JidousyaGaisya の回答履歴
- 電源を入れていないのにHDからアラーム音と異常音が・・・
私の母所有のPCが4,5日前から、毎日、7時15分前後になるとPCの電源を落としているにもかかわらず、目覚し時計のアラーム音のような「ピピピピッ」の音の後、突然甲高い「ピーッ!」という音を発するようになりました。その音はしばらく鳴るとひとりでに消えます。音が鳴るだけでPCは起動しません。 「ブーン」や「ガガガ」のような種類の音であれば、HDの故障か?とも思うのですが、毎日一定時刻になるとアラーム音が鳴り出す(その後高い音)、という点が理解できず「もしやウイルス?」とも思いましたが、ウイルス情報のあるサイトを検索してもそのような情報が見つけられず、母に聞いたところ、変なexeファイルやtxtファイルが添付されたメールは受信していないということ、ウイルス検索ソフトでチェックをかけても何も検出されなかった事、などからウイルスの可能性は低いのかとも思います。 PCはFUJITUのDESKPOWER、C4/73L、OSはWINDOWS98SEです。ハードディスクはCドラとDドラの2つにパーティションを切ってありますが、どちらともスキャンディスク(完全)ではエラーは検出されませんでした。「タスク」フォルダも見ましたが原因であるようなタスクはなく、BIOS設定に関してはデフォルトのまま変更していません。 いずれにせよ、異常音がする事に変わりは無いので、とりあえずメールデータなどのBackupはとりましたが、やはりHDをフォーマットしなければ解決しないのでしょうか? 原因はシステム的な故障なのでしょうか?一定時刻にアラーム音、ということはやはりウイルスの可能性はあるのでしょうか? 何かご存知の方、このような事例の参考URLなどありましたら、お知恵を貸してください。どうぞよろしくお願いいたします。
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- makomo
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- 日本人は 論理思考をそなえている。
この命題を次の二点で 問います。 (A) 日本語に《時制の一致》がないか? いや じつは論理思考によってこれを発達させ〔得〕た。 (B) 日本人のおとなしさ(社会秩序にしたがう心・あるいは隣人愛ないし和の心)は 社会における人びとの交通(まじわり)に論理的な秩序を求めるゆえではないか? (A) 次のうたを見てください。仮想現実と呼ばれる表現法であり その補充用言(助動詞)の《せ》および《まし》に注意してみてください。 ▲ (古事記歌謡・30) ~~~~~ 尾張に 直(ただ)に向かへる 尾津の崎なる 一つ松 吾(あ)夫(せ)を 一つ松 人にあり≫せ≪ば 大刀(たち)佩(は)け≫まし≪を 衣(きぬ) 着せ≫まし≪を 一つ松 吾夫を ● (意味合いを採るのみの訳) ~~~ (ミヤズヒメが 夫のヤマトタケルをしのんでうたう) 尾張の真向かいにある尾津の岬に立つ 一本の松 我が背子よ もし仮りに人であったなら 大刀を佩かせように 服を着せように ・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち 現代語に到るまでに この用法は廃れたようですが このように(また万葉集のウタにも)時制の一致と見られる語法は持ち得た。発達し得た。《仮想現実》の論理をつらぬいている。こう考えられます。 その後 やがて互いに相手が見知った仲間どうしばかりになったときには その情況の中で廃れたのではないでしょうか? (B) 簡単にのべますが 《和》の心は あくまで一般の市民(ムラびと)のあいだに培われ育まれた交通の思想(生活態度)であった。それをやがてそのムラムラから成る社会が国家という二階建ての家に成ったとき それは ムラビトたちが国ビトらに その第二階をこしらえることをゆるしたのだと考えられ これを《くにゆづり》と称したように けっきょくこの《国びと》らに好きなようにさせてやったという歴史事実が介在している。のではないか? 言いかえると 一般に第一階に住む人びとは 国びとらが どうしてもおれたちをお山の大将にしてくれと土下座してでも頼みこみ拝みこんでくるものだから とうとう根負けして かれらに好きなようにさせた。社会というやしろに第二階というヤシロまでつくらせて そこに住まわせた。気の済むまで統治がしたければ やってみなさいと全面的に甘えさせてやった。 これが かれこれ千五百年 経つ。 