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外国人キャッチャー

日本のプロ野球で、外国人のキャッチャーは居ましたか? 絶無、、、でしょうか??

質問者が選んだベストアンサー

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  • Sasakik
  • ベストアンサー率34% (1695/4880)
回答No.2

(たぶん)最初の外国人捕手は、1937年に大阪(現阪神)に入団した「田中義雄」という”日系アメリカ人(アメリカ国籍)”。 1952年には、同じく日系アメリカ人の「広田順」が巨人に入って、1956年までに423試合に出場して、今までのトコロの外国籍捕手の最多出場記録になっている。 ”カタカナ登録名”の外国人捕手は、1953年に毎日(現ロッテ)に入団した「チャーリー・フッド」。 フッドは出場2試合だったけど、翌’54年に毎日に入団した「チャーリー・ルイス」はレギュラー出場してベストナインに選出されたこともある。 ロッテで言えば、外野手登録された「マイク・ディアズ」が1990年と1991年に計20試合で捕手として出場している。 あと、巨人に1988年から1991年まで在籍した”アジアの大砲”「呂明賜」も捕手として登録された時期があるけど、試合出場は外野手だけだった。 ということで、日本のプロ野球に出場した外国人捕手って、アリエル・マルティネスを含めて、これまで17人いたりする。

その他の回答 (2)

  • nagata2017
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回答No.3

日本プロ野球史上、初めて捕手として出場した助っ人はバッキー・ハリスだ。日本でプロ野球が初めて行われた1936年に名古屋に入団し、4月29日に行われた開幕戦で「三番・捕手」でスタメン出場を果たした。 937年には、秋季シーズンから大阪に入団した日系アメリカ人の田中義雄が正捕手として出場。四番としてもチームを支え、リーグ2連覇の原動力となった。田中は7年間にわたりチームをけん引し、1944年に軍役に就くために引退した。 NPB黎明期の1950年代は多くの外国人捕手が登場した。まずは3年連続でベストナインに選ばれるなど輝かしい活躍を見せた巨人の広田順(日系アメリカ人)だ。1952年に巨人に入団し、1956年に退団・引退するまで捕手として423試合に出場。 毎日からは2年連続で外国人捕手が登場した。1953年のチャーリー・フッド(毎日)と1954年のチャーリー・ルイス(毎日)だ。フッドの捕手出場はわずか2試合だが、日本プロ野球史上初となる3イニング連続本塁打を記録している。一方のルイスは2年連続で130試合以上に出場し、ベストナインも連続して受賞した。 1954年に高橋に入団したサル・レッカは2年間正捕手として出場した助っ人だ。打力も高く、1954年にはリーグ4位の23本塁打を放っている。 翌1955年にも外国人捕手が登場している。それがドン・ブッサンだ。捕手として登録されていた選手ではないが、人員不足の際の緊急措置として1試合だけマスクをかぶった。 1956年には南海の藤重登が日系アメリカ人選手として捕手出場を果たしている。しかし、当時の南海には野村克也という不動の存在がいたため出場機会がほとんどなく2年で退団。その後、上述の田中義雄の薦めで阪神に入団し、3年間プレーした。 1960年代は大毎に所属した2人の外国人捕手が出場を果たしている。まず1人目がハワイ出身の神谷雅巳。ただ、出場はシーズン最終盤(10月15日)での1試合のみで、結果は3打数無安打。翌1962年も在籍したが、出場なしで退団している。もう1人は1962年に加入したニック・テスタ。外国人投手専用の捕手として起用され57試合に出場した。  1962年に東映に入団した韓国人の白仁天は、1963年に捕手としてスタメン出場。翌1964年は正捕手の座をつかみ取り、その後11シーズンにわたりチームの柱として活躍した(当時のNPBでは「出生時に日本国籍を持っていた外国人は外国籍扱いをしない」という規定のため白は日本人選手扱い)。 1970年には、外野手登録だった広島のエイドリアン・ギャレットが捕手として出場。ギャレットはオールスターゲームで1試合3本塁打を放つなど強打が武器の選手だったため、当時の古葉竹識監督が「相手打線に驚異を与えるための奇策」として捕手出場させたといわれている。 ロッテのマイク・ディアズだ。1989年に助っ人外野手として加入したディアズは、2年連続で3割、30本塁打、100打点を記録。強打を武器に活躍したが、もともと捕手だったこともあり、当時の金田正一監督の提案で捕手としても出場することになった。この年は15試合でマスクをかぶり、翌1991年も捕手として5試合に出場。 ディアズ以降はスタメン出場の機会が与えられた外国人捕手はいないが、ピンポイントでの出場ではフランシスコ・キャブレラと、ディンゴ(デーブ・ニルソン)がいる。1994年にオリックスに加入したキャブレラは、チームの期待に応えられずに1年で退団したが、捕手として1試合に出場している。中日のディンゴも加入した2000年に1試合のみ捕手で出場。どちらも別のポジションで登録された選手だが、緊急措置として捕手を務めることになった。 捕手として出場した外国人助っ人は、当時の規定で外国人選手として扱われない白仁天を加えてもこれまでに16人しかおらず、今回のマルティネスで17人目。 思ったより多いですね。 でも 日本人ピッチャーとのコミュニケーションの問題があって少ないそうです。 今まで挙げた中に外人ピッチャー専用キャッチャーという人がいましたね。言葉の問題は大きいみたい。

  • are_2023
  • ベストアンサー率32% (987/3028)
回答No.1

北海道日本ハムファイターズ アリエル・マルティネス https://npb.jp/bis/players/73975136.html

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