JidousyaGaisya の回答履歴

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  • モトローラ製FOMA「M1000」

    発売時期はきまったのでしょうか?

  • 地デジ対応DVDレコーダー+アナログTVで

    地デジ対応DVDレコーダー+アナログTVで地デジは見れるでしょうか? おそらくアンテナはDVDレコーダーに接続し、そこからTVにコードを接続する と思うので、外部入力でアナログのTVでも地デジが見れると思うのですが、 正しいでしょうか?宜しくお願い致します。

  • ヨーロッパの食文化について質問をのせて調べた所さらに疑問がわきました。

    ヨーロッパの食文化について質問をのせて調べた所さらに疑問がわきました。 旧約聖書の創世記9章で神は事実上なんでも食べて良いと言っているのに、レビ記では食べて良いもの悪いものの規定があるのはなぜなんでしょうか?

    • rity
    • 回答数2
  • アマテラス政治家の無謬性の神話がくづれたか?

     アマテラス公民ないし国家公務員については――それはいわゆる幕藩体制からのお上であって―― 無謬性というしるしが 神話としてのごとく添えられて来たのだと考えられます。《斬り捨て御免》という慣わしに代表されるごとく たとえかれらがあやまちを犯していてもスサノヲ市民らはそれは間違ってはいないと言わなければいけなかった。そういう至上命令ないし錯覚があったということでしょう。  社会保険庁のあやまちが引き金を引いたのかどうか この無謬性の神話はくづれて来ています。  ところが いまの民主党政権もしくは菅政権については どうもその性格や事情がいちじるしくそれまでのアマテラス政権とは異なって来ているのではないか?  感覚で言うのですが 鳩山前政権については まだその社会的な身分としての神話をあたかも引きずっていたからか そのままアマテラス公民の無謬性を どこかで何となく保ち得たかのように映っています。  鳩山由紀夫は出自がアマテラス圏であり 菅直人はそうではなくスサノヲ圏からであるという違いが出ているのかどうか?  そこでこの質問は このアマテラス公民の無謬性という慣わしと 《職業としての政治》にまつわる《悪魔性》とのつながりや如何? と問うものです。  まづは次のM.ヱーバーの議論を聞いてください。悪魔メフィストーフェレスに魂を売るファウストのごとく そのデモーニッシュな動物的な・別種の魂が必要なのだと言っていますか?  ▲ (ヱーバー) ~~~~~~~~~~~  およそ政治をおこなおうとする者 とくに職業としておこなおうとする者は・・・すべての暴力の中に身を潜めている悪魔の力と関係を結ぶのである。  無差別の人間愛と慈悲の心に溢れた偉大な達人たちは ナザレの生まれ〔のキリスト・イエス〕であれ アッシジの生まれ〔の聖フランチェスコ〕 インドの王城の出〔のブッダ〕であれ 暴力という政治の手段を用いはしなかった。  彼らの王国は《この世のものにあらず》ではあったが それでいて彼らは昔も今もこの世に影響を与え続けている。  〔トルストイの描く〕プラトン・カラタエフやドストエフスキーの描く聖者の姿は 今なお この人類愛に生きた達人たちの最も見事な再現である。  自分の魂の救済と他人の魂の救済を願う者は これを政治という方法によって求めはしない。  政治には それとまったく別の課題 つまり暴力によってのみ解決できるような課題がある。政治の守護神やデーモンは 愛の神 いや教会に表現されたキリスト教徒の神とも いつ解決不可能な闘いとなって爆発するかも知れないような そんな内的な緊張関係の中で生きているのである。  (『職業としての政治』 1919 脇圭平訳 pp.99-100)  ~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 政治家としてアマテラス公民たる者はすべからく悪魔に身をゆだねるデーモン(悪鬼)にならざるべからず。――こうでしょうか?  極論して言うのですが この方策を忠実に取ったアマテラス政権は 安泰であって そうでない政権――たとえば民主党政権――は もはやスサノヲ市民らの信頼も支えも失くした。――こうでしょうか?  それとも そもそもアマテラス‐スサノヲの国家という二階建ての家における逆立ちした連関制が 無理なのでしょうか?

