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ネット スマホが無くても不便では

今さっきBSで映画「男はつらいよ」を家族でみました これは昭和の時代の映画です この当時は、今のようにネットやスマホはありませんでした 私の親が この頃はスマホなんか無かったけど特別に 生活が不便だなんて思った事無かった 今は便利になりすぎてしまって ちょっとスマホとかなくなると不便だ不便だと大騒ぎする 昭和時代にはスマホ無かったけど今よりもっと情緒とか人間的な繋がり とか今よりもっと合った気がする 今は便利になりすぎた反面、そういうのが希薄になってしまったんではないか 結果的に変な事件とか精神疾患が増えたのではないか と言ってました 昭和を体験した世代の皆さん 昭和のスマホが無かった時代 毎日の生活が不便だなーと感じた事 ありますか?

みんなの回答

回答No.18

今みたいな世の中になるなんて考えてもいなかったです。 僕の昭和末期生まれは、 テレビドラマや歌番組は、VHSテープでGコードで録画し、何回も消しては重ねて使った、※S-VHSなんてあってね。 うちの親の世代は、レコーダーも無かったので、その場にいなければもう終わり、 今は、YouTubeで、一瞬で自分の観たいのが観られますからね。

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1512/3682)
回答No.17

これは微妙ですね。 回答者は昭和50年代前半に就職しましたが、大学生時代も含めて、人との連絡を取る際の不便さは痛感しました。スマホどころか携帯電話もない時代、学生で下宿やアパートに固定電話を引いている人は少なかったからです。(大学生時代には、4年生になったら下宿(アパート)に電話を引いたほうが良いと言われ、そうしました。携帯電話も電子メールもない時代、就職関係で連絡を取りやすいからというわけです) 駅には「伝言板」という黒板(白板)があり、待ち合わせに来ない相手に向けて「先に行く○○」などと書かれていた時代です! 就職すると充電式のポケベルを貸与されました。これはディスプレイなどはなく、ただ鳴るだけ(それも止めても3回)のものでしたが、先輩たちは「このおかげで夜、飲み屋をはしごしてもいちいち居場所を連絡しなくてもよくなった」と言っていました。 ただこのポケベルの充電は1日しかもたず、夜遊びをして帰宅せずに出勤すると2日目の午後には「ピュー」という情けない音が出て使えなくなりました。携帯電話はまだなかったので、移動中にポケベルが鳴ったら公衆電話で連絡する必要があり、外勤の場合は多数の十円玉を持っておけと教えられていました。 その後バカでかい肩掛け式の「携帯電話」などを経て、定年前には職場からポケットサイズの携帯電話を貸与されるまでに変化しました。福沢諭吉のいう「一身にして二世を経る世代」かもしれません。「アナログの世」と「デジタルの世」の二世を生きたのです。 ただ「アナログの世」には不便なことも多かったけれど、それは「ネット・スマホがなかったから」と言うこととは少し違うと思いますね。当時スマホのようなものが実用化されるとは思いつきませんでしたから…。 スマホ時代の現代は世界中の人が「一対一でつながれる手段」「世界中に発信できる手段」を手に入れた最初の時代だと考えます。昔はアジビラ・パンフレットや立て看板、新聞・雑誌への投書などで、限られた範囲にしか発信できなかったことが、クリックひとつで世界中に発信できるようになりました。ただ、それと引き換えに「人と人との対面によるつながり」が希薄になっているように見えるのはなんとも皮肉なことです。

noname#258718
noname#258718
回答No.16

回答No.9ですが、回答の修正です。 × インターネットやスマートフォンが問題になるのは、”核家族”での話かと。 〇 ここで問題になるのは、ネットやスマホではなく、”大家族と核家族”ということかと。 ※本当に、スマホって、便利なのでしょうか?  一応、買い換える前のスマートフォンに、SIMを入れ替えれば、そのスマートフォンは使えますが、全然、便利ではないです。  そして、そのスマートフォンにしていなければ、私の父は、まだ生きていて、あと10年は”長生きできた”と確信致しております。  そういう意味からも、非常に”不便な道具”です。(><; あと、私は、「フーテンの寅さん」は、観ないのですが、その後継映画とされる『釣りバカ日誌』は、何回観ても、新鮮で、引き込まれます。  これは、一体、何故なのでしょうか? 想像しますと、『釣りバカ日誌』では、もしスマートフォンがあれば”大活躍”するのではないか、と思います。非常に”便利な道具”です。(便利過ぎるかも。笑) しかし、決して、情緒とか人間的な繫がりは希薄にはなっていない、と、私は思います。(道具は、使い方次第、・・・。なんとなく・・・  