けれども 一度ゆづったからには おめえたち そろそろ返せやなどと言えない。なかなか言えない。しかも 世の趨勢は かたちの上だけでも 主権在民の世の中になっている。市民主権だというのだから かつての《くにゆづり》は ゆづり返されたのだろうか? これが何ともはっきりしない。 はっきりしないけれども そもそも《和》の心を持ち合わせている市民一般は おいそれと早く返せとは言いづらい。 ひとつには そのお二階さんが《和を以って貴しと為す》と ムラビトのお株を奪う命題を立ててしまった。立てられてしまった。これも 何とも動きが取りにくい。動きを取りにくくしていている。お二階さんたちも いやあ 立派 リッパ。保身の術に長けている。 うんぬん。 というわけで もともと日本人は 市民一般は 社会の人間的交通において論理的にもその秩序を問い求め続ける人間たちであった。わづかにその和をみだすものがあるとすれば 一階の人間が 二階への出世志向になり 二階にこびへつらい ゆすりたかりの甘い汁を吸おうとする動き これである。この一階と二階との関係具合いにおいては 隙間風が吹いたりいざこざが起きたりする。こういうことではないのか?
- 何もやらないということは何もやらないということを「選択」しているの?
違いますよね。 何もやらないというのは、言葉どおり何もやらないということで、 何もやらないということを「選択」しているわけではないですよね。 僕のイメージでは「選択」ということをする瞬間に少なからず、 ある量のエネルギーを必要とし、緊張感を感じるということです。 言葉どおり何もしないというところにはこの緊張感がありません。 ただ、未来の時点から過去を見た場合、何もしないことを 何もしないことを「選択」した。と、捕らえられないこともない な、とも思います。 ⇒混乱 だれか、うまく説明していただけませんか?
- 日本人は 論理思考をそなえている。
この命題を次の二点で 問います。 (A) 日本語に《時制の一致》がないか? いや じつは論理思考によってこれを発達させ〔得〕た。 (B) 日本人のおとなしさ(社会秩序にしたがう心・あるいは隣人愛ないし和の心)は 社会における人びとの交通(まじわり)に論理的な秩序を求めるゆえではないか? (A) 次のうたを見てください。仮想現実と呼ばれる表現法であり その補充用言(助動詞)の《せ》および《まし》に注意してみてください。 ▲ (古事記歌謡・30) ~~~~~ 尾張に 直(ただ)に向かへる 尾津の崎なる 一つ松 吾(あ)夫(せ)を 一つ松 人にあり≫せ≪ば 大刀(たち)佩(は)け≫まし≪を 衣(きぬ) 着せ≫まし≪を 一つ松 吾夫を ● (意味合いを採るのみの訳) ~~~ (ミヤズヒメが 夫のヤマトタケルをしのんでうたう) 尾張の真向かいにある尾津の岬に立つ 一本の松 我が背子よ もし仮りに人であったなら 大刀を佩かせように 服を着せように ・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち 現代語に到るまでに この用法は廃れたようですが このように(また万葉集のウタにも)時制の一致と見られる語法は持ち得た。発達し得た。《仮想現実》の論理をつらぬいている。こう考えられます。 その後 やがて互いに相手が見知った仲間どうしばかりになったときには その情況の中で廃れたのではないでしょうか? (B) 簡単にのべますが 《和》の心は あくまで一般の市民(ムラびと)のあいだに培われ育まれた交通の思想(生活態度)であった。それをやがてそのムラムラから成る社会が国家という二階建ての家に成ったとき それは ムラビトたちが国ビトらに その第二階をこしらえることをゆるしたのだと考えられ これを《くにゆづり》と称したように けっきょくこの《国びと》らに好きなようにさせてやったという歴史事実が介在している。のではないか? 言いかえると 一般に第一階に住む人びとは 国びとらが どうしてもおれたちをお山の大将にしてくれと土下座してでも頼みこみ拝みこんでくるものだから とうとう根負けして かれらに好きなようにさせた。社会というやしろに第二階というヤシロまでつくらせて そこに住まわせた。気の済むまで統治がしたければ やってみなさいと全面的に甘えさせてやった。 これが かれこれ千五百年 経つ。 けれども 一度ゆづったからには おめえたち そろそろ返せやなどと言えない。なかなか言えない。しかも 世の趨勢は かたちの上だけでも 主権在民の世の中になっている。