「日本と大陸をトンネルで結ぶ」という計画は、政治的な思惑や利権などを抜きにして考えれば「鉄道関係者の昔からの夢」であったことは確かで、実際に戦前の日本の鉄道省で検討されていました。いくつかのたたき台の案がありましたが、九州-壱岐、壱岐-対馬、対馬−朝鮮、に合わせて3本のトンネルを掘って九州と朝鮮半島を結ぶものです。「夢」とはいえ「全くの夢物語」ではなく「具体案の実現可能性を探る」段階には達していたようです。
戦前の鉄道といえば、新幹線などはなく電化も一部にとどまっていましたので「遅れている」と考えがちですが、「日本とユーラシア大陸を結ぶ」という点では今より進んでいた面もあり、新橋ー金ケ崎(敦賀港)ーウラジオストックーヨーロッパという「欧亜連絡国際列車」が実際に走っていました。(当然日本海は船で渡るのです)
シベリア鉄道経由のほうが遠回りせざるを得ない海路の船便よりもずっと早かったので、航空旅客輸送が本格化する以前は、鉄道が日本からヨーロッパへ行く最速の交通機関でした。また下関と釜山の間には「関釜連絡船」が運航していましたので、東京ー下関ープサンーソウル(京城)ー中国(旧満州)という鉄路もありました。戦前に「朝鮮海峡トンネル」が検討されたのも、この「鉄道で日本と大陸を結ぶ」という考え方が根底にあります。
日本発の欧亜連絡国際列車が初めて運行されてから1世紀あまりたち、航空の発達で交通事情は一変しています。巨額の費用をかけて「日韓トンネル」を建設した場合、果たしてそれに見合う利点が見込めるのか、政治的な思惑や利権を離れた冷静な判断が必要です。もちろん高速のリニア鉄道など新しい鉄道技術の進歩の「のびしろ」も考慮しておくことも肝要でしょう。ただし「日本がユーラシア大陸と地続きになる」ということがもたらす影響・衝撃の大きさは予測困難です。