ドリフのコントは初期と末期には変化がある?
昭和時代に人気を得た ドリフターズ
初期の頃は元々バンドであったので音楽コントや
クレージキャッツ等の笑いを受け継いだものも
多かったと思います。
荒井注氏が脱退し、志村けん氏が加入すると、
「より狂気じみた笑いを追求する」方向に変わっていったと思います。
そこで ご存知の方が居られたら質問させて戴きます。
(1)「8時だよ全員集合」(TBS)の
コントを初期はいかりや長介氏が
末期は志村けん氏がネタを考えていたのでしょうか?
(2)「ドリフ大爆笑」(CX)で
末期(昭和60年以降)は
いかりや長介氏と仲本工事氏
加藤茶氏と志村けん氏に別れてのコントが中心であった。
いかりや 仲本のコントは初期のドリフのコントに近いものがあり、
加藤 志村のコントは志村の目指す笑いの形だった様に思います
(私の解釈ですが)
この頃(1991年 平成3年頃)とある雑誌で作詞家秋元康氏との対談で
志村氏は「いかりやさんとはもう3年間あっていない」といっていたと
思いますが、笑いの違いで確執が生まれたのでしょうか?
このあたりを詳しくお知りの方が居られたらご回答お願い致します