  • 宇宙が存在する理由などについて

    宇宙はなぜ存在するのでしょうか? 地球はなぜ存在するのでしょうか?

    • MYALL
    • 回答数22
  • 日本人は 論理思考をそなえている。

     この命題を次の二点で 問います。    (A) 日本語に《時制の一致》がないか? いや じつは論理思考によってこれを発達させ〔得〕た。  (B) 日本人のおとなしさ(社会秩序にしたがう心・あるいは隣人愛ないし和の心)は 社会における人びとの交通(まじわり)に論理的な秩序を求めるゆえではないか?  (A) 次のうたを見てください。仮想現実と呼ばれる表現法であり その補充用言(助動詞)の《せ》および《まし》に注意してみてください。  ▲ (古事記歌謡・30) ~~~~~  尾張に 直(ただ)に向かへる 尾津の崎なる  一つ松  吾(あ)夫(せ)を  一つ松 人にあり≫せ≪ば  大刀(たち)佩(は)け≫まし≪を  衣(きぬ) 着せ≫まし≪を  一つ松 吾夫を  ● (意味合いを採るのみの訳) ~~~  (ミヤズヒメが 夫のヤマトタケルをしのんでうたう)  尾張の真向かいにある尾津の岬に立つ  一本の松  我が背子よ  もし仮りに人であったなら 大刀を佩かせように  服を着せように ・・・  ~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ すなわち 現代語に到るまでに この用法は廃れたようですが このように(また万葉集のウタにも)時制の一致と見られる語法は持ち得た。発達し得た。《仮想現実》の論理をつらぬいている。こう考えられます。  その後 やがて互いに相手が見知った仲間どうしばかりになったときには その情況の中で廃れたのではないでしょうか?  (B) 簡単にのべますが 《和》の心は あくまで一般の市民(ムラびと)のあいだに培われ育まれた交通の思想(生活態度)であった。それをやがてそのムラムラから成る社会が国家という二階建ての家に成ったとき それは ムラビトたちが国ビトらに その第二階をこしらえることをゆるしたのだと考えられ これを《くにゆづり》と称したように けっきょくこの《国びと》らに好きなようにさせてやったという歴史事実が介在している。のではないか?  言いかえると 一般に第一階に住む人びとは 国びとらが どうしてもおれたちをお山の大将にしてくれと土下座してでも頼みこみ拝みこんでくるものだから とうとう根負けして かれらに好きなようにさせた。社会というやしろに第二階というヤシロまでつくらせて そこに住まわせた。気の済むまで統治がしたければ やってみなさいと全面的に甘えさせてやった。  これが かれこれ千五百年 経つ。    けれども 一度ゆづったからには おめえたち そろそろ返せやなどと言えない。なかなか言えない。しかも 世の趨勢は かたちの上だけでも 主権在民の世の中になっている。市民主権だというのだから かつての《くにゆづり》は ゆづり返されたのだろうか? これが何ともはっきりしない。  はっきりしないけれども そもそも《和》の心を持ち合わせている市民一般は おいそれと早く返せとは言いづらい。  ひとつには そのお二階さんが《和を以って貴しと為す》と ムラビトのお株を奪う命題を立ててしまった。立てられてしまった。これも 何とも動きが取りにくい。動きを取りにくくしていている。お二階さんたちも いやあ 立派 リッパ。保身の術に長けている。  うんぬん。  というわけで もともと日本人は 市民一般は 社会の人間的交通において論理的にもその秩序を問い求め続ける人間たちであった。わづかにその和をみだすものがあるとすれば 一階の人間が 二階への出世志向になり 二階にこびへつらい ゆすりたかりの甘い汁を吸おうとする動き これである。この一階と二階との関係具合いにおいては 隙間風が吹いたりいざこざが起きたりする。こういうことではないのか?

