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現代の音楽についての考察
- 現代の音楽において、売れている音楽は少なからず時代を映す鏡となっています。
- 過去には壮大なシンフォニーが売れた時代もありましたが、現在は「うっせぇわ」のような音楽が人気です。
- これは現代が「陰キャの時代」とも言えるのかもしれません。
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質問者が選んだベストアンサー
耳には残るなと思いましたし Youtubeだからこそ流行ったという事もあるという事だと思います。 90年代だとインディ・ロックの扱いの知る人ぞ知る状態でしたがYoutube ならばスマホなど媒体さえあれば誰でも見れますから
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- ZXYZY
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中島みゆきさんの「時代」って曲、ご存じですか。 結構、昔の曲ですが今でも耳にする機会が多くある意味、エバーグリーンな曲ですね。 その歌詞にあるのですが「こんな時代もあったねといつか笑って話せるさ~」と。 時代の寵児と言われた人や空前のヒット曲はその時代の写し鏡の側面が有ります。 その時だから、そう有り得た見たいな。 「うっせぇわ」は今の時代だから表に出れた曲でしょう。 そして、誰もが今の時代多かれ少なかれ「うっせぇわ」と思うことがあるから受け入れられていると思います。 私はこの「うっせぇわ」を聞いて江戸時代末期の「ええじゃないか」を思い出しました。 民衆が仮装するなどして囃子言葉の「ええじゃないか」等を連呼しながら集団で町々を巡って熱狂的に踊ったというものです。 みんなが共感すれば受け入れられ、そうでなければ捨て置かれる。 いつの時代もそうでしょう。 今回の「うっせぇわ」は言えないけれどそう思っている人には代弁になりますし、をれを口に出して言った人には追い風になります。 ある意味、応援歌なんでしょうね。 中島みゆきさんの「時代」がそうだったように。
お礼
>> みんなが共感すれば受け入れられ、そうでなければ捨て置かれる。いつの時代もそうでしょう。 昔の宮台真司がサブカルを語る時のような論法はあまり使いたくないのですが、「うっせえわ」が万人に受け入れられたのも、現在の日本が経済的に貧窮した事実が背景にあるのでしょう。という私自身は、東南アジアで10年ほどを過ごしております。 個人的に歌詞内容はよく分からないです。午前530 に起床、必ずコーヒー2杯を飲み、夜は水シャワーで身体・頭を洗い、よく女を抱いたりする日々ですが、このサイクルにいると先の歌詞にあるような鬱になどなりようがないです。 話が少し逸れますが、東南アジアに居ると「なぜ大人にまでなってゲームなんかやらなければいけないのか。ああいうものは所詮、人間の持っている暴力性や性欲求を抑えるためのオルタナティブツールでしかない」などといった思考に落ち着くことがあります。プレステでロードレースのゲームをやるより自分でバイクに乗った方が気持ちいい、とかそういった類の話です。一方で、精神的・経済的自由に憧れて東南アジアに来たものの多くの日本人が挫折して帰ってゆく現実も知っています(長くなるので詳細は割愛します)。 「うっせえわ」がウケていると聴いて、現代日本における精神的・経済的閉塞感をとても感じますね。そして、その閉塞感は日本国民の幼稚性と共に語られるべきものだと思っています。 ご回答ありがとうございました。
- habataki6
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くだらない、価値観は人それぞれですので、共感している 人もいるという事です。
お礼
くだらないと切り捨てた時に老化が始まるんだと思います。僕の滞在する国に住んでいる日本人男性(主に現地採用)は癖のある人が多いですが、大体ある傾向があって、少し前の時代の美意識を大事にするんですよね。ツイッターを見ていてそれを凄く感じた時期があり、そんな彼らが嫌になって同ツールから遠ざかりました。 ご回答ありがとうございました。
お礼
Indie ロック的なものへ大衆がアクセス出来るようになった背景はツールだけではなく、大衆の美意識の変化も大きいと思います。10年前に「神聖かまってちゃん」が流行りましたが、以降ああいった下地を多くの人が無意識に通過しているはずです。 ご回答ありがとうございました。