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「好き」の概念が一般的なそれと頻繁にかけ離れます
カテゴリ的にここが合ってるか不明ですが、一部にセンシティブな物を含むのでここを使わせて下さい。 基本的に人生相談ですが、一部に性的な要素が入る恐れがあります。 世の中にいろいろある物の中で、僕にとって「これが好き」と感じる物がいくつかある訳ですが、なぜかその概念が一般的概念と離れてしまい、実質的に共通点のほとんど無い物になってしまうことや、詳細について他の方と理解し合えなくなってしまうことが多々あります。 一体なぜでしょうか? どうしてこんなにも一般的概念から頻繁に外れるのか自分でも分からず悩んでしまいます。 例えば、一般に「男の人はミニスカートが好き」と言うと、「それを穿く女の人の魅力、特に性的魅力が好き」というニュアンスになってしまいます。 僕にとっても「ミニスカートは好き」ですが、僕にとっては「ミニスカートというアイテムを使ったファッションをしたい」というニュアンスの意味になります。 また、確かに男の人でも「ミニスカートというアイテムを使ったファッションをしたい」という人がいますけど、その多くの意味もどっちかというと「女装をしたい」「女の子の格好がしたい」「ミニスカートが女の子の服だから着てみたい」という意味合いが強い人が多いです。 僕の場合はそっちじゃなくて「そもそもミニスカートがメンズファッションだったらいい」「男の人が着ても絶対かっこいいはず」「あくまで男として、女に負けないぐらい脚線美をアピールしたい」というニュアンスが強いです。 変な話、「女装がしたい」人にとっては「ミニスカートが女の子の服である」ことを前提にした愛情なのに対し、僕の場合は「ミニスカートは女の子の服のみでなければいい」という希望を前提とした愛情なので、愛情が逆向きになっていて一番最悪な関係になりやすいです。 他に好きな話に関してだと、ここらで水着フェチの話をしてみたいです。 多くの男の人はスクール水着が好きですが、この場合のスクール水着とは基本的に女の子の水着のみを差し、また厳密にその好きな対象も水着本体ではなく、女の子が好きというところを中心に、水着というセクシーなアイテムをオプションとして付けたいという意味だったり、スクール水着だと未成年の少女を想定させることでの、一種のロリコンの延長だったりすることが多いです。 また、男の水着が好きな人も多々いますけど、それの多くは同性愛の延長で、水着本体というよりは着ている男の人の身体に性的な興味があることの延長であって、前述の女の子のスクール水着が好きなのと実質的な差はありません。 僕も水着、特にスクール水着は好きですが、僕にとっては着ている人云々というよりは、自分で着るために好き、というニュアンスが強いです。 着られる物、着てみたい物という括りに入っていれば、男用水着女用水着問わないです。 また、自分で着る以外で、誰かが着ている画像を見て楽しむ場合であっても、着ている人への性的興奮という気持ちはあまりなくて、故に着ている人がエロいかどうかじゃなくて、その水着が着てみたいと自分で感じるものかどうかで結局の所好き嫌いが決まっていく感じです。 だから、恐らく同じ「水着フェチ」というカテゴリであっても、実態が全然違うし、恐らくこの両者は絶対に相容れないかなと思いますし、この相容れなさと、一般的概念からズレているように感じるのが自分の側のように感じて、結構ストレスに感じています。 他にもいろいろ好きな物ありますが、大体この図式で一般的概念と差が生まれる感じがします。 どういうわけかこういう状況に結構高頻度になってしまいます。 みんなバラバラだよね、十人十色だもんね、という状況なら、もちろんその通りだと思うし諦めもつくことが多いです。 しかし大体、自分だけが一般的概念から外れた所に毎回入ってしまうパターンが多く、この状況にストレスを感じます。 なぜこんなズレを生んでしまうのでしょうか?
