NemurinekoNya の回答履歴

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  • ベクトルポテンシャルについて

    細い回路を流れる電流の場合 A(→)=1/4π∫dl(→)/R と表されることはどのようにして示せば良いのでしょうか? R=|r(→)ーr'(→)| で dl(→)は回路に沿った線要素です。

  • ブラフマニズムのアートマン(霊我≒仏性)は?

     ブラフマニズムにおけるアートマン(霊我)は いくら梵我一如と言っても そのオシエにおける概念としてのみ持たれているに過ぎないのか?    つまり 梵我一如と言えば 梵すなわちブラフマン神のチカラが 霊としてアートマンなるかたちで はたらいている。と見るのは 当然であるように考えられるのですが 違うのでしょうか。  つまりこのアートマンは ブディズムにおけるブッダター(仏性)ないし如来蔵とほぼ同じものであると考えられるのですが そのときそれでも 仏性がつねに生きてはたらくというのとは違って ただの理念のようなものであるに過ぎないのか?  次のようなご見解に接してこの問いを取り上げるものです。  ◆ ~~~~~~~~~~~~~~  梵我一如については仏教でも説かれていますが、バラモン教のものとは一線を画します。  前にも仏性の事で申しましたが、仏性と同じく仏教におけるアートマンは実践の中でのみ存在し、バラモン教のアートマンは教理に存在します。  詳しくは西昭嘉氏の「原始仏教における無我説の再考」と「原始仏教聖典におけるattanとbrahman」という二本の論文を参照してください。  (☆ これは 出所をあきらかにしても差し支えないものと思います。   【Q:空海と景教の関係】回答No.8   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8697822.html    ご文章は 取り急ぎの作成になったもので それを引用するのはかえってこの引用者の落ち度になるのですが つかわせていただきました)。  ~~~~~~~~~~~~~~~~  参考:  ■ 西昭嘉:「原始仏教聖典におけるattanとbrahman」~~~~~   http://ci.nii.ac.jp/els/110002912913.pdf?id=ART0003260118&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1406954848&cp=  (§ 4 結語 pp.34-35)  原 始仏 教 聖 典 に 説 か れ る ウ パ ニ シ ャ ッ ド的 表現 に つい て , 中村氏は     「最初期 の 仏 教 はバ ラ モ ン 教の 優勢な    雰 囲気 の な か で は こ よ うな 説 き か た を    しな けれ ば な ら な か っ た 。     しか し仏 教 が ひ ろ が り さ か ん にな る に    つ れ て こ の よ うな 配慮は 無用 に な っ た 。    だ か ら聖 典 の 散 文 に お い て は〈ブ ラ フ   マ ン へ の 乗物〉とい うよ うな 語は 現 れ な く   な っ た 」(17 )       (17):『中村 元選 集 』 〔決 定版 〕第 15巻     「原 始 仏教 の 思 想 1 」 (春秋 社 , 1993年 )P.68.  と主 張 して い るが ,む しろ 散文 に な る と attan と brahman の 関係が 定型 句 に な る ほ ど繰 り返 し説か れ る よ うに な っ た と考え る べ きで あ り, 我々 は 原始仏教の 悟 りの 境地 がウ パ ニ シ ャ ッ ドの 悟 りの 境地 と類似 して い る こ とを認 め ざ る を 得な い 。   け れど も原 始仏教 が 説 く悟 りへ の 道 は 実践 道で あ り, BRhadaraanyaka-UpaniSad に おい て ,Yaajnavalkya が USasta-caakraayana た ち に 対 す る atman の 説明 (18)の よ うに ,     (18) BRhad Up .III, 4.i,2,  形 而上 学的考察 に 基 づ い て 悟 りを 求 め る も の で は な い の で あ る か ら, た と え原 始仏教の 悟 りの 境 地 とウパ ニ シ ャ ッ ドの 悟 りの 境地 が 同一 で あっ た と し ても, 悟 りに 到 る道を 区別 して 理 解す べ き で あ ろう。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