市民主権だというのだから かつての《くにゆづり》は ゆづり返されたのだろうか? これが何ともはっきりしない。 はっきりしないけれども そもそも《和》の心を持ち合わせている市民一般は おいそれと早く返せとは言いづらい。 ひとつには そのお二階さんが《和を以って貴しと為す》と ムラビトのお株を奪う命題を立ててしまった。立てられてしまった。これも 何とも動きが取りにくい。動きを取りにくくしていている。お二階さんたちも いやあ 立派 リッパ。保身の術に長けている。 うんぬん。 というわけで もともと日本人は 市民一般は 社会の人間的交通において論理的にもその秩序を問い求め続ける人間たちであった。わづかにその和をみだすものがあるとすれば 一階の人間が 二階への出世志向になり 二階にこびへつらい ゆすりたかりの甘い汁を吸おうとする動き これである。この一階と二階との関係具合いにおいては 隙間風が吹いたりいざこざが起きたりする。こういうことではないのか?
- 日本人は 論理思考をそなえている。
この命題を次の二点で 問います。 (A) 日本語に《時制の一致》がないか? いや じつは論理思考によってこれを発達させ〔得〕た。 (B) 日本人のおとなしさ(社会秩序にしたがう心・あるいは隣人愛ないし和の心)は 社会における人びとの交通(まじわり)に論理的な秩序を求めるゆえではないか? (A) 次のうたを見てください。仮想現実と呼ばれる表現法であり その補充用言(助動詞)の《せ》および《まし》に注意してみてください。 ▲ (古事記歌謡・30) ~~~~~ 尾張に 直(ただ)に向かへる 尾津の崎なる 一つ松 吾(あ)夫(せ)を 一つ松 人にあり≫せ≪ば 大刀(たち)佩(は)け≫まし≪を 衣(きぬ) 着せ≫まし≪を 一つ松 吾夫を ● (意味合いを採るのみの訳) ~~~ (ミヤズヒメが 夫のヤマトタケルをしのんでうたう) 尾張の真向かいにある尾津の岬に立つ 一本の松 我が背子よ もし仮りに人であったなら 大刀を佩かせように 服を着せように ・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち 現代語に到るまでに この用法は廃れたようですが このように(また万葉集のウタにも)時制の一致と見られる語法は持ち得た。発達し得た。《仮想現実》の論理をつらぬいている。こう考えられます。 その後 やがて互いに相手が見知った仲間どうしばかりになったときには その情況の中で廃れたのではないでしょうか? (B) 簡単にのべますが 《和》の心は あくまで一般の市民(ムラびと)のあいだに培われ育まれた交通の思想(生活態度)であった。それをやがてそのムラムラから成る社会が国家という二階建ての家に成ったとき それは ムラビトたちが国ビトらに その第二階をこしらえることをゆるしたのだと考えられ これを《くにゆづり》と称したように けっきょくこの《国びと》らに好きなようにさせてやったという歴史事実が介在している。のではないか? 言いかえると 一般に第一階に住む人びとは 国びとらが どうしてもおれたちをお山の大将にしてくれと土下座してでも頼みこみ拝みこんでくるものだから とうとう根負けして かれらに好きなようにさせた。社会というやしろに第二階というヤシロまでつくらせて そこに住まわせた。気の済むまで統治がしたければ やってみなさいと全面的に甘えさせてやった。 これが かれこれ千五百年 経つ。 けれども 一度ゆづったからには おめえたち そろそろ返せやなどと言えない。なかなか言えない。しかも 世の趨勢は かたちの上だけでも 主権在民の世の中になっている。市民主権だというのだから かつての《くにゆづり》は ゆづり返されたのだろうか? これが何ともはっきりしない。 はっきりしないけれども そもそも《和》の心を持ち合わせている市民一般は おいそれと早く返せとは言いづらい。 ひとつには そのお二階さんが《和を以って貴しと為す》と ムラビトのお株を奪う命題を立ててしまった。立てられてしまった。これも 何とも動きが取りにくい。動きを取りにくくしていている。お二階さんたちも いやあ 立派 リッパ。保身の術に長けている。 うんぬん。 というわけで もともと日本人は 市民一般は 社会の人間的交通において論理的にもその秩序を問い求め続ける人間たちであった。わづかにその和をみだすものがあるとすれば 一階の人間が 二階への出世志向になり 二階にこびへつらい ゆすりたかりの甘い汁を吸おうとする動き これである。この一階と二階との関係具合いにおいては 隙間風が吹いたりいざこざが起きたりする。こういうことではないのか?