  • 解離度について

    分子Xにはアミノ基とカルボキシル基が1つずつついているが、それ以外にプロトン解離基は存在しない。25℃の水溶液において、Xのアミノ基共役酸のpKaは10であり、カルボキシル基のpKaは4である、溶液のpHが4の時Xのアミノ基共役酸のプロトン解離度とカルボキシル基のプロトン解離度はそれぞれいくらか? という問題なんですけど、わからないのでおしえてください。

    • ajk
    • 回答数3
  • 金属錯体

    金属錯体 LMTCの特徴的な光学的反応性について教えて下さい。

  • 過冷却の原理

    教えてください。金属の構造と過冷却の関係を。 過冷却の度合いは金属の種類に依存するそうなんですが、その度合いは金属の何と関係が有るのでしょうか? 早急に教えて欲しいです。

    • t-shady
    • 回答数1
  • 水の沸点について

    水の沸点は100度と聞きましたが、 鍋にいれた水が泡立ってきたら沸騰と考えていいのでしょうか? その時点で100度なのでしょうか? そもそも沸騰で100度になると、100度以上は温度があがらないのでしょうか? また、圧力鍋は100度以上可能と聞きましたが、 具体的には何度までいくのでしょうか?

    • do2007
    • 回答数7
  • 水の沸点について

    水の沸点は100度と聞きましたが、 鍋にいれた水が泡立ってきたら沸騰と考えていいのでしょうか? その時点で100度なのでしょうか? そもそも沸騰で100度になると、100度以上は温度があがらないのでしょうか? また、圧力鍋は100度以上可能と聞きましたが、 具体的には何度までいくのでしょうか?

    • do2007
    • 回答数7
  • 無線LAN(親機)と無線LAN(中継点)の設定の件

    「無線LAN(親機)と無線LAN(中継点)の設定の件」 PCスキルは高くはありませんので、よろしくお願いします。

 現在の手持ちの環境より、下記の様なネット構想を考えております。 

(1)フレッツ光モデム PR-S300SE(ネット回線終端末)
     ⇩(有線接続) 
(2)Buffalo WHR-HP-AMPG(無線LAN親機)
     ⇩(無線でリビングにて受信) 
(3)PCi社 BLW-54CW3(無線LAN 中継ポイントの役目として)
   ⇩((3)本体のHabポートより有線接続) 
(4)SONY ブラビアTV HX800/アナログDVD&HDDレコーダー/iPod Touch等    (有線/無線でネット接続) 

【質問】
上記の場合、(3)のPCi社 BLW-54CW3は無線中継点(俗に言うAP=アクセスポイント?)になりうるのでしょうか?

 またその場合、(3)が無線中継点となった場合、(3)本体にの「Hab4ポート」より有線接続で、テレビやレコダーのLANポートに設定さえすればインターネット接続は可能なのでしょうか?

 イメージとしましては、下記のように考えております。  http://buffalo.jp/products/catalog/network/whr-g301n_e/ また、将来的には上記の様な「光回線」に、「300Mbpsクラスの無線LAN(親機)」を 投入し、今のPC=iMac24(MacOS X 10.6.6)+外付けHDD(iMovie/iPhotoデータ)を、 
無線でリビングなどへ送信するなどの為に「Apple TV」で受信し、(4)SONY ブラビアTV HX800&ブルーレイデジタルレコーダー(録/再生)&5.1chサラウンド等で楽しむことも構想にはあります。 
更に、予算が許せば、外付けHDDも「NAS HDD」にいずれ移行したいと思います。 

◎NAS HDDの機器の例(※つい最近に知りました。)
  http://buffalo.jp/products/digitalkaden/plus/nas/pc.html#timemachine   この様な方向性ですが、ベストな無線LAN環境の構築に向けての機器選択や
提案など ご教授頂けましたら幸いです。