  • 九識論

    九識論をできるだけ簡単に説明してください。

  • 運命のヒト

    地球君にとってヒトちゃんはどんな存在ですか。 また、地球にヒトが誕生した事の必要や意義は何ですか。

    • ext1219
    • 回答数10
  • 規約違反の取締りは効果的ですか

    このQ&Aサイトには、禁止事項ガイドラインが示されてゐます。 http://guide.okwave.jp/guide/prohibition.html しかしながら、(私をふくめ)それを守らない人も多く、改善されてゐるやうには見えません。では、規約違反の取締りに大きな効果があるのですか。 *** *** *** *** *** この質問は、以前「コミュニティ」カテゴリに投稿したのですが、カテ違ひだとの指摘を受けましたので、こちらに変更しました。 私は最近、規約違反行為は、日本の伝統なのではないか、と考へるやうになりました。 (1)誹謗中傷 『紫式部日記』の中で、和泉式部や清少納言の悪口を書き連ねてゐます。他人の歌を理解できてゐないんだ、自分がすぐれた歌人だと思ひこんでゐる気の毒な人間だ、賢ぶつてゐるだけだ、軽薄で中身がない、などと、言ひたい放題です。 (2)雑談や個人的なメッセージ 『徒然草』は、兼好法師が、心に浮かんだとりとめのない内容を書き付けたものです。質問内容とは直接かかはりのない文章を投稿してはなりません。 (3)複数アカウントの使用 江戸時代の狂歌師、大田南畝は、蜀山人、玉川漁翁、石楠齋、杏花園、遠櫻主人、四方山人、四方赤良、寝惚先生などの複数アカウントを所持し、状況によつて使ひわけをしてゐました。ほかにも、別号とか、ペンネームなどの名目で、複数アカウントを所持する輩がゐるはずです。 (4)なりすまし 『土佐日記』は男が女になりすまして書かれました。この、紀貫之の行為は、他の会員または利用者に混乱を招く文章です。 また、男が女になりすました和歌など、ざらにあります。

    • noname#214841
    • 回答数12
  • 機械力学の問題です

    図に示すように、長さLの質量のない棒が吊り下げられていて、棒の他端Pには 質量m直径√2の一様な薄い円板が取り付けられている。 またPにはφ-θ=0を平衡点とする回転ばね定数K=mgLk(ただしk≧0) のばねが取り付けられていて、棒と円板との間に大きさK(φ-θ)の復元トルクが働くものとする。 このときθ=0、φ=0の状態からの微小運動について 系全体の運動エネルギーT、ポテンシャルUを求め、微小運動の運動方程式を求める。 という問題なのですが、 θ=0、φ=0の時のQの位置を原点にとり、右向きと上向きを正としてx軸y軸をとって 微小運動したときのQの位置をθとφで表して、 x=Lsinθ+(L/2)sinφ y=L(1-cosθ)+(L/2)(1-cosφ) として T=(1/2)m(x'^2+y'^2)としました。 またポテンシャルについては U=mgy+K(φ-θ)^2   として、ラグランジアンを求めて運動方程式を求めたのですが、 cosθ=1-(1/2)θ^2として(φの方も同様に)、微小項の3次以上は無視しました。 その時運動方程式は (1/2)mL^2(2θ''+φ'')+mgLθ-2K(φ-θ)=0 (1/2)mL^2(θ''+(1/2)φ'')+(1/2)mgLφ+2K(φ-θ)=0 となったのですが、KはK=mgLkだったので、戻して固有角振動を求めたのですが、 途中でkが割り切れてしまい、固有角振動数はLとgだけになってしまいます。 その次の設問で固有角振動数のkを大きくしたときの極限を求める問題がありまして、 kが消えてしまったのは間違いだと気づきました。 どこが間違っているのでしょうか。計算ミスは確認したのでないと思いますが、 運動エネルギーとポテンシャルのところがあまり自信がありません。 復元トルクの大きさK(φ-θ)のポテンシャルはK(φ-θ)^2でいいのかとか 運動エネルギーは座標の微分でよかったのかとか不安です。 どこが間違っているのか指摘してもらえるとうれしいです。 分かる方宜しくお願いします。

