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斎藤佑樹 引退試合

この質問 人を選ぶと思いますので不快に感じた方は回答をしないでください 日ハムの斎藤投手 引退しました 引退試合まで大々的にやりましたね とても失礼な事をいいます 投手としてプロ通算26勝の選手が こんなに大々的に引退試合なんて 私の記憶では他に思いつきません 皆さん 斉藤投手と同じくらいのレベルの選手で こんなに大々的に引退試合をした人 他にいますか?それは誰ですか? 斉藤選手がこの引退試合をできた理由は何だと思いますか? 日ハムファンの方 斉藤選手のファンの方 気分を害されたら ごめんなさい いや ごめん 率直に言って このレベルの成績で よく 引退試合 やってもらえたなと思いました

みんなの回答

回答No.9

身長が低いし体力的な事かな? 野手に転向すれば残れたかも? 阪神の川藤さんも 同じじゃないのかな? 引退後もテレビ出てるけど? あまり好きじゃなかったし? 大したこと言わないし? 何が良いのかわからない? それぞれの好き嫌いですね。 印象的な選手は? インタビューが面白かった、 パンチ佐藤さん! 今はどうしてるかな?

tennine7
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回答No.8

記録に残る選手じゃなくて 記憶に残る選手だったから・・ そういう選手もファンは好き・・。

tennine7
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  • citytombi
  • ベストアンサー率19% (1721/8628)
回答No.7

確かに、高校野球時の「ハンカチ王子」のイメージが先行してしまって、実際はギャップが大きくあまり活躍しないままに終わった、しかもポルシェ騒動もあってあまりいい印象はないです。 まぁ球団としては、迎えた以上は(成績が振るわなくても)最後まで面倒を見るという姿勢なのかも知れません。 この成績なのに本人が辞退しないのも、彼らしいと思いますね。

tennine7
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  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11072/34514)
回答No.6

元ヤクルトの伊藤智仁さんは、プロ生活通算7年で、生涯成績37勝27敗25Sとなっています。実質活躍したのは入団1年目だけ(3年目にリリーフに回り19Sをあげています)ですが、その1年目の成績も投球回数109回(規定投球回数130回)で7勝2敗ですから、伊藤さんを知らない人なら「全然パッとしない人じゃないか」と思うことでしょう。 しかしあの野村監督や古田敦也さんが口を揃えて「今まで見た最高のピッチャーは伊藤智仁(野村監督は同列で稲尾さんをあげています)」と断言しています。 その証拠に、規定投球回数に達していないのに奪三振は126、防御率は0.91というとんでもない成績を残しています。あまりにスライダーが曲がりすぎて肘を痛めてしまったんですよね。 斎藤佑樹さんと同列に語ると硬派のプロ野球ファンから怒られるでしょうが、実質1年だけの活躍でプロ野球史に伝説を残しました。 また同じように「実質1年しか活躍していない」という点では、元中日で現監督の与田剛さんもそうですね。入団1年目に31Sをあげて「炎のストッパー」と呼ばれましたが、当時の星野監督に酷使されて実質的に活躍したのはルーキーイヤーだけでした。31Sはあげてるけどこの年も防御率は3.26だから、ストッパーとしてはあまりいい成績ではないです(一般的に絶対的守護神なら防御率2点台前半でしょう)。 ただ熱血漢気質は星野監督が大いに気に入るところで、星野監督は良くも悪くも親分肌ですから、1年頑張ったご褒美に星野監督に引退後の生活も面倒見てもらったって感じですね。NHKの解説者になれたのはかつてNHK解説者でお茶の間に大人気だった星野監督のおかげだと思います。 他に「記録よりも記憶」でいうなら、元阪神タイガースの亀山努さんもそうだと思います。 「暗黒時代」と今も語られるバースなき後の万年最下位タイガースでヘッドスライディングを敢行する熱血プレーで一躍人気者になりました。 彼が活躍したのは1992年の1シーズンだけでしたが、この年に阪神タイガースは前年の最下位からあわや優勝の2位にまで躍進し、その原動力となったのは間違いないと思います。 斎藤佑樹さんに似ているのは、亀山さんかもしれませんね。大阪ではずっとスターだったと思います。 斎藤佑樹さんは、他の方もいってますが、やはり「スター」だったと思います。そのくらいの成績で引退するときもこれだけ世間で話題になりました。彼の年俸は1000万円くらいといわれていましたが、彼がニュースなどで取り上げられるたびに「日本ハム」という企業名が天下のNHKでもいわれるわけで、その宣伝効果はたった1000万円なら安いものです。 確かにプロ入り後の成績はパッとしませんけど、それでも世間の興味を引き続けました。中日の根尾選手とか、日ハムの清宮選手とか、あれだけ騒がれてもプロ入り後にパッとしなけりゃ忘れ去られてしまう人がほとんどなのに、パッとしなくても人々の興味を引き続けたのはやはり自ら輝く「スター」だったんだなってことなのだと思います。

