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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:楽曲「うっせえわ」に見る日本人の不寛容さ。)

楽曲「うっせえわ」に見る日本人の不寛容さ

このQ&Aのポイント
  • adoさんのデビュー曲「うっせえわ」は、コロナ禍の鬱屈とした世の中に風穴を開けるセンセーショナルな歌詞で一気に話題となった。
  • 「うっせえわ」の歌詞は社会への不満や憎悪を具体化したものであり、日本人の不寛容さが浮き彫りになっている。
  • 現在の日本では賛成派と反対派で分断が起きることがあり、異なる意見を持つ人を排除する傾向がある。建設的な議論ができるようにするためには、相手の意見を尊重し、寛容な態度で接することが必要である。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • Paravati
  • ベストアンサー率26% (75/287)
回答No.5

今の時代は、二分化、分断化の時代といえます。 いいか 悪いか、白か黒か、若いか年寄りか、有りか無しか、宗教をするかしないか、そこの領土は自分の物か他人の領土か 等々 挙げればキリはないのですが、要は二つの意識しかなく、どちらかしかない という意識の在り方、考え方です。 これは何千年と続いてきたものの考え方ですが、そろそろこれが古い考え方である という事に、人々が気がつき始めています。 貴方様もそのお一人でしょう。 これからは 統合していく、いいも悪いも併せて抱えていく、そういう時代になっていくのです。今はその過渡期 なので、色々と問題が勃発します。 因みに 私は この「うっせわ」の曲に関して言いますと、そもそも歌詞、言葉の汚さがとても不快です。 自分の不満を汚い言葉や単語を並べて、主張することを 自己主張の表現であるのが何が悪い?と歌っているのですが、実に下品で思い上がった表現だと思います。勿論 作者の方のその裏にある 意図は解ります。 ですが、このような不遜な態度ですと、皆 嫌悪感を持つことは否めないですね。思い上がり、天狗のハナはすぐにポキリと折れ易いのですよ。

spr_ngtv
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >自分の不満を汚い言葉や単語を並べて、主張することを 自己主張の表現であるのが何が悪い?と歌っているのですが、実に下品で思い上がった表現だと思います。 まさにあなたのおっしゃる通りだと思います。世の中の動き、特に政治に関して口汚い言葉で批判を繰り広げる方が最近になってどんどん増えているように感じます。 言いたいことは決して理解できないわけではないのですが、私としては 「もう少し言い方を考えましょうよ…」 と思うのです。「精神的に弱すぎるアンタが異常なんだよ!!」と言われそうですが…

その他の回答 (4)

  • SI299792
  • ベストアンサー率47% (774/1618)
回答No.4

 そのように解釈しましたか。私は単に「干渉しないでくれ」と言っているだけと思いました。干渉してくる大人に、悪態をついているだけ。若者に干渉しなければ対象外。  私の経験ですが、一時期無職で安アパートに住んでいました、中には生活保護受給者もいました。私は生活保護受給者から無職であること馬鹿にされ、暴力を受けたことがあります。これ耐えられますか❓、そいつに対しては 「くそじじい」「生活保護を受けているくせにの癖に偉そうにするな」「俺はお前より偉いんだ。敬語を使え」等悪態をつきました。あいつは頭がおかしいと思います。  別に生活保護受給者を馬鹿にしているわけではないので、他の生活保護受給者には、敬語を使いました。そんな内容だと思います。  寛容になるには、「うっせえわ」を認めることだと思います。これは単なる歌詞だと割り切る。いちいち歌詞の内容を取り上げ否定するのも、不寛容だと思います。  綾小路きみまろさんは、中高年を馬鹿にしているのに、中高年に受けています。これこそが寛容ではないでしょうか。(みんな自分のことだと思っていないから笑う、と言っていました)  現在59歳。「うっせえわ」好きです。未だに「うっせえわ」と言う側だと思っています。そのくらい図太い方が、人生楽しいです。

spr_ngtv
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >私は生活保護受給者から無職であること馬鹿にされ、暴力を受けたことがあります。これ耐えられますか❓ 私にはちょっと耐えられそうにないかもしれないですね…そんな状況でも心が折れることなく自分を持ち続けられるようになりたいです。 私自身も精神的な図太さを持てば、自分のコンプレックスを気にしなくなり、「うっせえわ」の歌詞も受け入れるようになるのかと思います。

spr_ngtv
質問者

補足

>寛容になるには、「うっせえわ」を認めることだと思います。これは単なる歌詞だと割り切る。いちいち歌詞の内容を取り上げ否定するのも、不寛容だと思います。 確かに、「うっせえわ」の歌詞を受け入れられない私の方が不寛容である、というのは私自身も理解できます。私の方こそ器の狭い人間だな、とも言えるでしょう。しかし、私との正直な本音としては、この歌詞はどうしても「言葉の暴力じゃないか!!」と思ってしまうのです。私がコンプレックスに感じるところを煽ってくる、まるで 「心の傷にハバネロを塗られている」 ように感じてしまうのです。 精神的に弱すぎるのが「うっせえわ」の歌詞を受け入れられない最大の要因だと私は思うのですが、精神的な強さを持つにはどうすれば良いのでしょうか?