  • 機械力学の問題です

    図に示すように、長さLの質量のない棒が吊り下げられていて、棒の他端Pには 質量m直径√2の一様な薄い円板が取り付けられている。 またPにはφ-θ=0を平衡点とする回転ばね定数K=mgLk(ただしk≧0) のばねが取り付けられていて、棒と円板との間に大きさK(φ-θ)の復元トルクが働くものとする。 このときθ=0、φ=0の状態からの微小運動について 系全体の運動エネルギーT、ポテンシャルUを求め、微小運動の運動方程式を求める。 という問題なのですが、 θ=0、φ=0の時のQの位置を原点にとり、右向きと上向きを正としてx軸y軸をとって 微小運動したときのQの位置をθとφで表して、 x=Lsinθ+(L/2)sinφ y=L(1-cosθ)+(L/2)(1-cosφ) として T=(1/2)m(x'^2+y'^2)としました。 またポテンシャルについては U=mgy+K(φ-θ)^2   として、ラグランジアンを求めて運動方程式を求めたのですが、 cosθ=1-(1/2)θ^2として(φの方も同様に)、微小項の3次以上は無視しました。 その時運動方程式は (1/2)mL^2(2θ''+φ'')+mgLθ-2K(φ-θ)=0 (1/2)mL^2(θ''+(1/2)φ'')+(1/2)mgLφ+2K(φ-θ)=0 となったのですが、KはK=mgLkだったので、戻して固有角振動を求めたのですが、 途中でkが割り切れてしまい、固有角振動数はLとgだけになってしまいます。 その次の設問で固有角振動数のkを大きくしたときの極限を求める問題がありまして、 kが消えてしまったのは間違いだと気づきました。 どこが間違っているのでしょうか。計算ミスは確認したのでないと思いますが、 運動エネルギーとポテンシャルのところがあまり自信がありません。 復元トルクの大きさK(φ-θ)のポテンシャルはK(φ-θ)^2でいいのかとか 運動エネルギーは座標の微分でよかったのかとか不安です。 どこが間違っているのか指摘してもらえるとうれしいです。 分かる方宜しくお願いします。