tennine7
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回答No.5

>引退試合をできた理由は何だと思いますか? そりゃあ、グッズや観客動員などで球団経営に大きな貢献をしたからでしょう(笑)。 ケガがあったせいもあり「万年一軍半」でしたけど、キャンプや予告先発の際には観客が多数押し寄せましたからね。引退試合もせずに引退させたら、ファイターズの球団イメージに傷がつくのを恐れたのではないでしょうか。

tennine7
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  • yaasan
  • ベストアンサー率22% (2724/12278)
回答No.4

セレモニーまでやったかは覚えてないのですが、川藤さんは通算安打211本で引退試合をさせてもらえましたね。この人もファンに愛される選手でした。 引退試合は球団が選手に打診して、選手が受けたら開催するという形ですから、斉藤選手は良くも悪くも素直なんだと思います。おっしゃるとおり、彼の現状なら、二軍の試合で引退試合をすれば良いレベルであったでしょう。実際、他の球団でも同じように晩年活躍できなくて、引退となった時に一軍の試合で引退試合をしても良いような選手は山ほどいたと思いますが、その多くは遠慮して辞退していると思います。最後の最後まで「ハンカチ王子」だったんだと思いますよ。

tennine7
質問者

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回答No.3

>>斉藤選手がこの引退試合をできた理由は何だと思いますか? やはり高校時代の輝かしい活躍と、あとは天性のスター性でしょうね。 このあたりがプロになっても大きなアドバンテージとなっていて、周りを惹きつけていたからこそではないでしょうか。 あと、よく斎藤選手は、球団に特別扱いされていたとか、贔屓されてるとかって言う人がいて、その人たちに妬まれてましたが、その地位を獲得できたのも、上記でも書いた通りで高校時代の快投と天性の魅力があったからこそだとおもいます。

tennine7
質問者

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  • kuzuhan
  • ベストアンサー率57% (1585/2775)
回答No.2

プロスポーツは興行ですからね。お客を呼べるならそれも一つの武器です。 確かに斎藤は数字だけみれば活躍したとは言えないかもしれません。 ただ、人が呼べる選手として考えたときには斎藤ほど話題性がある選手というのもいなかったでしょう。 プロ生活11年。いつ引退するんだ、いつ戦力外になるんだと言われるような成績だったかもしれませんが、今日の引退試合を見る限りでは慕われる同僚・先輩としての顔のほうが強いように思えます。 質問者さんの言う「レベル」ってどういうレベルでしょう。タイトル?出場試合数?防御率?自分はプロ選手として登録された時点で一つのレベルに達していると思います。 日ハムの公式戦で引退試合をした選手では北海道に移ってからは新庄、稲葉、飯山、田中賢、金子誠、中嶋聡、矢野謙、浦野、木佐貫、武田勝、石井裕といったところでしょうか。昔は翌年のオープン戦で引退試合をする選手(岩本勉など)も多かったんですが。 名前だけ並べると結構有名どころばっかりですけど、武田久など現役続行を目指して引退試合しなかった選手もいますし、多田野のように日ハム(NPB)から出た後に引退セレモニーをした選手もいます。 今のNPBにおける引退試合は「実力を持っていた・持っている選手の引退表明後の花道」という側面が強いですが、チームが許せばどんな選手であってもやれます。 斎藤の場合は成績ではない何かしらの貢献なり、その話題性で引退試合を一軍でもさせてもらえたのでしょう。(対オリックス戦になったのだって、札幌ドームの日曜開催最終戦だったからですし)

tennine7
質問者

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回答No.1

>こんなに大々的に引退試合をした人 他にいますか?それは誰ですか? いないと思います 強いて言えば阪神の横田選手 2軍戦でしたが https://www.sanspo.com/article/20190923-B7NHDA3XR5KFTGHUNY3PYX6UAQ/ >斉藤選手がこの引退試合をできた理由は何だと思いますか? 腐っても鯛だからでしょう

tennine7
質問者

お礼

有り難うございます 腐っても鯛 うーん やはり鯛は何処まで行っても 鯛ですね

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