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科学と芸術と宗教
下記の本 『モーツァルトと量子力学』糸川英夫/著には ”モノとカネだけでは人の心は埋めれない。心の空白を満たし、人々に満足を与えるのは、科学と芸術と宗教である―。” と書いてます。その通りなのでしょうか? https://www.e-hon.ne.jp/bec/SA/Detail?refShinCode=0100000000000006642790&Action_id=121&Sza_id=F2
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「モノとカネだけでは人の心は埋めれない。」という所までなら マズローの欲求のやつが参考になると思います。 https://ferret-plus.com/5369 ただ、これを読むと「心の空白を満たし、人々に満足を与えるのは、科学と芸術と宗教である―」の部分はピンとこないと思います。 参考になれば幸いです。
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- human21
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科学と芸術と宗教が必要なのは、糸川さんです。 全ての人ではありません。 私一人の例でも、芸術と宗教は全く必要ないです。 人それぞれ必要なものは違い、違って当たり前だと思っています。
お礼
andではなくorだと思います。 科学or芸術or宗教 >私一人の例でも、芸術と宗教は全く必要ないです。 科学が必要だということで、当て嵌まっておられますね。 >人それぞれ必要なものは違い、違って当たり前だと思っています。 科学or芸術or宗教 の3つ以外に心の支えは「ない」と思います。
補足
科学or芸術or宗教 が心の支えになるのは、不変的なものだからと思います。 金、物、人の気持ち等は、状況によって変化しますので、今日はあっても、明日はないかもしれません。 科学or芸術or宗教 以外に不変的なものはあるでしょうか? ちなみに、糸川さんはロケット博士でした。わざわざ「量子力学」と言っているのは「工学や技術」は不変ではないからです。
- Sakura2568
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要は与えられたものには満たされない。 あなたの言う「思考」こそが人がいつまでも飽きずにいられるものなんでしょうね。 モーツァルトじゃなくても芸術は魅力的だし、 科学は求めれば何かしらの手応えがあることでしょう。 宗教は人の生み出した思考の凝縮されたものでしょう。 でも金を使って実験をしたり、金を使って演奏を聞いたり、金を使って世界の宗教家を訪ねるのも満たされるには有効な方法と思います。 つまりモノも、金もあった上でさらに満たされるにはってことでしょう? 衣食たりて礼節を知るっていうでしょ? 思考するには最低限の生活あってこそとも言えると思います。
お礼
>つまりモノも、金もあった上でさらに満たされるにはってことでしょう? 糸川さんも、ヴィクター・ワイスコフさんも、そういう意味で言っているのではないと思います。 でも、世の中には、「なりたい顔ランキング」とか言っている人たちも存在します。 そんな人たちとは、正直、、価値観が2万%異なります。 そもそも理解し得ない深い溝がある感じはします。
補足
超~人気のあった芸能人が、1回だけの失敗で、「さ~」と蜘蛛の子を散らすように廻りの人が離れていくのを見ると、人間なんて、ほとんどそんなもんだと改めて思います。 心の支えである「モーツァルトと量子力学」がないと生きずらいと考えます。
お礼
”モノとカネだけでは人の心は埋めれない。心の空白を満たし、人々に満足を与えるのは、科学と芸術と宗教である―。” これは、物理学者 ヴィクター・ワイスコフの言葉らしいです。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%95 糸川さんの言葉は、 ”自分の人生を価値あるものにしてくれるもの、つまり自分の生きがいを支えてくれるものが2つある。 モーツァルトと量子力学 である。” です。 糸川さんは、ヴィクター・ワイスコフが同じ価値観を持っていて涙が出るほど、うれしかったとこの本で書いてます。
補足
モノとカネだけでは人の心は埋めれない。 仮に、大金持ちでも、 ・ポルシェやベンツを所有していても、直ぐに飽きます。結局、高い玩具なだけ。 ・フォアグラやキャビアを食べ尽くしても、直ぐに飽きます。結局、そんな沢山食えない。 ・世界のどこに行こうが、風景なんか、10分で飽きます。結局、地球が作った思考が入ってない単調な世界。 更に、友達が沢山いても ・歳をとって利用価値が無くなったり、問題、事故等とか起こしたり、お金が無くなったり、都合が悪くなると、「さ~」と、蜘蛛の子を散らすように人は離れていきます。あてになんかできません。 そんなときでも、死ぬまで残って保証できるのは、『モーツァルトと量子力学だ』ということだと思います。