よろしくお願いします。 

<<機器参考ページ>>
 ・ (1)NTT回線終端末 PR-S300SE 
  http://monolith-theater.net/hal/?p=2155
  http://www.ntt-west.co.jp/kiki/download/flets/prs300se/PRS300SE_man0803.pdf ・ (2)Buffalo WHR-HP-AMPG
 http://buffalo.jp/products/catalog/item/w/whr-hp-ampg/index.html?p=spec ・ (3)PCi社 BLW-54CW3
 http://www.planex.co.jp/product/router/blw-54cw3/ ・ (4)SONY ブラビアTV HX800
  http://www.sony.jp/bravia/lineup/hx800-series.html 【追記】  その後、少し見えて来た記事を発見しました。 「無線LANでテレビをインターネットに接続するには、イーサネットコンバータという機器」が必要なようですね・・・。 合わせて当方の上記の機器での可能、不可能、また有効に活かせる手だてなどもありましたら、お教え下さい。よろしくお願いします。   ・イーサネットコンバータ機器の記事 http://allabout.co.jp/gm/gc/24807/

  • モバイルWi-Fiルーターについて

    年末からスマートフォン購入で非常に悩み続け、 色々リサーチ及び頂いたアドバイスを考慮して、 現在はipod touchを購入して様子を見ています。 スマートフォンに関しては、ドコモ系の物を今後購入する事に決めました。 なぜならapple系の物は全てPCが無いと環境が整えられない事、 この点は、現在の自分のデジタル環境下では非常にネックになる事が判明。 そして、現在次のステップとしてモバイルルーターの購入を予定しています。 現在の候補として、ドコモ系(b-mobile含)かWimaxのどちらかを考えています。 ・使用予定場所、東京都内及び近郊中心、たまに出張で全国都市部でも!?  出来れば海外(ヨーロッパ、アジアなど)でも使えれば・・・ ・通信速度は、なるべくならあまりストレスを感じない程度で  ゲーム等使用予定低い  自宅他でノートPCも接続出来たら嬉しいですが絶対ではないです。   ・ 縛りが短期間~1年くらい 以上の条件に沿うもので、なるべく料金的に安い物を探しています。 あと、状況をまだ良く把握していないのですが、Wimaxの場合は、 ルーターを購入する以外にプロバイダー加入が必要なのでしょうか!? その場合は、トータルとして料金的にお勧めがありましたらお願いします。 金額等の状況によってはNetbook等も同時購入しても良いかな!? (携帯性重視の為、軽量でサイズ小さい物希望) とも考えていますが、その時のメリット、デメリット、お勧めパック等も ご存知でしたらアドバイスをお願いします。 色々と自分なりに頑張って調べているのですが、 あまりにも種類が多くて、何を選んだら良いかわからないのと、 本当に自分に合ったプラン等を探せていないかも知れないので、 是非、アドバイスをお願いします。

  • エクセルで数字の字体の変換ができません

    数字を好みの字体にしたいのですが、いくらやってもできません、たとえば6とか9などの字体を変えることが出来ません。

  • DNLA接続について教えてください

    初心者の質問で申し訳ないですが教えてください。 家庭内で複数のテレビでブルーレイレコーダーを再生したい(ホームリンク)と思い、DNLA接続をしたいのですが、次のような環境でどのようにすればよいのか教えてください。 ・テレビ(DNLA対応可)2台リビングと寝室にそれぞれあり ・ブルーレイレコーダ(BW-770 DNLA対応可)はリビングのテレビと接続しています ・ブロードバンドモデムは書斎(リビング、寝室以外)にあります DNLA接続にあたり、無線LANルータ(親機+子機)を買い替えようと思っていますが、そもそも ブロードバンドルータが書斎にあるため、親機は書斎に置かざるをえないのです。 本来は、ブルーレイレコーダに親機をLAN接続し、寝室のTVに子機をLAN接続してホーム リンクするのだと思うのですが、ブロードバンドモデムが書斎にあるためそもそも親機をブルーレイ に接続できない状況です。この場合、どうすればよいのでしょうか? 書斎にあるブロードバンドモデムとリビングにあるブルーレイとの有線接続は、距離的に離れていて難しい状況です。

    • iwahide
    • 回答数3
  • なぜ、哲学のカテゴリーは荒れてしまったのか?

