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友達と自分の土俵が違いすぎて比べてしまう

中3です。 自分には何年も付き合って大親友とも言える仲の良い友達がいます。 その友達とは趣味があって、ノリも良くて、お互い一緒にいて居心地もいいです。でも友達は家は近くとも生きてる世界は果てしなく遠い別の世界の人間だと思うレベルで価値観が違います(具体例を出すと不幸自慢にしかならないと思うのでやめときます。) 別々の高校に入るし、こんだけ考え方が違うんだから、そのうちもう関わらなくなるんだろうなと思っていますが、友達はルームシェアしたいとか、同じ職場で働きたいとか脳天気なことしか言ってません。本当に違いすぎます。 それ故どうしても自分と友達を比べてやれ自分はこんな思いしても頑張ってるのにとか、そんなくだらないことでぐだぐだ言わないでほしいとか感じてしまいます。本当に自分のそういうところが嫌になります。 どうしたら比べずにすみますか。

みんなの回答

  • yuzu7x1
  • ベストアンサー率19% (268/1355)
回答No.6

劣等感はバネになります。 別に嫌ならルームシェアしなればいいだけの事。 無論良い奴で断る理由も無いだろうけれど、プライベートはお互い干渉しない方がいいです。 ご友人は恵まれていると思いますが、幸せかどうかはその人のみぞ知ります。また、今はまだ比較対象が生活水準や異性ウケとかになると思いますが、まだまだお互い親の恩恵によるものでしょう。これからが大人の男としての腕の見せどころになります。 比較はダメ、不幸になると世間が口を酸っぱく言ってますが、自分で5回くらい「なぜだめか?」掘り下げて考えていいと思いますよ。 私は比較する理由が、他人の不幸は蜜の味だからだと思います。他人が不幸ということはきっと原始時代こちらの食料の取り分が多くなることを意味したのではないか?と考えたからです。

  • karawane
  • ベストアンサー率18% (263/1393)
回答No.5

例えば、 「自分のことを、この世の誰とでも比べてはいけない。        それは、自分自身を侮辱する行為だ。  (William Henry "Bill" Gates Ⅲ:マイクロソフト創業者・慈善家)」 のように、自身を蔑むような方向での比較は、しない方が 賢明ではないかと思われるのですが、自身の発奮材料に なり得る比較ならば、宜しいのではないかと 思います。 でもまぁ。 全国模試 & 全国テストで、常に、トップ・テンを キープするような勉学水準の他に、 スポーツ・美術・音楽etc.でも、 顕著な活躍をし続けるなど、自身の多方面での 才能を研き続けていれば、比較等とは 無縁で、いられる筈です。 リケジョの相談室/ ゆばしおり の、you tube 動画をアナタ様の参考にするなどして、 大きく羽搏いてくださいませな!! Buon Divertimento!(=Have Fun!=怡しんで!) Ciao.

回答No.4

比べるのは他人ではなく昨日の自分と今日の自分。 それが明日の自分の糧になる。 それが成長する。と言う事です。

  • kaitara1
  • ベストアンサー率12% (1154/9141)
回答No.3

土俵というたとえはどうなのでしょうか。土俵は人が作るものです。自分では作れません。お相撲さんもすべてが関取になれるわけではありません。しかし色々な進路があります。土俵に執着しない生き方のほうが良いこともいくらでもあると思います。

  • nakama08
  • ベストアンサー率48% (110/225)
回答No.2

貴女様がいうように不幸自慢したいってどっかにあるのかな?って思っちゃいます。自分に自信がなくてさ、自分なんてって自分のこと、不幸にしてやっばり私って不幸よねって愚痴を言いたいんだと思います。 自分に自信をつければ比べることはしないですみます。だけど、育った環境が違えば自信なんてそう簡単にはつきません。嫌なのは、比べてしまうことではなくて、不幸なこと、自分に自信がないことかな。それって誰のせいって考えてみるのもいいかもです。貴女様のせいではないので自己嫌悪はやめてくれると嬉しいな。貴女様に自信をつけてくれなかった、ありのままを褒めてくれてないひとがどこかにいるはずです。貴女様は、すぐ自分のせいにするクセがついてしまってます。子供の頃からのそういうことされてるとね、みんな自分の せいにしちゃうんだ。自分が悪いから褒められないんだってさ。 その原因がわかるだけでも第一歩かな。

  • blazin
  • ベストアンサー率50% (20251/40149)
回答No.1

比べ疲れるまで比べても良いんだと思う。まだあなたには比べたいと思う欲がある。それを使い切って初めて、比べても無意味だ(疲れるだけだ)という足元に立てる。無責任に言う訳じゃ無いけれど、もっともっと比べても良いんだと思う。「大」親友と言える存在に人生で何人会えるか?既に15歳にしてあなたその存在に巡り合えている。もしそのお友達がただの仲良し(ノット大親友)なら・・・実は今のような比べてしまうストレス&苦悶も発生しない。厄介なのは、「大」親友の「大」だったりする。その思い入れの強さ(大)が、心の捻じれを生み、それが比較を生んでしまう。大という巨大な感覚の中で、違いのある二人を縛ってしまっている。土俵が違う時点で実は比較の対象にもならない。それぞれの価値があり、優劣は存在しない。でも、あなたはそのお友達を「大」親友という言葉で括ってしまっている。その括りが、本来発生しないはずの比較を生み出してしまう。違うはずの相手を自分に引き寄せてしまう。その引き寄せの力も実は、大親友の「大」が生み出している。そんな今の比較のメカニズムを客観的に理解出来ると、抱えている苦しさの質はかなり変わってくる。今のあなたに一番必要な目線だったりする。ゆっくりと深呼吸を。「大」親友故に、関係性の醍醐味も「大」きいなら、向き合う際のエネルギーや消費カロリーも実は「大」きい部分がある。今はストレスのような感覚もあるのかもしれないけれど、成長したあなたが今の自分を思い出したら、必ず良い思い出になっている。大親友と呼べる相手と絡んだ日々は忘れる事が無いから。当時(今)は上手く消化し切れず苦しかった感覚も、成長した自分として思い出すと素直に受け止められたり。悩んでいた自分さえ愛しいと思えたり。勿論大親友と呼んでいる相手の事も。今はピンと来なくても、数年後のあなたには理解出来るようになっている。今はそういうものなんだとふんわりと理解して、自分自身の心を整えてみる。大切にしてみて☆