  • もののあはれ――あは!という感嘆――というエポケー

     (1) あはっ! ( Ah ! , Oh ! )という感嘆の声にすべての現象は還元される。か?  この問いをめぐっての質問です。  (2) まづ アハは とうぜん感動あるいは嘆きをあらわします。おどろき・おそれ・すばらしさ・あるいは かなしさ・つらさ・くるしみなどなど。  (3) しかも ここでは ものごとの根源を見たというような意味合いを――勝手に強引に――込めて 世界におけるすべての現象についてのわが心的現象を表わすと見ます。    (4) ワ(我)やナ(汝)にレ――おそらく親愛称――がついて我レや汝レがつくられるごとく アハにもレがつき アハレがつくられた。   (5) アハレは (2)の分類にしたがって アハレ(哀れ・憐れ)および すばらしい場合には アッパレ(天晴れ)なることばである。  (6) 《もののあはれを知る》というときは おそらく すべての先入見や既存の常識を取り払ったごとくおのれの意識という意識を超えて 目の前のものごとを知覚したことを言うものと考えられる。  (7) しかもさらに その知覚は 意識しうる知覚(ノエシス≒ノエマ)をも超えて 直感および直観が稲妻のごとく走ったという経験であろう。ヒラメキとして捉えよう。  (8) もののあはれを知ったというときには たとえば社会における人為的な現象を超えているであろう。たとえば ふるい事例として言えば 身分制。身分の違いを難なく超えて ものごとを見ているはずである。  (つまりたとえば身分制なる現実に即した認識や判断を中止して そこから自由な知覚や意識を得ようとすることであり ここでは エポケーとも言うこととします)。  (9) ここまでを作業仮説なる前提として 次にかかげる見解〔(11)〕について考えてみたいと思います。    (10) 焦点は こうです。   ○ ~~~~~~  社会的な作為としての身分(あるいは いわゆるシガラミ)を超えてものごとを見ている(それはひょっとして 《空》観?)そのような《もののあはれ》を知った境地は それでもあたかも向きを変えてふたたび身分や人間的なシガラミの場に立ち戻って来た場合 どうするか?   どう現実をとらえるか?   どうふるまうか?  ~~~~~~~~~  (11) ひとつの参考意見は 次です。にっちもさっちも行かないような現実に相い対しては 人はもののあはれを もののあはれ主義として身構えて生きることになる。といった見解につながるようです。  ▲ (日野龍夫:《物の哀れを知る》の説の来歴) ~~~~~  宣長の歌論の特徴的な主張 《歌は 実情を偽り飾って雅やかに詠まねばならない》・・・。  歌はありのままの気持ちをありのままに詠ずればよいという それなりにもっともな意見に宣長は反対するのであって 単なるありのままではなく 表現の美をも求めなければいけないというその主張もまたそれなりにもっともであるが ことさらに《実情を偽らねばならない》という言い方をする点が特異である。  前に《江戸時代人の生活意識の隅々にまで浸透している儒仏の影響を払拭し 純粋な〈物のあわれを知る〉心を復活することは 無限に困難なのである》と書いた。  右(上)の歌論は この認識に対応するものである。  つまり 真に 《物のあわれを知る》ということは 素直にありのままにしていれば達成できるような甘いものではない と宣長は言いたかった。  意識下にまで儒仏の〔* あるいは身分制の・もしくは シガラミの〕影響が浸透している当代人にとって 《物のあわれを知る》ということは 《物のあわれを知る》心を自分の心の中に虚構するということと ほとんど同じなのである。それが《実情を偽る》ということであった。     (日野龍夫校注:本居宣長集 1983 解説)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  (12) この《〈物のあわれを知る〉心を自分の心の中に虚構するということ》は だとすればけっきょく 世に言う《宗教》のことか? ただの固定観念となったようなオシエのことか?  (13) すべての先入見を超えあらゆる固定されてしまった常識をひるがえして得られたヒラメキとしての《もののあはれ》なる心 ここからふたたび強迫観念にさえ成りかねない固定観念としての宗教やドグマが現われ持たれてしまうのか?  (14) (11)の参考意見がおかしいのか?  (15) エポケーなり現象学的還元なりなどということが おかしいのか?  (16) もののあはれを知るなどというのは どうでもよいことか?  (17)  アハッは 神か? 神などは要らぬか?  (18) シガラミを抜け出たと思ったヒラメキから またふたたび世の中のシガラミの中に舞い戻るのか?    (19) われらが自由は どこにあるか?  (20) 人は いま・ここに舞い戻らざるを得ない。あなたは そのとき どうするか?

  • 剛体振り子の運動方程式について

    閲覧ありがとうございます。 現在理系で学習を進めている大学1年生の者です。 剛体振り子の問題が解けなくて行き詰っています・・ 画像の問なのですが、 (1)は棒が一様=重心が中点=慣性モーメントは1/12(ml^2)であってるのでしょうか? (2)並進F=ma, 回転 Iβ(角加速度)=N に代入すると思うのですが 並進 ma=(-mgl/2)sinθ  回転 Iβ=(-mgl/2)sinθとなってしまい、特に並進運動の部分がよく分からないです・・・ (3)はθの関数というのがピンとこないのですが、 sinθ=≒θとおいて θ(t)=Asin(ωt+α) の形にすれば良いのでしょうか? どなたか御教授して頂けたら幸いです。

