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新幹線の碓井軽井沢
新幹線の高崎軽井沢間について。 急こう配で有名ですが、高崎から安中榛名を越えて松井田町県道33号線までは必死に標高を稼ぐべく尾根のそばを通ったルート選定が地図から読み取れます。 この先さらに北に膨れて軽井沢直前でキューカーブして軽井沢駅に入るわけですが、このあたりは霧積湖の北をかすめるくらいのルートで良いように思えますが、これだけ北に膨れたのは何があったのでしょうか? 軽井沢のすぐ東で猛烈な急カーブがあるからにはそこにやばい地層か何かがありそうにも思うのですが、でもそこって信越本線が昔走ってたのですよね?
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「高崎から軽井沢まで勾配30パーミル(以内)で登り切るためには距離が必要だったから」ですね。 質問者様がお考えのルートだと勾配が30パーミルを超えてしまい、登りきれなくなる可能性があります。 その辺は下記リンクが参考になるかと。 参考 http://ktymtskz.my.coocan.jp/sinkansen/nagano.htm https://japonyol.net/editor/article/structure-alignment-usui-pass.html 以上、ご参考まで。
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- nagata2017
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グーグルマップで航空写真のほうを見たほうがわかりやすいと思います。 航空写真では山や谷があるのがはっきりみることができます。 標高の高い尾根や谷が連続するルートは鉄道にむきません。 トンネルや橋梁をたくさん作らないいけなくなり工費と工期が大幅に膨れ上がります。 遠回りしても標高差の少ないルートを選んだのでしょう。
お礼
どちらも険しい山でほとんど長大トンネルですしそう変わらないように見えるのですが。 ご回答ありがとうございました。
- chiychiy
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こんにちは 単純に急こう配になっていて 信越線は横川駅でスイッチバックしていたからだと思います。 それと工費の関係ではないでしょうか? そのスイッチバックの連携をする間に横川の釜めしを乗客に 販売していたのです。 そこを避けて新幹線を開通させたのだと思います。 >分断され、バスのみとなったこの横川駅。当時は「アプト式」と呼ばれる、歯のついた車輪とレールを噛み合わせる特殊なシステムでグイグイ登っていました https://estate.towner.jp/cl_kruizawa_yokokawa/ http://ktymtskz.my.coocan.jp/sinkansen/nagano.htm >鉄道公団内でいろいろの調査が行なわれたが、新幹線で勾配を12‰にすると軽井沢を通過するためには高崎-軽井沢間の高低差が840mもあり、距離は約40km位しかないため、線路を大きく迂回させて距離をかせぐには70km位の長さの線路を造る必要があり、そのため工費もかさみ、運転時分ものびて新線を建設する意味が薄れてしまう。 そのため公団側は当時の沢山の比較案の中から最終的に高崎を出てから左折して松井田駅の上空を橋で通り物見山から佐久方面に抜ける案で決めたいと考えていたが、これでは列車は軽井沢駅に寄らないので、この新幹線を運営する立場の国鉄側からは年間80万人もの観光客のある軽井沢を通さない新幹線には協力できないといった強い要望が出され、公団はその解決策に苦しんでいたのである。そこで私は何とか工費も安く、軽井沢に寄れる案がつくれないかとあれこれ思案した訳である。 https://medium.com/@sotsuhico/%E4%BF%A1%E8%B6%8A%E6%9C%AC%E7%B7%9A%E6%A8%AA%E5%B7%9D%E9%A7%85-%E8%BB%BD%E4%BA%95%E6%B2%A2%E9%A7%85-a38d64b432f4
お礼
ご回答ありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございます。 北を回り込む理由は距離を稼ぐためで説明はつかないこともないのですが、 ただ遠回りしたいだけならカーブする理由にはなっても急カーブである必要が無いのですよねえ。