    哲学のカテゴリーがとても荒れてしまっている感じを受けます。 ・自説を主張したいだけなのに、問いかけの振りをする質問 ・同じ質問を何度も繰り返す ・特定の個人が質問を連投する ・自分の答えこそが正しいと、押し付けるような上から目線の回答をする ・質問者が理解できると思えない難解な用語を用いて回答をする。 そのような、書き込みがかなり目立って、荒れている印象を持っています。 どうしてこうなってしまったのでしょう。 見過ごしてスルーするには、あまりにも周りとの調和を考えない「荒らし」のような、質問、回答が多い気がします。 これらに、どう対応していけばいいのでしょう?  

  • 日本人は 論理思考をそなえている。

     この命題を次の二点で 問います。    (A) 日本語に《時制の一致》がないか? いや じつは論理思考によってこれを発達させ〔得〕た。  (B) 日本人のおとなしさ(社会秩序にしたがう心・あるいは隣人愛ないし和の心)は 社会における人びとの交通(まじわり)に論理的な秩序を求めるゆえではないか?  (A) 次のうたを見てください。仮想現実と呼ばれる表現法であり その補充用言(助動詞)の《せ》および《まし》に注意してみてください。  ▲ (古事記歌謡・30) ~~~~~  尾張に 直(ただ)に向かへる 尾津の崎なる  一つ松  吾(あ)夫(せ)を  一つ松 人にあり≫せ≪ば  大刀(たち)佩(は)け≫まし≪を  衣(きぬ) 着せ≫まし≪を  一つ松 吾夫を  ● (意味合いを採るのみの訳) ~~~  (ミヤズヒメが 夫のヤマトタケルをしのんでうたう)  尾張の真向かいにある尾津の岬に立つ  一本の松  我が背子よ  もし仮りに人であったなら 大刀を佩かせように  服を着せように ・・・  ~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ すなわち 現代語に到るまでに この用法は廃れたようですが このように(また万葉集のウタにも)時制の一致と見られる語法は持ち得た。発達し得た。《仮想現実》の論理をつらぬいている。こう考えられます。  その後 やがて互いに相手が見知った仲間どうしばかりになったときには その情況の中で廃れたのではないでしょうか?  (B) 簡単にのべますが 《和》の心は あくまで一般の市民(ムラびと)のあいだに培われ育まれた交通の思想(生活態度)であった。それをやがてそのムラムラから成る社会が国家という二階建ての家に成ったとき それは ムラビトたちが国ビトらに その第二階をこしらえることをゆるしたのだと考えられ これを《くにゆづり》と称したように けっきょくこの《国びと》らに好きなようにさせてやったという歴史事実が介在している。のではないか?  言いかえると 一般に第一階に住む人びとは 国びとらが どうしてもおれたちをお山の大将にしてくれと土下座してでも頼みこみ拝みこんでくるものだから とうとう根負けして かれらに好きなようにさせた。社会というやしろに第二階というヤシロまでつくらせて そこに住まわせた。気の済むまで統治がしたければ やってみなさいと全面的に甘えさせてやった。  これが かれこれ千五百年 経つ。    けれども 一度ゆづったからには おめえたち そろそろ返せやなどと言えない。なかなか言えない。しかも 世の趨勢は かたちの上だけでも 主権在民の世の中になっている。市民主権だというのだから かつての《くにゆづり》は ゆづり返されたのだろうか? これが何ともはっきりしない。  はっきりしないけれども そもそも《和》の心を持ち合わせている市民一般は おいそれと早く返せとは言いづらい。  ひとつには そのお二階さんが《和を以って貴しと為す》と ムラビトのお株を奪う命題を立ててしまった。立てられてしまった。これも 何とも動きが取りにくい。動きを取りにくくしていている。お二階さんたちも いやあ 立派 リッパ。保身の術に長けている。  うんぬん。  というわけで もともと日本人は 市民一般は 社会の人間的交通において論理的にもその秩序を問い求め続ける人間たちであった。わづかにその和をみだすものがあるとすれば 一階の人間が 二階への出世志向になり 二階にこびへつらい ゆすりたかりの甘い汁を吸おうとする動き これである。この一階と二階との関係具合いにおいては 隙間風が吹いたりいざこざが起きたりする。こういうことではないのか?