  • 機械力学の問題です

    図に示すように、長さLの質量のない棒が吊り下げられていて、棒の他端Pには 質量m直径√2の一様な薄い円板が取り付けられている。 またPにはφ-θ=0を平衡点とする回転ばね定数K=mgLk(ただしk≧0) のばねが取り付けられていて、棒と円板との間に大きさK(φ-θ)の復元トルクが働くものとする。 このときθ=0、φ=0の状態からの微小運動について 系全体の運動エネルギーT、ポテンシャルUを求め、微小運動の運動方程式を求める。 という問題なのですが、 θ=0、φ=0の時のQの位置を原点にとり、右向きと上向きを正としてx軸y軸をとって 微小運動したときのQの位置をθとφで表して、 x=Lsinθ+(L/2)sinφ y=L(1-cosθ)+(L/2)(1-cosφ) として T=(1/2)m(x'^2+y'^2)としました。 またポテンシャルについては U=mgy+K(φ-θ)^2   として、ラグランジアンを求めて運動方程式を求めたのですが、 cosθ=1-(1/2)θ^2として(φの方も同様に)、微小項の3次以上は無視しました。 その時運動方程式は (1/2)mL^2(2θ''+φ'')+mgLθ-2K(φ-θ)=0 (1/2)mL^2(θ''+(1/2)φ'')+(1/2)mgLφ+2K(φ-θ)=0 となったのですが、KはK=mgLkだったので、戻して固有角振動を求めたのですが、 途中でkが割り切れてしまい、固有角振動数はLとgだけになってしまいます。 その次の設問で固有角振動数のkを大きくしたときの極限を求める問題がありまして、 kが消えてしまったのは間違いだと気づきました。 どこが間違っているのでしょうか。計算ミスは確認したのでないと思いますが、 運動エネルギーとポテンシャルのところがあまり自信がありません。 復元トルクの大きさK(φ-θ)のポテンシャルはK(φ-θ)^2でいいのかとか 運動エネルギーは座標の微分でよかったのかとか不安です。 どこが間違っているのか指摘してもらえるとうれしいです。 分かる方宜しくお願いします。

  • 電磁気学の問題です。

    中心を共通する半径a、半径bの球殻A、球殻Bがある(b>a)。AとBとの間には誘電率εの誘電体を挿入し、ほかは真空である。次の問に答えよ。ただし、誘電体は等方的で線形な物質であるとする。 (I)球の中心に点電荷qを置き、A、BにそれぞれQA、QBの電荷が一様に帯電しているとし、球殻の中心からの距離をrとして、電束密度D(r)、電場E(r)を求めよ。 (II)A、Bの電位VA、VBを無限遠方を基準として計算せよ。 (III)AB間の静電容量を求めよ。 このような問題です。 (I)はそれぞれの電場(q、A、B)を求めて足し合わせようと考えているのですが、電場の求め方が分かりません。 (II)は、E=-gradVから求めようと思っていますが、Eがわからないことにはどうしようもできません。 (III)はQ=CVに代入するんでしょうか? 以上です。よろしくお願いします。

  • 大学化学の問題

    (1)空気(密度1.20kg/m^3)が直径10cmの円管内を20m^3/minで流れている時の運動エネルギーを求めよ。 (2)流体(密度1200kg/m^3)が内径40mmの円管内を2160kg/hで流れている時の運動エネルギーを求めよ この二問がどうしてもわかりません。 どなたか詳しく回答を解説をおねがいします。

    • mk1031
    • 回答数3
  • 回転体の相対論

    球体の回転を考えます。 回転軸から30度ずれた球体表面の回転速度が光速の99%の速度の場合、球体の角運動量はどのように与えられますか? 球体の質量はM、半径をRとしてください。 (密度の場合はρ=3M/4πR^2)