- 無線LAN接続 基本的な流れさえ分かりません
あまりに、基礎的な質問となりますが、教えていただけると助かります。 現在、一台目パソコン(デスクトップ型)をインターネット接続しております。(OCN光WITHフレッツ ハイパーファミリータイプ) 今まで、使っていないもう一台のパソコン(ノート型 dynabook AX/940LS)を自宅以外の場所でも、インターネットを使えるようにしたいです。 そうするにあたり、どんな手順で何をしたらいいのか、わかりません。そもそも、このパソコンはそういうことができるのでしょうか?(何を確認すれば、出来るか出来ないかがわかるのでしょうか?) OCNとの契約内容を変える必要はあるのか、また、ノートパソコンに何か接続部品は必要あるのか・・・などなど、断片的でもけっこうですので、教えて下さい。 また、全体的なざっくりした、流れでも助かります。
- 締切済み
- Wi-Fi・無線LAN
- PINKBOTAN
- 回答数5
- 宇宙の公理 最終形
いま目の前に厳然として存在する宇宙について考察するとき、次の5つ公理に行き着いた。 1.宇宙は存在する 2.宇宙は無限である 3.宇宙は連続体である 4.宇宙は不変である 5.宇宙は不滅である 宇宙は存在する。 宇宙は存在するし、もともと存在した。 宇宙は創られたのではなく、もともと存在していた。 宇宙に始まりはなく、ビッグバンなどもともと無かった。 宇宙は無限である。 宇宙の空間軸は無限である。 無限なる宇宙に果てはなく、果てのない宇宙に形はない。 この無限なる宇宙にとって、137億光年の空間などビー玉にも満たない。 また宇宙の時間軸は無限である。 この無限なる宇宙に始まりはなく、終わりはない。 時間軸の如何なる時点においても宇宙は常に存在していた。 宇宙の歴史は無限であり、137億年どころか137億の137億乗年よりはるか以前から宇宙は今と変わらず普通に存在しておった。 宇宙は連続体である。 宇宙はその中のどの一部をとってもそれ自身やはり無限である。 つまり宇宙とはマクロにもミクロにもこの上なく無限なる実体である。 宇宙は不変である。 宇宙の至る所で惑星や恒星、銀河が誕生したり消滅したりして宇宙の地図は移り変わるが宇宙の基本構造は不変である。 宇宙は不滅である。 人類が滅びようと、地球や太陽が消滅しようと宇宙にとっては砂粒が一つ消える様なもの、宇宙が無くなることはない。 宇宙は未来永劫、完全に不滅である。 これらは公理であり、証明を求めるべきものではないがあまりに自明である。 そしていま目の前に厳然として存在する宇宙と深遠なる宇宙の公理について考えるとき、神や仏、天国や地獄の事などもーどーでもえーことに気付く。 この宇宙の公理、「人の道」にはますます自明となり、もー疑いようのない真理に至ったが、皆はどー思うか聞かしてくれ。 <宇宙の音楽>
- 日本人は 論理思考をそなえている。