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- moritaroh
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https://www.esmodjapon.co.jp/column/knowledge/skirt スカートと言うとスコットランドの民族衣装を思い浮かべますが、起源は古代エジプトのようですね。 また、南方の国々では、現在でも男性がスカート(と言うより古代エジプト同様の腰巻き的なもの)を着用する風習は残っているようです。 ゼルダのリンクやファイアーエムブレムのマルスなどは、そもそものゲームの世界観が北欧や古代ヨーロッパのイメージをベースとしているので、登場キャラクターの衣装もそれに合わせているのでしょう。 ちなみに私は、ファイアーエムブレムではカインがお気に入りでした。みんなアベルばかり使うので…。そう言えば、マリクなどの魔導士も短めの丈のスカートとローブが一体化したような衣装でしたね。SFC版のエクスカリバーのグラフィックでは、風が吹くとスカートがたなびく感じが、よく表現されていると思います。 はい、またちょっと余談が過ぎましたが、スカートの歴史から考えると、馬に騎乗するなどの際に、確かに不都合があり、ズボンのような形態になったのは頷けます。 しかし、おそらく古代〜中世にかけて、布は今ほどには薄手ではなく、また伸縮性もあまりなかったでしょう。ですから、歩兵はズボンでは足の動きが妨げられてしまい、そのため丈が短いスカートのようなものになったのではないか、と。 ですから、男性のスカートは一種の機能美ですね。 リンクやマルスは、そのあたりが、世界観などの背景に忠実なのかもしれません。 では女性のスカートは…? と言うと、 中世ヨーロッパで流行したスカートは、明らかに動きにくいはずです。 なぜなら、先程の布の重さの問題もありますし、ワイヤーのようなフレームでフワッと広がる形をつくっていたわけですから、当然『見た目には華やかだが機能性は低い』こととなります。 さまざまな見解がありますが、古代中国での纏足と同様、女性に「見た目の美しさや華やかさ」という価値を与える反面、女性の身体的自由を拘束していた…とも考えられます。 要は、スカートを流行らせれば、女性は動きづらい服装をすることとなり、反して男性は行動の妨げになるものをが少なく、女性を支配できる、ということです。 引用した記事にもありますが、女性のスカート丈が短くなったきっかけは、ココ・シャネルです。 ココ・シャネルは、女性の自立や自由をモットーとし、またその方法として「女性を男性化させる」のではなく、女性的な衣服を機能性の観点から再構築しました。それがスカートの丈、です。 ですが、言い換えれば、ココ・シャネルによって、スカートは女性のものである、という概念も強まったと言えます。 そもそも、ココ・シャネルの時代でも、民族衣装などに男性のスカートはあったわけで、それらは概ね、丈が膝〜ふとももくらいの、ミニスカートであったと言えます。 なので、ココ・シャネルが、女性ならではの衣服の機能美としてスカートの丈を短くしたことは、スカートの丈を男女で同じくした、とも言えます。 ですから、ある意味で「女性の男性化」として矛盾したものにもなっている…のかもしれません。 さて、スカートの話になりましたが、価値観や概念というのは歴史的なもので、長いものは古代から連綿と続いていながら、しかし、短いものでは、せいぜい100年程度のこと、とも言えます。 もっと短く、10年くらいの単位で切り替わっていくものもあるでしょう。 私は、価値観や概念に縛られず、自由に服装や趣味を楽しむことに賛成します。願わくばそういった人がもっと増えてほしいですが、そのためには、自由に楽しむ人が自信を持っていくしか方法はありません。
- moritaroh
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>スカートは膨張色の暖色系にし、黒や紺など暗めで足が細く見えるようにした方がいい 黒や紺というのは、タイツやストッキングの例です。
