これは親からの心理的虐待でしょうか?
久しぶりにここを利用します。
小さい頃・子供の頃は誰かに褒められると誰しも喜ぶと思います。
喜ばない人もいるかもしれませんが。
私は誰かからに褒められると喜びましたが、
その時に決まって母は「豚もおだてれば木に登るってもの」と、
あっさり言ってのけ続けてました。
「お調子者」「褒めそやすなど表面的に過ぎないのに」
とも平気で言い続ける。
「大衆の1人だけの大した人間じゃないのに、
そんなに自分を特別視したがるのはカルトの信者と同じ」
「自分が無力な人間だと気付きなさいな」
「何も私たちにもたらさない、金も稼げない身分の、
全くの役立たずのくせに偉そうに」
と思春期になるとこればかり。
「誰もあんたを、そんなに凄いとか立派とか本気で考えてない」
「本当に頭良ければとっくに東大京大に進学してる」
とは大人になってから。
昔からの口癖としては、
「人の褒め言葉を真に受けるとひどいことになる」
「褒めちぎりながら人の精神を殺す褒め殺しをやるのは、
日本も外国も同じ。企業人の常套手段」
(母は一度も外国に行ってません。
外国人との縁もないです)
父も「自己満足に浸れて羨ましい奴」と言う。
「能無しだから」がその理由(確かに父は高給取りで賢いですが)。
とにかく「褒め言葉=侮辱・差別の言葉」と言われ続けて育ち、
その影響が根深いほど根付いたため、
ネット利用の目的が、わざと人を不愉快にさせて、
私に批判非難・誹謗中傷を浴びせるように仕向けるものになりました。
本当の侮辱的で差別的な言葉の褒め言葉を求め、
これこそ人に認められた証とのねじ曲がった欲求のためです。
ただ、その度に心身が壊れてしまい、嘔吐が止まらなくなったり、
嘔吐がなくても勝手に脱水症状を繰り返して点滴治療を受け、
内科の主治医が戦々恐々とするほどですが。
そして「家族の基本は夫婦であって子供は次」
「例え子どもといえども、ただ飯食いの居候と同じ立場」
「人の心を理解できる訳がない。子供の心も無理。
それが出来たら神になれる。親も人の子で万能ではない」
も口癖でした。今もこれを口にすることがあります。
心的外傷の体験もありますが、口を閉ざしていた日々。
それを主治医に先に告白してから、親に打ち明けなかった理由を話すと、
「あの頃の私は全て跳ね除ける自信があったから。今でもそれはある」
と、トラウマを打ち明けない心情を語っても無駄でした。
何を言っても両親に響かない。反論したら、
「子どもってのはいいわねぇ。何かあれば親の責任に出来る」
で終わってしまうだけ……
これは日本の教育の美徳でしょうか?
子どもを叩き潰す言葉で精神を鍛えるのが常識ですか?
精神疾患を山ほど抱え死に際に立たされ、
知らない間の無意識の中で自殺を図っていたのも、
私の「弱さ」ですか? それとも「心理的虐待」ですか?
もう訳が分からず、どうしたらいいか右往左往状態です。
意識ある中で自殺を図れば「葬式代を用意してからにしろ」と……
何のために私はここにいるのか……生かされているのか……
まるで飼い殺しに思えてならない。生き地獄のど真ん中。
一人暮らしをすることになろうとも、足枷にしては痛く重すぎます。
両親が徹底的なリアリストと割り切ることが出来ればいいのですが、
これは私の「弱さ・甘え」なのか親からの「心理的虐待」なのか、
判断が出来ませんし、精神科の主治医は諦めの心境です。
親への欠点の指摘も、親自身が「ここまで苦労して命繋いだ」と、
逆上するだけなので、主治医とも話がかみ合う訳がない。
それを悟って、親とはなるべく来ないように私に促すほどです。
長文になりました。これは私自身の精神力の問題で、
本当に親へ責任を押し付けているだけなのか、
それとも子どもの頃からの親からの言葉の暴力、
心理的虐待なのかどうか、これについての私見でも何でもご教示願います。
アドバイザーのような方がいれば、なお幸いと存じます。
お礼