この命題を次の二点で 問います。 (A) 日本語に《時制の一致》がないか? いや じつは論理思考によってこれを発達させ〔得〕た。 (B) 日本人のおとなしさ(社会秩序にしたがう心・あるいは隣人愛ないし和の心)は 社会における人びとの交通(まじわり)に論理的な秩序を求めるゆえではないか? (A) 次のうたを見てください。仮想現実と呼ばれる表現法であり その補充用言(助動詞)の《せ》および《まし》に注意してみてください。 ▲ (古事記歌謡・30) ~~~~~ 尾張に 直(ただ)に向かへる 尾津の崎なる 一つ松 吾(あ)夫(せ)を 一つ松 人にあり≫せ≪ば 大刀(たち)佩(は)け≫まし≪を 衣(きぬ) 着せ≫まし≪を 一つ松 吾夫を ● (意味合いを採るのみの訳) ~~~ (ミヤズヒメが 夫のヤマトタケルをしのんでうたう) 尾張の真向かいにある尾津の岬に立つ 一本の松 我が背子よ もし仮りに人であったなら 大刀を佩かせように 服を着せように ・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち 現代語に到るまでに この用法は廃れたようですが このように(また万葉集のウタにも)時制の一致と見られる語法は持ち得た。発達し得た。《仮想現実》の論理をつらぬいている。こう考えられます。 その後 やがて互いに相手が見知った仲間どうしばかりになったときには その情況の中で廃れたのではないでしょうか? (B) 簡単にのべますが 《和》の心は あくまで一般の市民(ムラびと)のあいだに培われ育まれた交通の思想(生活態度)であった。それをやがてそのムラムラから成る社会が国家という二階建ての家に成ったとき それは ムラビトたちが国ビトらに その第二階をこしらえることをゆるしたのだと考えられ これを《くにゆづり》と称したように けっきょくこの《国びと》らに好きなようにさせてやったという歴史事実が介在している。のではないか? 言いかえると 一般に第一階に住む人びとは 国びとらが どうしてもおれたちをお山の大将にしてくれと土下座してでも頼みこみ拝みこんでくるものだから とうとう根負けして かれらに好きなようにさせた。社会というやしろに第二階というヤシロまでつくらせて そこに住まわせた。気の済むまで統治がしたければ やってみなさいと全面的に甘えさせてやった。 これが かれこれ千五百年 経つ。 けれども 一度ゆづったからには おめえたち そろそろ返せやなどと言えない。なかなか言えない。しかも 世の趨勢は かたちの上だけでも 主権在民の世の中になっている。市民主権だというのだから かつての《くにゆづり》は ゆづり返されたのだろうか? これが何ともはっきりしない。 はっきりしないけれども そもそも《和》の心を持ち合わせている市民一般は おいそれと早く返せとは言いづらい。 ひとつには そのお二階さんが《和を以って貴しと為す》と ムラビトのお株を奪う命題を立ててしまった。立てられてしまった。これも 何とも動きが取りにくい。動きを取りにくくしていている。お二階さんたちも いやあ 立派 リッパ。保身の術に長けている。 うんぬん。 というわけで もともと日本人は 市民一般は 社会の人間的交通において論理的にもその秩序を問い求め続ける人間たちであった。わづかにその和をみだすものがあるとすれば 一階の人間が 二階への出世志向になり 二階にこびへつらい ゆすりたかりの甘い汁を吸おうとする動き これである。この一階と二階との関係具合いにおいては 隙間風が吹いたりいざこざが起きたりする。こういうことではないのか?