お礼
ありがとうございます。 あー、ここは僕とは違うけど、まあそんなこともありますよね。 僕はむしろスカートや服は、青系の色が多く、タイツやストッキングはほとんど穿かないのですが、どうしても穿く場合は白系にしている気がします。 僕の場合は暖色系というよりは、色のベクトル的に女性的な色か男性的な色かで言うと、比較的男性的かな?という根拠です。
- moritaroh
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競パンの話に逸れてしまいましたが、greenlinkさんの競パンに対する愛着(スクール系の脇幅太め)は理解できますよ。 私も、別に小さければ小さいほど良い、とは思いませんし、その日の気分や泳ぎに行く場所で競パンのタイプを考えます。 競泳プールで2時間くらい泳ぐなら、ホールド感が強くもっとも泳ぎやすいと感じる小さめのサイズで、海などで日焼けが目的であれば同様です。 ただ、海で泳いだりして長時間遊ぶことがメインなら、もう少しゆったりした形のものを選びます。この場合、下着で言うならブリーフのような、脇幅が太い形のものの方がリラックスできます。例として、arenaのVタフのような形ですね。 arenaのVタフは、オリンピック金メダリストの北島康介さんが、スパッツ型やボクサー型が主流になっていくことに対し、ビキニタイプの競泳水着(特に練習用として)を開発してほしいという要望でできあがった、とか。 ただ、私は、アイテム単独では、デザイン性などに心惹かれますが、(私がゲイなのもあって)それを着用する自分に似合うか、また他人を見ても、それが似合っているかで、好みかそうではないかはかなり左右されます。 つまりはアイテムと着用する人の身体は不可分ですね。 そのあたりは、ミニスカートでも同様です。 ミニスカートを履く男性に対して、私は特に抵抗はありません。 ただ、足が筋肉質で、ミニスカートの小ささに対して太ももや脹脛が大きいと感じられる男性が着用していたら、スカートは膨張色の暖色系にし、黒や紺など暗めで足が細く見えるようにした方がいい…などと思ってしまいます。 これは、足が細い人がミニスカートを履くべき、ということではありません。 全体としてのプロポーションやバランスとしての、私個人のこだわりです。 これは他のアイテムとの組み合わせでもあります。 ミニスカートにハイヒール…というのは、私個人としてはあまりにも女性的(そもそもハイヒールの歴史が女性のものでもあるので)だと感じられ、仮に女性が着用していても、女性的な拗さが際立って好ましいとは思いません。 ですが、ミニスカートに少し重めのブーツ、もしも男性が履くならミリタリーブーツとかでも、私の好きなバランスとしては格好良く見えます。 または、活動的なハイテクデザインのスニーカーである…とか。 これは、女性やミニスカートをはく男性への視点、また私が仮にミニスカートを着用するなら、こういったバランスを目指すかも…という個人的な話です。 たぶん、そのあたりのバランス的な部分の趣味嗜好は、greenlinkさんとは相いれないものがあるかもしれません。(おそらくミニスカートに対しての価値観は私の方が少数派か、と) 好き、興味を持つ、という概念が、他人と完全一致することはそれほどなく、部分一致くらいを許容できるか、は、人それぞれのこだわりの度合いでしょう。ですが、自身のこだわりを他者に強制してししまうような、マジョリティの価値観をマイノリティに押し付けるのは好ましいと思えません。 しかしながら、実際のところ、マイノリティの中にも更にマイノリティがいるわけで、そのため、「ゲイではないのにスカートが好きとかおかしい」とか「女装したいわけじゃないのに男性がスカートを穿くなんて間違ってる」という、マイノリティによる更なる少数派への定義の押し付けが起きています。 おそらく、greenlinkさんが抱えているストレスは、これが発端なのだと思っています。 