• 締切済み

ディープパープルに詳しい方!!

これを知ってたら貴重っていうマニアックな情報ないでしょうか?通でもうならせるような・・ ちょっとしたことでもいいので教えてください!

みんなの回答

回答No.7

DPオタクの友人に聞いた話によると、 第一期で解雇されたロッドはディープパープル偽バンドとしてライブ活動して逮捕され、DPに訴えられたと聞いたことがあります。 たぶん本当のことだと思います。

  • todoroki
  • ベストアンサー率48% (2274/4691)
回答No.6

 私にはお礼でなくて補足になっていて、「説明が足りなくてごめんなさい」とあるのに きちんと説明されていないというのは回答が必要ないという意味なのかもしれませんが 間違った回答があるので訂正しておきますと リッチーの『ヅ○疑惑』、それは初めて聞きましたが リッチーが植毛手術を受けたのは有名な話です。 高額の費用がかかり、痛みもすごいのに成功するとは限らない手術で エルトン・ジョンは植毛したのにすぐに抜けてしまったのに リッチーは成功し、ふさふさの髪を取り戻したのは80年代でしたか。  もうひとつ付け加えますと、 ツアーの最中にリッチーが脱退して、ジョー・サトリアーニがゲストで加わったときは さすがのウドーもチケットの払い戻しに応じていました。 私は横浜文化体育館で見ましたが、アリーナはかなり空席ができていました。

pa0n
質問者

お礼

コンサート行かれた方なんですね(羨ましいです。) 髪の毛の事はそれだけでもすごい情報だったので・・

  • gobugobu
  • ベストアンサー率0% (0/9)
回答No.5

こんばんは。ファンなら常識かも知れませんがリッチーブラックモアのストラトのピックアップはシェクターでミドルは外してるかダミーでカバーだけ付けているみたいです。こだわりなんでしょうか。シェクターのピックアップが結構めずらしいので知ったときはちょっとびっくりしました。

pa0n
質問者

お礼

それはビックリですね! ファンでは常識なんですね・・教えてもらえて助かりました!

  • ayupapa
  • ベストアンサー率40% (466/1140)
回答No.4

ファンなら誰でも知っているかな~。 ・確か97年、リッチーが彼女と一緒にニュースステーション(もちろん久米宏の)に生出演した。 ・94年にリッチーが脱退(2回目?)したとき、ジョー・サトリアーニがツアーで代行した。聴いてみたい・・。 ・最近のリッチーのストラトはセットネック。 ・トミー・ボーリンはYAMAHA SX(マニアのみ知る幻の名器)を使っていた。 ・デビカバがオーディションで歌ったのはビートルズのイエスタデイ

pa0n
質問者

お礼

ニュースステーション見たかったです。その当時は別の音楽に熱中してて・・ ニュースステーションに出てたなんて・・!! ありがとうございます。

回答No.3

こんばんは。 回答数が少ないのでまた賑やかしに来ました。 これもパープルファンなら知ってる話かも知れませんが。 リッチーがステージ上でぶっ壊すギターは日本製のストラトで、ぶっ壊し用の日本製のストラトを何本も予備として用意していたそうです。 まあUSA物に比べれば安かったからでしょう。 でも壊すまでは曲の中で弾いているわけですから、日本製のギターの音は気に入っていたのだと思いますよ。 あとリッチーの『ヅ○疑惑』は有名な話ですかね。

pa0n
質問者

お礼

なるほど!私はあまり詳しくはないので、このような回答うれしいです!

  • todoroki
  • ベストアンサー率48% (2274/4691)
回答No.2

 何を求めているのか全然不明なので 通はうならないけどマニアックなネタを。  ジョン・ロードとイアン・ペイスの奥さんは双子です。 写真で見る限り、どっちと結婚してもよかったんじゃないの?と言いたくなるくらいそっくりの奥さんです。 なので二人は義理の兄弟になります。 まだ離婚してなければですけどね(笑)

pa0n
質問者

補足

説明が足らなくってごめんなさい!でもお答えのような、お話知りたかったので、うれしいです! ありがとうございます!

回答No.1

こんにちは。 私は通でもなければ、こんなことはパープルに詳しい人ならたいていは知っている話ですが。 パープル初期の頃は'60年代後半ということもあって、かなりポップな面を強調したバンドでした。それはHUSHという曲を取り上げてシングルヒットさせた姿勢からも窺われます。 その頃、バンドのイニシアティブを握っていたのはヴォーカルのロッド・エヴァンとキーボードのジョン・ロードでした。 しかし、バンドが売れてくるとロッドはアメリカ進出を目論み始め、リッチーを初めとする他のメンバーたちはイギリスに残ってさらにヘヴィーなサウンドを目指す方向に進もうとしていたので、ロッドとの間に亀裂を生みます。結果ロッドとニック・シンパー(b)が解雇されることになって、元エピソード・シックスのイアン・ギラン(vo)とロジャー・グローバー(b)が参加しました。ニックを解雇した理由はニックのベースの腕は良かったのですが、あまりにも目だっていたためリッチーがその存在を憎憎しく思っていたからだという説もあります。 ロッドはその後アメリカに渡って「キャプテン・ビヨンド」というバンドを結成しています。 かくしてパープルはリッチーがイニシアティブを取れるようなメンバー構成になったというわけです。ジョン・ロードが解雇されなかったのは、貴重なオルガニストということと、クラシカルな音楽的志向がリッチーと合っていたという理由でしょう。 その後イアン・ギランが辞めたのもリッチーとの確執が原因で、後任のヴォーカーリストをデヴィッド・カヴァーデイルに決める前にもリッチーが元フリーのポール・ロジャーズに声をかけるなど、リッチーが完全にパープルを牛耳っていました。 なんだか貴重な話というより、パープルファンなら常識の話になってしまいましたね。 ちなみに私の好みはブルースロック志向なのでパープルファンではないのです。 失礼しました。

pa0n
質問者

お礼

返答ありがとうございます!よくわかったような気がします!