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困っていないのに優しくする
「優しさ」とはなんなのでしょうか? 例えば公共の場では知らない人でも「お年寄りに譲る」とかは、もう二度と会わないような人でも一応優しくする空気はあるでしょう。 これから先も関わるような関係性の場合、どの程度助けて、どの程度関わらないかというのは正解が無い気がしますが ただ、私の個人的な感覚、一応表面上は心配しても助けない人のほうが多いように感じます。 (たぶん、本当にヤバい出来事なら警察や救急や医者が助けないといけないから?) 優しさと冷たさって紙一重な気もします。
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- 濡れ猫のミコ(@nurenekonomiko)
- ベストアンサー率20% (192/930)
a) 問題は、神に特に愛されている人の存在です。万一このような人がいても、周囲は気付かないか、あるいは、単に変人と思うかだろうと思います。それで、この人に関わらないようにしていると、神に見とがめられ、未来の運命に暗雲がたちこめる恐れがあるのです。 b) 神を怖れる気持ちがある人なら、a) のような事態はできるなら避けたいので、とりあえずどんな人にも親切にしておこう、となるのです。神に呪われるのは厄介過ぎますからね。 c) もちろん神を信じないかたは、b) のような心配はしないのでしょうが、けれども、神が実在し、特定の個人とコンタクトする可能性は0ではありません。この可能性が0であると言い切れれば善いのですが、言い切れる人はいないでしょう。そして、神に愛されている個人に不親切にしたために、神に呪われれば、その弊害は計り知れないので、理性のある人なら、このような可能性を避けて、誰にも親切にせざるを得ないのです。
- karawane
- ベストアンサー率18% (263/1394)
私は、或る時、 白杖をもった人に安易に声を かけるのは宜しくないことを 知りました。 他、〈気配り〉〈思い遣り〉などは、 多くの場合、〈要らぬお節介〉で あったりしますな。 優しくしたいのであれば、 「ユニセフ」に、多額の寄付をしたり、 地域の「肢体不自由児施設」等の、 福祉施設に寄付することや、ホームレスの 人達のための〈炊き出し〉に参加することを、 お勧めしたいです。 白杖をもった人に安易に声を かけるのは、その人にとって 大迷惑なケースがある……という 理由を知ってみませんか。 以上、お望みの回答に成りませんが 参考まで!! Buona Fortuna!(=Good Luck!) Ciao.
- sakura-333
- ベストアンサー率10% (952/8905)
やはり戸籍上の家族とは違うというか、他人の入り込める領域なんてほぼ決まってますからね。 仮に家族と疎遠であっても、お金が絡んでくれば色々と… 私の身近に「金やってる」とか陰で言って自尊心を満たしてる無職がいますが、当然ビタ一文出しません…というか出せません。 他人とはそういうものだと思います。 仰る通り最後は専門の機関になってくるんじゃないでしょうかね。
- nakama08
- ベストアンサー率48% (110/225)
優しさと冷たさは、紙一重ですよ。基本、自分になんの利益にもならない人には冷たいですからね。さらに優しい人は、相手の気持ちにまで入り込んでいたわってあげますけど、ここまでして我慢を積み重ねて尽くしてもその見返りがなければ嫉妬して恨んで怒りますから。人間って怖いですよ。