ただ、スカートを女性的なアイテムだ、と仮定した時、スカートが好きな女性はみなフェミニンな服装を好むのか、と言ったら、ボーイッシュな、ユニセックスな、ジェンダーレスな服装を好む女性もいるでしょう。 また、スカートを穿いている男性はみなゲイなのか、と言えば、例外はたくさんあります。同時に、男性でスカートを履いているのは女装か、と言えば、必ずしもそうであるとは言えません。 ですので、価値観や概念は、その裏を返した時にも=(イコール)で結ばれなければ真ではなく、演繹でも帰納でも、どちらでも真とならなければそれを定義とすることはできません。 服装も含めた文化や価値観は、意外とそういった、表と裏とでは結果が異なってくるものが多く、それだけ流動的、ということだと思うので、私は自分の趣味や嗜好で、完全なる定義は求めないようにしています。
お礼
ありがとうございます。 そんなに相容れない所はないかなと思いました。 ミニスカートっぽいのをメンズ扱いで着るというのもそんな感じです。 僕の場合、夏はグラディエーターサンダル、冬は膝丈のロングブーツ(こっちは要オーダーで10万円掛かるので大変。足でかいので女性用の流用はまず絶対無理)って感じで、女性らしさを感じないのをやってます。 前に一度、好みのうるさいスカート着用好きの男性とめちゃ衝突したことがあるんです。 僕はそもそもこの発想が出たのが、女性の服としてじゃなくて、80年代ぐらいのファンタジー系のアニメやゲーム(特にRPG系)の男キャラが、上下繋ぎの短いワンピース的なのを着ていて。あのスタイルがセクシーでカッコいいと心底思ったので、始めたのですよね。 どんなのか分からなかったら ・ゼルダの伝説神々のトライフォース ・ファイアーエムブレム暗黒竜と光の剣 ファミコン版 ・ゴッドマジンガー 火野ヤマト ・海のトリトン などのキーワードで画像検索掛けたらサクッと理解できると思います。 な訳ですが、どうも先述のスカート好き男性は、こういうアニメやゲームを由来とするコンテンツがよほど嫌いなのか、そもそもミニスカートやワンピースの男性版という構想自体が嫌いで、単に女性用の服だから、フェミニンな服だからこそ好きなのであって、男性的な要素がむしろ邪魔なのか、なにかとこの手の話をするなするなといっちいちうるさくて辟易していました。 無論こんなに口うるさい人は少数派ですし、これ以外にも相容れないものにはいちいち文句を言いまくってたせいで周囲に引かれて孤立してしまった人でしたけどね。 でもね、男の人でスカートやワンピースが好きな人は、表立って言わないだけで着る人も見る人もどっちかというとこっち寄りな人が多く目につき、僕が言ってるような物はちょっと…な人多めです。 なおこのパターンに入りやすい服はスカートやワンピースじゃなくても多々ありますね。 僕が好きな物の範疇だけでも。 僕が言ってるような理由と、どういうわけか絶対重ならないのです。 ・ワンピース水着…昔のオリンピックでは男性もワンピースの競泳水着だったし、そもそも子供用としては存在しているグレコタイプ水着はワンピース水着の一形態よね?よって男の人が着ても似合うよね。じゃあ着たい。 ・レオタード…昔のレスリングやウェイトリフティングのユニって、ハイレグカットの物があったし、プロレスラーが時々着ているショルダータイツって一種のレオタードと言えるよね?よって男の人が(少々ハイレグカットな)レオタードを着ても似合うよね。じゃあ着たい。 なんかこういうこと言うと、大半の人からは理解されません。 勿論ワンピース水着(スクール水着っぽいの)や、レオタードが好きな男性含めて。 不思議とこのタイプの物が好きな人は、着る人も見る人も「女性が着ている」ことが前提な人ばかりなのです。 理由分からないんですがこれがマジョリティです。 着る人も「女性が着ているものを着るから良いんだ」であって、むしろ本当はこれって男の人がバリバリ着ても似合うし実際着ていた事実もあるから、だなんて言うとむしろ非難を浴びてしまい孤立するというパターンに陥ります。 なぜそっちが多数派になるのかよく分からないのですよね。 勿論、人と相容れない要素がみんなバラバラにあって、自分がその中のひとつだとなれば、平等感もあるし仕方ないや、と思うのですが、確実にこの手のものはれっきとしてマジョリティとマイノリティに分かれ、大抵マイノリティに入ることが多いので、毎回毎回なぜだろうか。となってしまいます。