- 無線LAN接続 基本的な流れさえ分かりません
あまりに、基礎的な質問となりますが、教えていただけると助かります。 現在、一台目パソコン(デスクトップ型)をインターネット接続しております。(OCN光WITHフレッツ ハイパーファミリータイプ) 今まで、使っていないもう一台のパソコン(ノート型 dynabook AX/940LS)を自宅以外の場所でも、インターネットを使えるようにしたいです。 そうするにあたり、どんな手順で何をしたらいいのか、わかりません。そもそも、このパソコンはそういうことができるのでしょうか?(何を確認すれば、出来るか出来ないかがわかるのでしょうか?) OCNとの契約内容を変える必要はあるのか、また、ノートパソコンに何か接続部品は必要あるのか・・・などなど、断片的でもけっこうですので、教えて下さい。 また、全体的なざっくりした、流れでも助かります。
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- Wi-Fi・無線LAN
- PINKBOTAN
- 回答数5
- 外付けHDDを使う前に行うべきことは?
ノートPCのHDD容量がいっぱいなので、外付けHDDを初めて使用します。 新品の外付けHDDを買って、早速ファイルなどを移動しようと思ったのですが、そのままどんどん詰め込んでいいものかと思い調べてみると、パーテーションをするべき、エージングをするべきなど、さまざまな情報があって混乱しています。 やっておくべきことをわかりやすく教えていただけたらと思います。 よろしくお願いします。
- 締切済み
- ドライブ・ストレージ
- loreley01
- 回答数5
- HDDケースのIDEハードディスクが認識されません
手持ちのノートパソコンのHDDに異音がするので、内臓HDDを入れ替えようと思い、 バルグのHDとHDDケースを買ってきました。 USB経由でシステムを丸ごとコピーしようと思っています。 ですがケースの中に新しいHDを入れ、USBケーブルを2本差し込んで接続してみたところ デバイスマネージャでは「USB大容量記憶装置デバイス」と認識されるのですが、 ディスクの管理ではHDDが表示されず、初期化することができません。 これはHDD自体がダメになっているのでしょうか。 それとも他に原因が考えれるでしょうか。 ノートパソコン EPSON NA101 OS WINDOWS XP HDDケース IDE-CASE2.5SL HDD SAMSUNG HM 160HC 2.5 PATA 160GB 5400rpm 8M
- 締切済み
- ドライブ・ストレージ
- pecopeco99
- 回答数2
- 同報|剥製と化石とホルマリン漬け
差異をおしえて下さい 同報 http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail.php?qid=1458741689
- ベストアンサー
- 生物学
- noname#159579
- 回答数1
- 日本人は 論理思考をそなえている。
この命題を次の二点で 問います。 (A) 日本語に《時制の一致》がないか? いや じつは論理思考によってこれを発達させ〔得〕た。 (B) 日本人のおとなしさ(社会秩序にしたがう心・あるいは隣人愛ないし和の心)は 社会における人びとの交通(まじわり)に論理的な秩序を求めるゆえではないか? (A) 次のうたを見てください。仮想現実と呼ばれる表現法であり その補充用言(助動詞)の《せ》および《まし》に注意してみてください。 ▲ (古事記歌謡・30) ~~~~~ 尾張に 直(ただ)に向かへる 尾津の崎なる 一つ松 吾(あ)夫(せ)を 一つ松 人にあり≫せ≪ば 大刀(たち)佩(は)け≫まし≪を 衣(きぬ) 着せ≫まし≪を 一つ松 吾夫を ● (意味合いを採るのみの訳) ~~~ (ミヤズヒメが 夫のヤマトタケルをしのんでうたう) 尾張の真向かいにある尾津の岬に立つ 一本の松 我が背子よ もし仮りに人であったなら 大刀を佩かせように 服を着せように ・・・ ~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ すなわち 現代語に到るまでに この用法は廃れたようですが このように(また万葉集のウタにも)時制の一致と見られる語法は持ち得た。発達し得た。《仮想現実》の論理をつらぬいている。