  • 日本人は 論理思考をそなえている。

     この命題を次の二点で 問います。    (A) 日本語に《時制の一致》がないか? いや じつは論理思考によってこれを発達させ〔得〕た。  (B) 日本人のおとなしさ(社会秩序にしたがう心・あるいは隣人愛ないし和の心)は 社会における人びとの交通(まじわり)に論理的な秩序を求めるゆえではないか?  (A) 次のうたを見てください。仮想現実と呼ばれる表現法であり その補充用言(助動詞)の《せ》および《まし》に注意してみてください。  ▲ (古事記歌謡・30) ~~~~~  尾張に 直(ただ)に向かへる 尾津の崎なる  一つ松  吾(あ)夫(せ)を  一つ松 人にあり≫せ≪ば  大刀(たち)佩(は)け≫まし≪を  衣(きぬ) 着せ≫まし≪を  一つ松 吾夫を  ● (意味合いを採るのみの訳) ~~~  (ミヤズヒメが 夫のヤマトタケルをしのんでうたう)  尾張の真向かいにある尾津の岬に立つ  一本の松  我が背子よ  もし仮りに人であったなら 大刀を佩かせように  服を着せように ・・・  ~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ すなわち 現代語に到るまでに この用法は廃れたようですが このように(また万葉集のウタにも)時制の一致と見られる語法は持ち得た。発達し得た。《仮想現実》の論理をつらぬいている。こう考えられます。  その後 やがて互いに相手が見知った仲間どうしばかりになったときには その情況の中で廃れたのではないでしょうか?  (B) 簡単にのべますが 《和》の心は あくまで一般の市民(ムラびと)のあいだに培われ育まれた交通の思想(生活態度)であった。それをやがてそのムラムラから成る社会が国家という二階建ての家に成ったとき それは ムラビトたちが国ビトらに その第二階をこしらえることをゆるしたのだと考えられ これを《くにゆづり》と称したように けっきょくこの《国びと》らに好きなようにさせてやったという歴史事実が介在している。のではないか?  言いかえると 一般に第一階に住む人びとは 国びとらが どうしてもおれたちをお山の大将にしてくれと土下座してでも頼みこみ拝みこんでくるものだから とうとう根負けして かれらに好きなようにさせた。社会というやしろに第二階というヤシロまでつくらせて そこに住まわせた。気の済むまで統治がしたければ やってみなさいと全面的に甘えさせてやった。  これが かれこれ千五百年 経つ。    けれども 一度ゆづったからには おめえたち そろそろ返せやなどと言えない。なかなか言えない。しかも 世の趨勢は かたちの上だけでも 主権在民の世の中になっている。市民主権だというのだから かつての《くにゆづり》は ゆづり返されたのだろうか? これが何ともはっきりしない。  はっきりしないけれども そもそも《和》の心を持ち合わせている市民一般は おいそれと早く返せとは言いづらい。  ひとつには そのお二階さんが《和を以って貴しと為す》と ムラビトのお株を奪う命題を立ててしまった。立てられてしまった。これも 何とも動きが取りにくい。動きを取りにくくしていている。お二階さんたちも いやあ 立派 リッパ。保身の術に長けている。  うんぬん。  というわけで もともと日本人は 市民一般は 社会の人間的交通において論理的にもその秩序を問い求め続ける人間たちであった。わづかにその和をみだすものがあるとすれば 一階の人間が 二階への出世志向になり 二階にこびへつらい ゆすりたかりの甘い汁を吸おうとする動き これである。この一階と二階との関係具合いにおいては 隙間風が吹いたりいざこざが起きたりする。こういうことではないのか?