- pou3
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私も今現在ねじれ体験中のものです。 詳細をここに書いてしまうと対象のご本人に伝わる可能性がないとも言えないので書けませんが、時空的なもの、とでも言っておきます。 ねじれた状況で好きな人と出会い、お話したりたまにお会いしたりしています。 私も相手の方も恋愛対象とは思っていません。 脳内がぐちゃぐちゃになりそうでしたし、本当に嬉しいのかとか、冷静になれよとか自問自答もしました。 お付き合いをやめた方がいいのかとかも。 ただ今は、それでも好きだからいいじゃないか、と自分に言い聞かせています。 1年かかりました。 好きな気持ちに素直に従っていれば、そのうち冷静に俯瞰でその状況を見られるようになるかもしれません。 私も、あなたも。
お礼
ありがとうございます。
- moritaroh
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こんにちは。 私は最近、「推しの同担拒否」なる言葉を聞いて、なんぞや、なんて思いつつ、昨今のアイドルやキャラクターを愛でる文化についていけず、ジェネギャ(ジェネレーションギャップ)なんてものを感じています。 さてさて、私は競パン好きのおゲイですが、どっちかっていうと筋肉質〜ややむっちりなマッチョの競パンが好きで、日焼けしているのは絶対。自分もそうありたいな、などとジムで大胸筋を増し増しにしてプリケツになるべくスクワットにも励んでいます。 でも、おんなじおゲイの競パン好きでも、たとえば体型は問わず、とにかくはちきれんばかりのピッチピチの半ケツが好き、とか、深窓の令嬢かと見まごう白肌スリムーこいつ絶対に泳げないだろというツッコミは置いといてーの美青年の競パン姿が好き…という方とは同じフェチでも相容れないな、と思ったり。 そういうんで、何かちょっとの違いのはずなのに、それが決定的なズレとなって、絶対に交わらない意見っていうの、あります。ゆえにモヤモヤ。 そういえば中学生の数学で「ねじれの位置」ってのを習ったのを思い出します。 平面的(一側面)に見れば交わっているけど、三次元的(多面的)に見れば、実は交わっていない。 不思議なものですね。 なんで、世界的に有名なファッションデザイナーはほとんどが男性なのに、オートクチュールはたいていがレディース中心。 無論、私と同じおゲイがダダ漏れなデザイナーもいれば、オネェなお方もいらっしゃるかと思えば、セレブをはべらす色男、絶対にキモヲタでしょという雰囲気の根暗陰キャなデザイナーも、彼らってどう言う心理でスカートなんてデザインしてるの? 自分で穿くことを考えて? 好きなあの子に穿かせたい? それとも、ヌメっとしたエナメルの質感とか、ふんわりレースのシフォンな感じの手触りとか、そういう質感に対してのフェティッシュ? だから、デザイナー同士って仲が悪く見えるんだろうね。 きっと彼らのこだわりって、絶対に相容れないものでしょう。 ついこの前、ウルトラマン好きのゲイの方とお話してたら、ウルトラマンは皮膚かスーツかで論争になりました。 スーツの下に筋肉質な肢体があって、なのか、あの銀と赤が皮膚で肌色なんて絶対にあり得ない、とか。 こういうのって、もはや「ねじれの位置」ですね。 で、人よりちょっとこだわりが強いと、そういう位置関係になりやすい。 そして私もそうなった時に思う、『てめぇらの浅いフェチなんざより、俺の方が数倍愛が深くいわ!』と。 愛着あるものを熟考して、深く知識を掘り下げ愛情を注ぎ続けると、いつの間にかガラパゴス的な孤島になってるわけで。いったいいつからそうなったんだろう…と思うけど、みんなと仲良くフェチな感情をシェアできていた頃なんてもう忘れてて、戻れなくなってることに気付く。 