こう考えられます。 その後 やがて互いに相手が見知った仲間どうしばかりになったときには その情況の中で廃れたのではないでしょうか? (B) 簡単にのべますが 《和》の心は あくまで一般の市民(ムラびと)のあいだに培われ育まれた交通の思想(生活態度)であった。それをやがてそのムラムラから成る社会が国家という二階建ての家に成ったとき それは ムラビトたちが国ビトらに その第二階をこしらえることをゆるしたのだと考えられ これを《くにゆづり》と称したように けっきょくこの《国びと》らに好きなようにさせてやったという歴史事実が介在している。のではないか? 言いかえると 一般に第一階に住む人びとは 国びとらが どうしてもおれたちをお山の大将にしてくれと土下座してでも頼みこみ拝みこんでくるものだから とうとう根負けして かれらに好きなようにさせた。社会というやしろに第二階というヤシロまでつくらせて そこに住まわせた。気の済むまで統治がしたければ やってみなさいと全面的に甘えさせてやった。 これが かれこれ千五百年 経つ。 けれども 一度ゆづったからには おめえたち そろそろ返せやなどと言えない。なかなか言えない。しかも 世の趨勢は かたちの上だけでも 主権在民の世の中になっている。市民主権だというのだから かつての《くにゆづり》は ゆづり返されたのだろうか? これが何ともはっきりしない。 はっきりしないけれども そもそも《和》の心を持ち合わせている市民一般は おいそれと早く返せとは言いづらい。 ひとつには そのお二階さんが《和を以って貴しと為す》と ムラビトのお株を奪う命題を立ててしまった。立てられてしまった。これも 何とも動きが取りにくい。動きを取りにくくしていている。お二階さんたちも いやあ 立派 リッパ。保身の術に長けている。 うんぬん。 というわけで もともと日本人は 市民一般は 社会の人間的交通において論理的にもその秩序を問い求め続ける人間たちであった。わづかにその和をみだすものがあるとすれば 一階の人間が 二階への出世志向になり 二階にこびへつらい ゆすりたかりの甘い汁を吸おうとする動き これである。この一階と二階との関係具合いにおいては 隙間風が吹いたりいざこざが起きたりする。こういうことではないのか?
- アマテラス政治家の無謬性の神話がくづれたか?
アマテラス公民ないし国家公務員については――それはいわゆる幕藩体制からのお上であって―― 無謬性というしるしが 神話としてのごとく添えられて来たのだと考えられます。《斬り捨て御免》という慣わしに代表されるごとく たとえかれらがあやまちを犯していてもスサノヲ市民らはそれは間違ってはいないと言わなければいけなかった。そういう至上命令ないし錯覚があったということでしょう。 社会保険庁のあやまちが引き金を引いたのかどうか この無謬性の神話はくづれて来ています。 ところが いまの民主党政権もしくは菅政権については どうもその性格や事情がいちじるしくそれまでのアマテラス政権とは異なって来ているのではないか? 感覚で言うのですが 鳩山前政権については まだその社会的な身分としての神話をあたかも引きずっていたからか そのままアマテラス公民の無謬性を どこかで何となく保ち得たかのように映っています。 鳩山由紀夫は出自がアマテラス圏であり 菅直人はそうではなくスサノヲ圏からであるという違いが出ているのかどうか? そこでこの質問は このアマテラス公民の無謬性という慣わしと 《職業としての政治》にまつわる《悪魔性》とのつながりや如何? と問うものです。 まづは次のM.ヱーバーの議論を聞いてください。悪魔メフィストーフェレスに魂を売るファウストのごとく そのデモーニッシュな動物的な・別種の魂が必要なのだと言っていますか? ▲ (ヱーバー) ~~~~~~~~~~~ およそ政治をおこなおうとする者 とくに職業としておこなおうとする者は・・・すべての暴力の中に身を潜めている悪魔の力と関係を結ぶのである。 無差別の人間愛と慈悲の心に溢れた偉大な達人たちは ナザレの生まれ〔のキリスト・イエス〕であれ アッシジの生まれ〔の聖フランチェスコ〕 インドの王城の出〔のブッダ〕であれ 暴力という政治の手段を用いはしなかった。 彼らの王国は《この世のものにあらず》ではあったが それでいて彼らは昔も今もこの世に影響を与え続けている。 〔トルストイの描く〕プラトン・カラタエフやドストエフスキーの描く聖者の姿は 今なお この人類愛に生きた達人たちの最も見事な再現である。 