  • @-^^-@スイッチとルートサーバとそれ以外だ-^^-これはコンピュー

    @-^^-@スイッチとルートサーバとそれ以外だ-^^-これはコンピュータ網をダイアグラムいわゆる線図にしたとき真理でしょうか-^^-日常界へ降りてきた回答望むゆえにここに質問@-^^-@でりみたはet_tteiu@-^^-@いわゆる改行というでりみた。 いわゆる改行というデリミタ。 @-^^-@

  • 日本人は 論理思考をそなえている。

     この命題を次の二点で 問います。    (A) 日本語に《時制の一致》がないか? いや じつは論理思考によってこれを発達させ〔得〕た。  (B) 日本人のおとなしさ(社会秩序にしたがう心・あるいは隣人愛ないし和の心)は 社会における人びとの交通(まじわり)に論理的な秩序を求めるゆえではないか?  (A) 次のうたを見てください。仮想現実と呼ばれる表現法であり その補充用言(助動詞)の《せ》および《まし》に注意してみてください。  ▲ (古事記歌謡・30) ~~~~~  尾張に 直(ただ)に向かへる 尾津の崎なる  一つ松  吾(あ)夫(せ)を  一つ松 人にあり≫せ≪ば  大刀(たち)佩(は)け≫まし≪を  衣(きぬ) 着せ≫まし≪を  一つ松 吾夫を  ● (意味合いを採るのみの訳) ~~~  (ミヤズヒメが 夫のヤマトタケルをしのんでうたう)  尾張の真向かいにある尾津の岬に立つ  一本の松  我が背子よ  もし仮りに人であったなら 大刀を佩かせように  服を着せように ・・・  ~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ すなわち 現代語に到るまでに この用法は廃れたようですが このように(また万葉集のウタにも)時制の一致と見られる語法は持ち得た。発達し得た。《仮想現実》の論理をつらぬいている。こう考えられます。  その後 やがて互いに相手が見知った仲間どうしばかりになったときには その情況の中で廃れたのではないでしょうか?  (B) 簡単にのべますが 《和》の心は あくまで一般の市民(ムラびと)のあいだに培われ育まれた交通の思想(生活態度)であった。それをやがてそのムラムラから成る社会が国家という二階建ての家に成ったとき それは ムラビトたちが国ビトらに その第二階をこしらえることをゆるしたのだと考えられ これを《くにゆづり》と称したように けっきょくこの《国びと》らに好きなようにさせてやったという歴史事実が介在している。のではないか?  言いかえると 一般に第一階に住む人びとは 国びとらが どうしてもおれたちをお山の大将にしてくれと土下座してでも頼みこみ拝みこんでくるものだから とうとう根負けして かれらに好きなようにさせた。社会というやしろに第二階というヤシロまでつくらせて そこに住まわせた。気の済むまで統治がしたければ やってみなさいと全面的に甘えさせてやった。  これが かれこれ千五百年 経つ。    けれども 一度ゆづったからには おめえたち そろそろ返せやなどと言えない。なかなか言えない。しかも 世の趨勢は かたちの上だけでも 主権在民の世の中になっている。市民主権だというのだから かつての《くにゆづり》は ゆづり返されたのだろうか? これが何ともはっきりしない。  はっきりしないけれども そもそも《和》の心を持ち合わせている市民一般は おいそれと早く返せとは言いづらい。  ひとつには そのお二階さんが《和を以って貴しと為す》と ムラビトのお株を奪う命題を立ててしまった。立てられてしまった。これも 何とも動きが取りにくい。動きを取りにくくしていている。お二階さんたちも いやあ 立派 リッパ。保身の術に長けている。  うんぬん。  というわけで もともと日本人は 市民一般は 社会の人間的交通において論理的にもその秩序を問い求め続ける人間たちであった。わづかにその和をみだすものがあるとすれば 一階の人間が 二階への出世志向になり 二階にこびへつらい ゆすりたかりの甘い汁を吸おうとする動き これである。この一階と二階との関係具合いにおいては 隙間風が吹いたりいざこざが起きたりする。こういうことではないのか?