ないですね。
それからいくつか、質問者さんが誤解していることを指摘したいと思います。
まず、嫌われるメリットについて。
ごく一部の人たちは、ある種の心理的安全を感じることができるかもしれません。
人間の中にはコミュニケーション能力が生まれつき低いために他人と軋轢を起こす経験を繰り返していたり、虐待されて育ったりで、
「人から嫌われる状態のほうが『いつもの状態で安心できる』『好かれないのではとびくびくするよりいい』という安心感を得る」タイプがいます。
こういう人たちは、嫌われる状態に落ち着くかもしれません。
しかし、これはまやかしのメリットです。
ですから、実質「嫌われるメリット」は皆無です。
集団内の人間関係が悪いと、その集団のパフォーマンスは落ちます。
聞いたことがありませんか?
集団で暴言を吐く者がいると、直接暴言を受けたものは50~60%パフォーマンスが落ちる、聞いただけの者すら20~30%落ちる。
つまり、暴言を吐く人間が平均的な能力値なら5人以上、倍の能力があっても10人以上の集団ではいないほうが良いのです。
これは暴言だけでなく、集団内の人間関係を悪化させる人間でも同様です。
そういう人は、集団内にいないほうがよいのです。
気の利いた人事であればこうしたことを知っているはずです。
つまり、わざと嫌われるような行為を繰り返すことで人間関係を悪化させるのは、会社に対する敵対行為です。
それ以外にも嫌われている人であれば、昇給や昇進の対象にしにくい、人員整理の時に対象にしやすい、これらが本人にとってメリットになり得るはずがない。
こういう行為を繰り返すのであれば、別の職場に行ったほうが良い、ということが理解できないのは愚かです。
いや、嫌われても私は気にしませんし、などとこの期に及んでも意固地になる人もいますが、無意味です。
特に、本人の望みが嫌われることではなく、「仕事とプライベートを分けたい」からであればなおさらです。
ご質問にある勘違いとはこれです。
「公私の区別をつけたい」と「職場で嫌われる」ことは全く別のことです。
私の職場にも公私の区別をつけたい人がいますが、わざと嫌われるような愚行を繰り返したりはしません。ただ、良好な関係を保ちつつ、公私を分けたいという宣言をはっきり行うことで距離感を保っています。
この2つが違うものだという区別をつけられず、目的と関係のない行為を繰り返して自分にとってデメリットしかない状態を作り出す、
そのことで要らないストレスを背負い続ける、
現在の職場環境に不満があるのなら職場での関係が薄い職場に転職するだけで済むのにそれを思いつかないあるいはできない、
ご質問の「わざと嫌われ者になる」人からは履き違えと無能さだけ感じます。
少なくとも、ぎすぎすした状態になる前に【穏便に】、話しかけてくれたことに感謝したうえで、職場では誰とも仲良くなりたくないので距離を保ってほしい、というふうに伝えればよかったのです。
この質問の人は何もかも間違っています。
しかし、誰かがまだ話しかけてくれるようですから、その人を仲介して、「話しかけてくれることはありがたいが、私は人づきあいが苦手でもあり、仕事とプライベートを分けたいので、仕事以外の話しかけはしないでくれるとありがたい」とでも伝えてみればどうでしょうか。