  • yaasan
  • ベストアンサー率22% (2725/12280)
回答No.3

>私としては「なんて不遜な態度なのだろう」と思うのですが…あなたの意見をお聞かせくださいますでしょうか? 振り返って、自分たちが若者の時は、って事だと思っています。個人的に自分は「大人」に対して、へりくだっていました、って事もあるだろうと思いますが、大きく世代で見れば、学生の時の教師に対して、社会に出たら、会社の先輩・上司に対して、面と向かってではなくても悪態ついて、「あんな人間になりたくない」って騒いでたと思います。実際、自分がその年齢に達して、当時の事をどう思うか、意外とその様な大人になってた、って事じゃないかと。だから、世代を超えて共感されたのだと思いますよ。

spr_ngtv
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 つまり、この曲は大人になった自分が、反骨精神むき出しだった若い頃の自分を思い返しているさまを歌っている、ということですね。 確かに今の日本は、大人たちが理不尽に世の中にはばかって若者を虐げているという側面もあります。「うっせえわ」という曲に見られるような若者たちの声を大人たちがしっかり受け止めれば、国民同士の分断も回避できるのではないか、と私は思います。

  • yaasan
  • ベストアンサー率22% (2725/12280)
回答No.2

「うっせえわ」が実のところ、その逆の歌詞だと思うんですけどね。若い世代の不満をまき散らすような事を言って、それなりのポジションにしかつけない「大人」に毒を撒いている内容ですが、その本人に実力があるかといえば・・・、それだけ言える努力をしているかというと・・・。って事かと思います。言われてる方も若い時には同じような事を思っていた。だけど年を取ってみれば・・・、という内容じゃないかと思うんですよ。だから、ヒット曲として、あれだけ売れたんだと思います。若い世代だけに響いたなら、あそこまで売れないです。 建設的な議論、分断、不寛容。これらの解消には間違いなく今のマスゴミの消滅が必要でしょうね。正しいジャーナリズムだと叫んでいるようで、自分らの都合で偏向報道をずっと続けている大手マスゴミ。こいつらに踊らされて、上記のような状態に陥ってるだけだと思いますので、どんな問題にも鋭く突っ込んでいくマスコミが成長して、現在ある大手マスゴミが殲滅されると世の中も随分と良くなるんじゃないかと思います。

spr_ngtv
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 今の日本はとにかく不寛容な社会になっていると言われていますが、私としてもメディアの影響が大きいと思います。 >正しいジャーナリズムだと叫んでいるようで、自分らの都合で偏向報道をずっと続けている メディアによってニュースの解釈が違うというのは仕方のないことなのかもしれませんが、ずっと政治批判ばかりを続けるメディアには私も疑問に思います(口汚い言葉で批判を繰り広げるものもあり、情報を受け取るこちら側も気が滅入ってきます…)

spr_ngtv
質問者

補足

>若い世代の不満をまき散らすような事を言って、・・・(略)・・・、だけど年を取ってみれば・・・、という内容じゃないかと思うんですよ。 確かにそのような歌詞の解釈もできると思います(特に歌い終わりの「アタシも大概だけどどうだっていいぜ問題はナシ」の部分)。 だとしても、本来は敬うべき大人に対して「一切合切凡庸」とか、「顔面にバツ」をつけるなどというのは、私としては「なんて不遜な態度なのだろう」と思うのですが…あなたの意見をお聞かせくださいますでしょうか?

  • dedypraja
  • ベストアンサー率40% (88/219)
回答No.1

まず、adoさんの曲「うっせえわ」が不寛容さを象徴しているとは限りません。歌詞には、社会の抱える問題や若者の悩みを率直に表現し、それに対しての不満や怒りを吐露しているとも解釈できます。ただし、歌詞の中には攻撃的な表現や偏見を含んでいる部分もあるため、それが不寛容さを助長する一因となっている可能性はあります。 さて、賛成派と反対派で差別することなく、建設的な議論ができるようになるには、まず相手の意見を尊重する姿勢が必要です。自分の意見に対して異論を唱えられた場合には、相手の意見にも耳を傾け、その背景や理由を理解することが大切です。また、議論においては、互いに相手の意見を理解し、共通点を見出すことができると、より建設的な議論につながるでしょう。 更に、差別や偏見を排除するためには、相手を一次元的に判断せず、多様な視点を尊重することが重要です。人々は異なるバックグラウンドや経験を持っており、それが違う意見や価値観を生み出します。そのため、議論においても、相手の背景や経験にも目を向け、多様性を認めることが大切です。 最後に、私たち一人ひとりが、自分自身の偏見や固定観念についても常に振り返り、自己成長を続けることが必要です。差別や偏見は、自分自身にとってもマイナスになることがあります。自分自身がよりオープンで寛容な姿勢を持ち、他者にもそのような姿勢を示すことが、より建設的な議論や社会の発展につながるでしょう。

spr_ngtv
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >自分の意見に対して異論を唱えられた場合には、相手の意見にも耳を傾け、その背景や理由を理解することが大切です。 私としても、自分の意見とは対立する意見を持つ人に対しては、まず「なぜそのように考えるのか」というところを理解することが大切だと思います。しかし、そうした背景を理解することなく、対立する意見にはそれこそ 「うっせえ うっせえ うっせえわ」 と一切聞く耳を持たずに切り捨てる、という人たちが多いように感じます。

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