自分の魂の救済と他人の魂の救済を願う者は これを政治という方法によって求めはしない。 政治には それとまったく別の課題 つまり暴力によってのみ解決できるような課題がある。政治の守護神やデーモンは 愛の神 いや教会に表現されたキリスト教徒の神とも いつ解決不可能な闘いとなって爆発するかも知れないような そんな内的な緊張関係の中で生きているのである。 (『職業としての政治』 1919 脇圭平訳 pp.99-100) ~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 政治家としてアマテラス公民たる者はすべからく悪魔に身をゆだねるデーモン(悪鬼)にならざるべからず。――こうでしょうか? 極論して言うのですが この方策を忠実に取ったアマテラス政権は 安泰であって そうでない政権――たとえば民主党政権――は もはやスサノヲ市民らの信頼も支えも失くした。――こうでしょうか? それとも そもそもアマテラス‐スサノヲの国家という二階建ての家における逆立ちした連関制が 無理なのでしょうか?
- フォルダが開けない
パソコンはあまり詳しくない者です。 マイビデオのフォルダを開こうと思ったのですが、何回やっても 「インターネットエクスプローラー7でエラーが発生しました」と 出て、開く事ができず、ウインドウが消えてしまうようになってしまいました。 フォルダの中に75GBもいれてしまったのが原因かなと思っています。 どうすれば開けるようになるでしょうか? OSはWINDOUS XP SP2です。 よろしくお願いします。
- 締切済み
- Windows XP
- kiyoleopa
- 回答数3
- 画面の最大化
HPを見るとき 画面を最大化して見たいのですが その都度最大化ボタンをクリックしています。以前はHPを開いた時に最大になっていたように思うのですが どのようにすればよいのでしょうか。
- 締切済み
- Windows XP
- nebokeyaku
- 回答数7
- jpgファイルが指定したソフトで立ち上がらない
拡張子JPGのファイルをコントロールパネルのフォルダオプションからソフトを指定しようとするのですが摘要欄がグレーに反転していて思っているソフトで立ち上げることができません。 最初PHOTO STUDIOでやっていたのですがたぶん何かのソフトをインストールした後からJPGファイルをダブルクリックしてもWINDOWS画像とFAXピュアでしか立ち上がらなくなりました。 フォルダオプションのファイルの種類でソフトを指定したのですがJPGファイルをダブルクリックしたらエラーが出るようになってしまいました。 友人からADOBEのPhotoshop Elementのソフトを借りインストールしたのですが同じ結果でした。 OSはWin XP Proです。 どなたか解決方法お分かりの方アドバイスをよろしくお願いいたします。
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- Windows XP
- an3118
- 回答数3
- BIOSアップデートの為の 起動用FD
インターフェースカード(WBT-6010)が動作しない為、チップセットのBIOS(Silicon Image社 Sil0680A)をアップデートしたいのですが、アップデートさせる為に必要な、起動用FDの作り方がわかりません。 Silicon Imageの情報によれば、 ttp://prdownloads.sourceforge.net/freedos/ke2026a16.zip をダウンロードして、起動用FDを作成して下さい、と書いていますが、このke2026a16.zipを解凍しても、何をどうすれば起動用FDが作れるのかわかりません。 念の為、使っているPCは・・・ DellのDimension4100 OSはWindows2000 です。 宜しくお願い致します。
- 締切済み
- その他(PCパーツ・周辺機器)
- mo-mo-55
- 回答数4
- 壊れたパソコンのデータの移し変え
デスクトップパソコン(ファンが壊れ、10分位で電源が落ちる)からハードディスクのデーターを別のパソコンに移す方法をおしえてください。
- 締切済み
- その他(PCパーツ・周辺機器)
- 03310331
- 回答数5