  • 世間が正当化している偽善的な考えについて

    昨日テレビで中島義道さんという近代の哲学者を知りました。 彼の思想は常識に反することだそうです。そこにいたタレントも一言で言い表わしていましたがそれは 「考えない弱者をもっとも嫌う」ということです。 挙げられていた彼の具体的な考えに「彼女いなくて寂しいでしょ?」というような「余計なひと言」がありました。 聞かれた本人が「寂しくない」と本心を言っても「無理すんなよ」と言うその決めつけのようなことに中島さんは疑義を抱いているわけです。 また、世の中のあまりにも強調されたポジティブ思考についての反義というようなものも挙げられていました。 私の場合ですが 「犯罪を犯す者は皆一様に悪人」 「腹を痛めた子供が可愛くないはずがない」 「私だってこんなこと好きでやっているわけじゃない」 というような世間の定型思考(それは私が大嫌いな欺瞞も含まれていますが)については辟易しています。 世間が当たり前のようにしかし、自分では正しいと思いながら実は偽善的や欺瞞的に使っていることに疑問を抱いている方の、日常でそれを感じる疑問な言葉があれば教えてください。

    • frau
    • 回答数12
  • 回転体の相対論

    球体の回転を考えます。 回転軸から30度ずれた球体表面の回転速度が光速の99%の速度の場合、球体の角運動量はどのように与えられますか? 球体の質量はM、半径をRとしてください。 (密度の場合はρ=3M/4πR^2)

  • 電磁気学の問題が分からなくて困っています。

    電験に向けて電磁気学を勉強しているのですが、いまいち解き方がわからない問題があるので教えてください。 1.真空中に置かれている半径aの導体球に電化Qを与えたとき、導体球内外の電界の大きさEと導体球内外の電位Vを求めよ。 2.面積S,間隔dの平行平板電極間に電位差Vを与えたとき、以下を求めよ。ただし極板間には比誘電率εの誘電体が挿入されているものとする。 (1)電極間の電界の強さE,(2)電極に蓄えられる電荷量Q,(3)静電容量C,極板間に蓄えられている静電エネルギー よろしくお願いします。

  • 大学の物理学(力学)について

    夏休みに入りました。 大学一年です。 後期に物理学(力学)があり必修で、高校から物理学が苦手で困っています。 やはり高校の物理が理解できていないと厳しいのでしょうか、物理を学んでいない人も受けるそうですが、やっぱり高校の内容を前提として進められるのでしょうか? 高校の元担任は、大学物理は数学を使うようになるから数学をやれ と言っていました。 因みに学科は情報学部です。 夏休みになったので、高校の物理の復習をしようか迷っているのですが、生憎必修のプログラミングを落としてしまい、再履修に向けてプログラミングを一番頑張らないといけないのです。 高校物理との関係性があまりないならば、復習はしないでおこう という考えです。 物理学(力学)を履修された方意見ください。

    • akkifps
    • 回答数2
  • 物理学質問

    写真の問題が全く解けません 説明込みの解答お願いします!!

  • 日蓮の教え

      人の道という視点からこれについて少し考えてみた。 結局のところもともと邪教であったが故にカルトに乗っ取られたと考えるべきか。 あるいはもともとは邪教ではなかったがカルトに乗っ取られた結果邪教になったと見なすべきか、いずれであろーか。 やはりもともと邪教であったが故にカルトに乗っ取られたと考えるべきではないだろうか。 何故なら正しい教えであればカルトに乗っ取られる訳はないし、またカルトが正しい教えを乗っ取ろうなどと考えることもあるまい。 カルトが乗っ取って居心地が良いと感じるのは邪教以外ないからである。  

  • 偶像崇拝に対するアルケーの神の戒め

      「わたしはあなたがた皆に言っておいたはずである。 万物の根源、宇宙の法則であるアルケーを除いて如何なる神も存在しないと。 それで何故あなたがたは十字架を作ってこれを拝んだりするのか。 またお題目なるものを紙に書き、これをご本尊などと称して拝んだりするのか。 それで、あなたがたは神をいったい誰とくらべ、どんな像と比較しようとするのか。 あなたがたは知らなかったのか?あなたがたは聞かなかったのか?はじめから、あなたがたに伝えられなかったのか?地の基をおいた時から、あなたがたは悟らなかったのか?」 あなたがたが行っている偶像崇拝に対しアルケーの神はこのように戒めています。 あなたがたはそれでも偶像を拝むのですか。