その昔、アパレル産業に足を突っ込んでいた者の主観です。
日本の「着物」(和装)は民族衣装であり、フランス人の普段着る
ファッションとは別物です。
フランスにも地方により和装同等の民族衣装が存在するからです。
「日本人がカワイイと呼ぶなんて失礼よ」
この意には、ファッションやアートに精通してきた文化・歴史の差が
あるという事だと理解出来ます。
ご存知かと思いますが、日本での洋装が始まった頃からは西洋の真似
であり、戦後はアメリカの真似といった風な「真似文化」です。
これは自動車等や建造物のデザインにも言える事です。
例えば、現代の韓国や中国がその後追いをしてきた事でお判りかと
思います。
一時期は日本でもDCブランドが流行し、フランスやイタリアと
いったファッションの憂国を驚かせておりました。
ところがまた時代は変わり、ユニクロやH&Mといったチープで
画一的なファッションを平気で好む人々が増えてしまった現在です。
それどころか、若い子や若い子を後追いしている中高年も韓国
ファッション(やはりチープで画一的)を好む様にもなっています。
それへ気付いていない方々も非常に多いのが現実だったり。
金銭的な影響が大きいのかも知れません。
しかし、やはり真似文化は日本人に根強くあるのかも知れません。
恐らく「学生服」がその要因にあるのかも知れませんね。
服育が出来ていないためなのでしょう。
海外の子に比べ、
「お母さん(或いはお父さん)、この組合せどう?変じゃない?」
なんて、親へ尋ねる日本人がどれほど存在するやら。。。
たとえ尋ねられたとして、
「あ~、別にイイんじゃない?」
程度でしょうか。
それほど世代に受け継がれた感覚と言っても過言では無気がします。
もとより、清潔さや凛々しさを重視するのが日本の和装文化ですから
それで構わないのだと感じます。
「ハンカチ持った?」 で、日本人は充分かと感じます。
私の知る限りでは、九州にある熊本県の人々が不思議にお洒落です。
昔から、個人個人が独自のファッションセンスを持ち備えている。。
それは長崎県の人々にも言えるのですが、「画一的」を嫌う傾向が
強いのかも知れません。 とにかくオリジナリティーでしたよ。
(今現在は存じておりません)
以前、女子高生の制服でミニ丈が発祥したのも熊本だと聴いた事も
あります。 次いで岡山・広島辺りも早かったですね。
話が随分反れましたが、そんな画一的に安心感を覚える国民性と、
フランスやイタリア人との感覚差なのだと思えます。
ファッションやアートへ対する極自然なまでのプライド。
その感覚こそが文化になっているのだと感じます。
お礼
フランスやイタリアの人たちにとってはファッションは絵画と同じように普遍的な美を追求する「アート」ということでしょうか。そのためにこそひとりひとりは個性的になる。ならば日本人の意識とはだいぶ違いますね。「・・・画一的に安心感を覚える国民性と、フランスやイタリア人との感覚差・・・」これは当方日本人ですからよく理解でます。そうです「個性的」ということばは日本でもよい意味で使われますが国民性というものは根強い。他と違って私は普遍的な美を追求するといってもその普遍的な美の観念がないわけですから結局まわりの人の目が最大の基準になり、最後までこわごわしていて存分に個性を発揮できない、といったところでしょうか。ご回答ありがとうございました。