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https://number.bunshun.jp/articles/-/860809?page=2 『10月1日のロッテ戦で打球を右側頭部に受け頭蓋骨骨折の診断を受けるも、その8日後に144球を投げて勝利投手となる超人的なタフさをアピールし、次の中4日の登板では182球で16勝目、さらに中2日で上がった西武戦では177球の熱投で17勝目と、近代野球では異例の鬼気迫る投げっぷりで4年連続の最多勝を手中に収めるのだ。』 最多勝に間違いはないのでしょうが、どこかの球団の投手が中6日の登板を中5日にした影響でおかしくなったなんて、おかしくて笑ってしまう事ですよね。本当にそうなのでしょうか。だとしたらまるでターミネーターじゃないですか。(笑) どこまでが本当の話なんでしょうね。?! ここで体を壊してなくて、更にメジャーでの活躍がある訳ですよね。何か本当に人間離れしていると思いませんか。?!
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当時をリアルタイムで生きてましたけど、何もウソはないですよ。 当時は「エースは完投するものだ」というのがもう世間の常識というものでした。彼がドラフトで指名された頃に流行った言葉が「24時間タタカエマスカ」ですからね。当時の日本人は「寝る間も惜しんで馬車馬のように働くのが日本人のあるべき姿」と思っていました。 だからエースたる者、150球だろうが170球だろうが「エースは投げるもの」だったのです。その「美談」の影で体を壊す選手はプロアマ問わず山のようにいました。甲子園のためにひとりエースが投げまくって、そのために肩を壊してプロでそんなに活躍できなかった人なんて山ほどいますよ。元祖大輔である荒木大輔さんなんてその典型例です。 野茂さんのエピソードは強烈なものばっかりですよ。当時破格の指名を受けて近鉄に入団したのですが、「あんなに指名されやがって生意気だ」と近鉄の先輩選手たちは嫉妬丸出しで待ち受けていました。 そしてキャンプで先輩選手たちは「おう、野茂。俺の注ぐ酒を飲め」と彼に酒を注ぎました。当時は野球界のみならず、社会人の常識として「先輩や上司から注がれた酒は飲まなきゃいけない」ものだったのです。私も若い頃それをやられたことがあります。 当然飲まされ過ぎて野茂さんは何度も吐くことになります。しかしどれだけ飲まされて吐いても、先輩が注ぐ酒を全て飲んだといいます。それで「どれだけいじめられても心が折れることがなかった。野茂ってやつは根性がある」と先輩選手たちは一目置くことになり、以来彼はいじめられることはなくなったそうです。 「ええ話やなあ」と思ってしまうのが、昭和世代の悪いところです。今ならドパワハラ、ドアルハラですね・笑。
お礼
回答有難う御座いました。質問した後で、webページの続きを読んで、ああそう言えばあの後に故障してたっけと思い出しました。でも権藤、権藤、雨、権藤てな感じではないにしても、普通だとドクターストップものですよ。いくらエースなら先発し、完投が当たり前だった時代だったとしても。(笑) 次の質問にも出来たら、何となくの回答でも良いのでお願いします。 https://okwave.jp/qa/q10254457.html