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西鉄ライオンズの譲渡先は?
福岡ダイエーの球団譲渡により地元福岡の新聞で福岡の球団の歴史について記事が書かれていました。 その中で私の記憶と異なる部分があったので質問させていただきます。 新聞では西鉄が「太平洋クラブに球団を譲渡した」、「クラウンライターが西武に球団を譲渡した」とあるのですが、私は西鉄はほぼ球団放棄に近い状態で福岡野球という会社に球団を譲渡し、福岡野球がスポンサーとして太平洋クラブと2年契約で企業名を冠する契約をしたのだと記憶しています。 クラウンライターとも2年契約でしたが更改時に金額が折り合わず、他にスポンサーとなる企業もないために西武に10億円で買われた、と今まで思っていました。(つまり、太平洋もクラウンも球団を所有していたのではなく、単なるスポンサーだったと思っていました。) これは誤った記憶なのでしょうか。 どなたか福岡の正しい球団史をご教授いただけませんでしょうか。 よろしくお願いします。
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daikousiさんこんにちは >新聞では西鉄が・・・とあるのですが、 >私は西鉄は・・・記憶しています。 フリー百科事典『ウィキペディア (Wikipedia)』 の西武ライオンズの「西鉄」時代などに おっしゃっていた内容が掲載されていましたよ(^^) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%AD%A6%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%82%BA (^^)/<ではぁ~
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私は、野球にはあまり詳しくないのですが、財界裏面史には少し詳しい方だと思いますので、お答えしたいと思います。太平洋クラブ、クラウンライター、中村氏には、影のスポンサーが存在していました。そのスポンサーとは、後に黒い紳士たちの貯金箱とも言われた問題銀行平和相互銀行オーナーの小宮山英蔵氏です。中村氏は、自民党の岸信介氏の側近で、小宮山氏は、岸氏ややはり自民党の大物議員だった福田赳夫氏などに資金的に多大なる協力をした人物でした。その関係から、中村氏を表面上オーナーと言う形にしたと言うのが実態だと思います。クラウンは、親会社が廣済堂で、オーナーは、やはり政界ではフィクサー的な人物として知られた桜井氏でした。また、桜井氏は、平和相互から、莫大な融資を得ていたのも事実です。平和相互の経営悪化が表面化されて行くと、オーナーも変わり、最終的に西武に落ちました。平和相互は、結構裏の世界とつながる銀行でしたから、調べてみると球界裏面史もわかり、面白いと思います。
お礼
御回答ありがとうございます。 そういえば平和相互銀行の名は当時有名になりました。 ライオンズの元オーナーの堤氏には心底失望しましたし、ダイエーの球団譲渡にも失望です。 この2球団も見えないところでは結構交渉が行われていたのでしょうね…。
- Red_Phenix
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「Google」で「福岡野球株式会社」を検索してみて下さい。色々とヒットします。 ・http://www.google.co.jp/ Google 例えば,こんなぺージがあります。 ・http://www.geocities.co.jp/Playtown-Darts/7539/yakyujosi/kyushu/heiwadai.htm 平和台球場 ・http://www.geocities.co.jp/Athlete/7545/newpage18.htm ―福岡における西鉄ライオンズ以降のプロ野球の歴史(1972~1990)― 会社名は「福岡野球株式会社」ですが,当時ロッテオリオンズオーナーだった中村長芳氏の個人会社の様ですね。
お礼
御回答ありがとうございます。 ご紹介いただいたURLを拝見して初めて知ったこともいろいろありました。 福岡野球の社長が中村さんであることは知っていましたがまさか、当時のロッテオリオンズのオーナーだったとは…。 これから福岡の球団はどんな歴史を刻んでいくのでしょうか…。 ありがとうございました。
お礼
御回答ありがとうございます。 参考URL拝見しました。 懐かしい思い出がよみがえってきました。 やはり太平洋クラブとクラウンライターは親会社として球団を所有していたのではなかったのですね。 それにしても地元新聞の表現はあたかも両社が球団を所有していたような書き方だったので、なぜあんな書き方をしたのか不思議です。 ちなみに当時、基選手がすぐ近くに住んでいらっしゃったんで結構応援してました。 今では近くにはダイエーの選手の方々が住んでいらっしゃいます。 引退した香川選手のお子さんは体型がお父さんにそっくりで微笑ましいです。(^^)