ちなみに、同担拒否ってのになる理由は、 同じ推しキャラやアイドルに対し、他のファンとの価値観の違いでの争いを避けるための自己防衛か、その逆、推しへの愛が強過ぎて他のファンに対し攻撃的になっている場合、また、ガチで恋しちゃってて他のファンにヤキモチを妬いちゃうから…とか、いろいろな理由があるらしいです。 greenlinkさんは、たぶん、フェチを推しに置き換えたら、愛が強過ぎて他のファンとの価値観の違いが許せなくなっちゃう…という感じですかね。 ゆえに、なぜ自分の価値観が他者と違うのか悲しくなり、他者を受け入れたくないと感じてしまうのかも。 私は、他者と価値観が違うとめんどくさいから、そもそも同じフェチの方とは積極的にコミュニケーションを取らないようにしちゃうかも。 自分のこだわりが強いと、他人を受け入れるのって面倒ですよね。ストレスが溜まる。でも、どこかでやっぱり共有したくて、共感してもらいたくて。 だから私は海やプールに行くなら、どう見られてようがどこでも競パン着用です。 あの人ホモーッ!って言われようが、知りません。別に、だから何ですか、ホモですけど何か、というくらいで。 だからgreenlinkさんも、気にせずスカート穿きましょ。 女装なんて言われても、は?何が?俺が女に見えるかい? そもそも君は性別で服を分けるのかい? と言い返せばいいですよ。 ただ、ハイファッションの潮流では、『肌見せ』がメンズでもトレンドになってきているそうですよ。 そのコンセプトは『男らしさの再定義』なんだって。 シースルーやざっくりニットで素肌が見える、とか、深いスリットで足が見える、カットソーのサイドを大胆にカット、とか。 考えればショートパンツブームも、この先駆けだったのかも。 初めはショートパンツで男が足見せするのはスネ毛がどーのこうの、ってなって、そして流行しだしたら、今度はスネ毛を剃るのは男らしくないとか云々。 肌見せファッションがフェミニンであった概念が、今や女性へのルッキズムの押し付けになりつつあり、それを男性がやったらどうなの?という提案。 で、男性の肢体が見せてバランスと取ろうというつもりなのか…? たぶんだけど、服がジェンダーを規定していた時代への反作用が、にわかにY2Kのリバイバルと同時に起きているんだろうね。 そういえばあの頃も、シノラーとかサイバー系とか、ギャルブームやギャル男ブームの背後で、個性的な人たちっていたよね。
お礼
ありがとうございます。 競パンと言えば、ふと思い出したことがあります。 僕も競パンは好きな方ですが、割とメジャー層とは逆向きな物が好きなので、なぜそっち一辺倒なんだろう?とよく思います。 多くの競パン好き的には、極小のほっそい奴をローライズでピッチピチに穿いてる姿が好き、というのがなんか多いですよね。 僕はむしろこのジャンルは逆で、スイミングスクールでみんなが穿いてる様な大人しいカットのやつを、ゆったり目に穿く方が派です。 多分前者が好きな人は、あくまで競パンはサブであって、メインは男性の身体、特にいうならスイマー系の細マッチョ好きの延長があって、あくまで競パンはおまけなのかな?と思いつつです。 違ったらごめんなさい。でも質問文に書いてる男の水着好きは同性愛の一種云々のところと同じです。 僕はあくまで「自分で穿いた時」のことや「自分の経験談」を基としているので、こちらですね。 昔運動神経悪い癖にスイミング通ってて、勿論スクール指定の競パンも穿いて、その経験から「好き」が出ていて、男の身体じゃなくて好きだった、使ってた水着、憧れだった水着、が由来になっているので、こっちです。 こっちの場合別に細いのを極小でという競い合いなんて誰もしませんし、小さめを穿くとロゴが短期間でズタボロになるし、水着本体も短寿命になるし、泳ぎやすさを損ねなければ充分な物として使っていたので、これですね。 ちょうど極小競パンというと、ミニ四駆のフレームやボディを極限まで削って軽くする代わりに、耐久性と剛性を犠牲にする様なものに見えたりします。 一方で、僕の競パン好きは、ミニ四駆は純正でのまま、安定走行と車を壊さないことを前提に普通に走らせるフェチ寄りとして、ですね。 たとえわかりにくくてすみません。 でも本当にこんな感じなのです。 競パン画像をTwitterなどで拡散してる人時々いますが、細い人ばかりだと物足りないですね。 むしろサイドもちょい太めのを普通に穿いてる方が好み、なぜなら俺がそうするからだ。 です。 競パンでもこのパターン多いです。 なぜ?となります。