  • mt_mh
  • ベストアンサー率24% (284/1158)
回答No.15

令和5年の今、私はスマホを持っていませんが不便を感じたことはありません(何が不便なのか想像もできません)。 昭和のことですが、良き時代だったと思います。

回答No.14

 思い出したのは、まだ携帯も持ってない頃、車で山の方へドライブをした時に、途中で降りて、またドアを開けようとしたら、キーの電池切れで開かなくなった時。  車は使えないわ、山で連絡は取れないわ。何か相当歩いて、家か公衆電話を見つけた気がします。  まあ確かキーを差し込むとか何らかの自分で解決する方法もあったかと思いますが、緊急時の連絡方法としての不便さはあったかと。  そういうことでドラマの緊急時なども、昔と今で変わってきましたが、最近では、緊急時にスマホで連絡しようとしたら、「電池切れかよ!」とかよくありますが、ちょっとそれはどうなんだろうと思います。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11204/34805)
回答No.13

今の生活に「不便」を感じますか。あんまり感じないと思います。これが普通だと誰もが思っているから。 でもきっとあと30年後は「30年前はあんな不便なのによくやってたよね」って思うのではないでしょうか。 昭和と一言でいっても、仮に戦後からくくったとしても、昭和40年と60年じゃあだいぶ世相も利便さも違います。 子供の頃の記憶では、小包が2週間かかるのが当たり前だったのは不便だよなと思いましたね。ヤマト運輸が全国に普及するまでは、郵便小包は2週間くらいかかるのが当たり前でした。今思うと、いくら昭和とはいえ1週間ならまだしもなんで2週間もかかったんだろうと思いますけどね。 だからヤマト運輸が最短翌日配達と聞いたときは子供心にウソやろと思いました。そして実際に次の日に来たときは心底びっくりしましたね。 「男はつらいよ」で価値観が変わったよなって思ったのは、第何作だったか、父親が亡くなって母親を探しに寅さんを頼りにして「とらや」にやってきた子がいるんですよね。そして寅さんと一緒に母親を探しに行く旅に出るのですが、とらやにやってきた坊やに対して、おばちゃんが「本当は施設に預けるべきなんだろうけど、そんな残酷なことはできないよ」といって泣くんですよね。 当時は身寄りのない子を施設に預けるのは「残酷なこと」だったんですよね。今の人には理解できないでしょうね。

  • nagata2017
  • ベストアンサー率33% (7026/20697)
回答No.12

スマホと関係ないけど 乗った列車が蒸気機関車だったら トンネルに入る前に窓を閉めないといけないのが不便だった。 うっかりすると車内が煙で充満して トンネルから出るまで大変。 朝の通学が蒸気で 帰りの昼間はディーゼル機関車だった。

  • 5mm2
  • ベストアンサー率9% (332/3331)
回答No.11

人間、誰しも「楽を知る」と、後には戻れないものですね。

  • Kaneyan-R
  • ベストアンサー率42% (1370/3195)
回答No.10

不便とは感じません。それが「あたりまえ」なのだから。 有るものが失くなると人は「不便」と感じますが、そもそも無いものは「有ったら良いな」とは思っても不便とは思いません。だって使った経験が無いのだから「便利とも思わない」のでね。

noname#258718
noname#258718
回答No.9

映画「男はつらいよ」で、スマートフォンを持っている少年を登場させたら?  当然、寅さんは、「おっ、それは、何だ? スマートフォン? ほお、どれ、面白そうだな、貸してみろ」  少年:「ダメダメ」 寅さん:「何でだ? 貸してみろ、貸せ!」  少年:「ダメと言ったらダメ」 寅さん:「いいから、貸してみろ!」  といった感じで、全然、違和感はないかと。 ”とらや”は、お店で、大家族。  どうして、ここで、インターネットやスマートフォンが問題になるのか、分かりません。  インターネットやスマートフォンが問題になるのは、”核家族”での話かと。  大家族と核家族。 核家族化は、昭和の頃から、問題になっていました。 ※ちなみに、私は、スマートフォンを持っていませんし、インターネットも、月に数回程度しか見ません。(ウソで満ち溢れているインターネットを眺めても、・・・・。<(_ _)>

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