アメリカともあろう国が、そんな、貧乏人の横っ面を札束で張り倒すような真似をして良いのでしょうか。やれ資本主義経済だの、やれグローバル化だの、私が文頭に、なんであんな小難しい文句を並べたてなければなければならなかたのか、これで何とか、少々のご理解も頂きたく思います。 他の回答者さんも、金持ちやお偉いさんが金の出し惜しみをするのは当たり前だと仰っていますが、全くその通りだと思います。お金は正しく使われなければななりません。にも拘わらず、あろうことか、国際社会でさえこんな低レベルなことで躓いているんです。 どうして世界中のひとがみんな幸せになれないのか、質問者さんが疑問に思われるのは当然のことだと思います。本来ならば世界規模の社会主義革命を起こすべきなのですが、失敗するのは目に見えていますし、そうなれば死刑は確実です。では、資本主義経済に参画し、その生活レベルを確保しようとするならば、そこに発生する矛盾は自分たちの手で解決しなければなりません。質問者さんの仰る通り、少しづつでもお金を集めて、できればお金持ちからですが、援助を続けなければ、貧困は絶対になくなりません。 何時も本当に長くて済みません。
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- kageru-hash
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・実際に国のお偉いさんになってしまうと、自分がいい生活をしたいと思ってしまうことが多い ・国のお偉いさんでなくても、他人に無償で物や金を渡すのは嫌だと考える人が多い ・その国自体が貧しく、援助があってもそれだけではなかなか豊かになれない などではないでしょうか。 偉い立場になり、「これが援助金です」と数百万を目の前に置かれたら…こっそり自分のために使いたくなりませんか?(だって自分も例え偉くとも生活が苦しく、援助金をいくら貰ったかは国民に知らせないようにもできるんですから) もし「他の人を助けるためにお金を譲りなさい」と命令されても、殆どの人は「これは私が働いて得たお金です。一生懸命貯めたお金を、どうして他の人に譲らなくてはならないんですか」と思うでしょうしね。 (実際私もそう思ってしまいます。数十円単位の募金なら私の場合偽善的ですができますが、さすがに数千円数万円を分配しろと言われたら……) でも「なぜ国が支援しないのか」と思うようなら、やっぱり個人が動かないとダメだと思いますよ。 偽善でも善でも。
お礼
収入が多いほど多めに税金などでお金を集めて、 それを貧しい人々に分配したりはできないのでしょうか? 貧富の差が激しい国がありますよね。私はその差を目の当たりにしています。(日本ではありません) お金持ちの人がどんどんお金持ちになるのは、その人の努力や知恵もあると 思いますが、生まれてきた家庭が貧乏かそうじゃないかも大きいと思います。 貧乏な人は努力してお金を稼ぎたくても、努力のしようがない場合が多いですよね。 生まれた時に貧しい家庭にうまれたら、そこからいい暮らしができるようになる のは大変なことだと思います。 だからこそ恵まれている人が恵まれない人を援助するというのは当たり前のことに 思えるのですが、現実にはそうではないのですね… 長々とすみません。 ご回答ありがとうございました。
- suiton
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その国自体が貧しいので、そこまでできないのではないでしょうか。
お礼
でも一番貧しいと言われてる国々でも、国民全員が飢えないだけの食料が生産できている事実がありますよね。 食料過多で輸出しているという輸出量の統計を見ました。 その輸出で得たお金で豊かな人がより豊かになっているということでしょうか… それを食べる物がない人にまわせばいいのに…と単純に思ってしまいます。 ご回答ありがとうございました。
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お礼
ありがとうございます! とてもわかりやすく、私にも理解することができました。 中国の周王朝にあったかもしれないと言われている井田制や 社会主義制度の導入など、非現実的なことも考えたりしましたが、 現実的に資本主義制度の中で出来ることを考えていかないといけませんね。 それにしても本当にたくさんの問題点があるのですね… 今いる国で、人の食べ残したものを集めて袋に入れているおじいさんを見て、とても悲しくなりました。 私に出来ることをしていきたいと思いましたが、実際に何が出来るのか… なんだかとてももやもやした気持ちが続いています… ご回答ありがとうございました。