- yaasan
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>なぜこんなズレを生んでしまうのでしょうか? ご自身でここまで解説して、まだ謎なのでしょうか。男性が着衣する好みとのズレですよ。あくまで女装ではない、というなら、喜んでミニスカートやスク水を着ようと思う男性はほとんどいないから、です。 後、「男はミニスカート(スクール水着)が好き」にご自身を入れる事自体大間違いだと思います。説明通り多くの男性は「ミニスカート(スクール水着)を着ている美少女が好き」なのであって、「ミニスカート(スクール水着)を着るのが好き」なわけではないのです。そこから違うのに何故省略してごっちゃ混ぜにしてしまうのか。それはそれで不可解に感じます。 明快に他の人とは違うんだ、と書けるのですから、その書いたことが「ズレ」そのものですよ。
お礼
ありがとうございます。 ただこのズレがなぜ発生してしまうのか、あらゆる要素でなぜ?と思ってしまう感じです。 なお省略してごっちゃにしているのは、お互い様な気もします。 まあ省略しなかったとしても、スクール水着にせよ、ミニスカートにせよ、そこまでの共通点はあるはずなのに、なんかが違うなーというのには変わりもない気もします…。 またこのバラバラ具合がもうちょっと十人十色なら、そこの一人なんだって諦めもつくのですが、どうもそうではない、ということが諦めが付きにくい気持ちになっていますね。 なぜよりにもよってと思ってます。
>しかし大体、自分だけが一般的概念から外れた所に毎回入ってしまうパターンが多く、この状況にストレスを感じます。 >なぜこんなズレを生んでしまうのでしょうか? あなたが服装の趣味嗜好について特に変わっている。かつこだわりが強いので他人の考えを「そういうもんか、自分と違うな」と受け流すことができない、もしくは服装の嗜好そのものではなくその先まで誤解されることが多い(女装趣味を持っている、ゲイである、など)ので「自分と違うな」と受け流している場合ではなく都度説明する必要が生じる場面が多く、必然的に「説明してもわかってもらえない」状況に陥る機会が多くてストレスと孤立感が高まる。
お礼
ありがとうございます。 まさにそんな感じになりやすいです。 また外からだけでなく、意外と内側の人であっても、所謂その多数派とは折り合いが悪くなることが多々ある感じです。 どうして毎度このパターンになるのかなーって不思議に思うのです。 この手の話をして、一般的概念に当たるものってあまりありません。
- w4330
- ベストアンサー率25% (377/1477)
一般との差があると思うことを楽しんでるのではないですか? ミニスカートでも「ミニスカートをデザインするのが好き」という人もいますよ、タイトスカートやロングスカートよりミニをデザインするのが好きとか.. 水着でも着てる人とか、着たいの思いでなく単純に水着の形や色で好き嫌いを感じる人もいます 本当に感情は千差万別、十人十色です
お礼
ありがとうございます。 色々いるんですね…色々…。 けどなぜ一般的概念的な物があって、なぜその範疇で世の中が回ってるのか不思議です。 もっと色んなもんがカオスになっていい気がしませんか? そんだけ色々なら。
- kaitara1
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同一の対象、言葉などでも人によって千差万別で寧ろ共有しているというのは錯覚でしょう。ほとんどの場合、食い違いは無視しているから何事も起こらないのでは。
お礼
ありがとうございます。 でもみんな食い合い気にしてないですか? 僕の様な食い合いは向こうさんはバンバン拒否してきますよー。 なぜそうなるのかなー、と思います。 食い合いを認めるのか、認めないのか、どっちやねんとなります。
お礼
ありがとうございます