色んな矛盾を孕む宗教は、どうして信仰を集めるのか?
天動説から地動説が主流になって、
1992年にようやくカトリック教は、天動説の誤りを認めて地動説を受け入れました。
このとき、カトリック教の信者は、カトリック教に対して不信感を抱かなかったのでしょうか?
さすがに「神の存在は嘘だった!」とまではいかなくとも、なんらかの疑いの目は持たなかったのでしょうか。
それともそんな疑問さえ持たないぐらいに、洗脳を受けているものなのでしょうか。
天動説に関して神が大地を固定した、みたいな話を聞きました。
地動説を認めたとき、カトリック教はどう言い訳したんでしょう?
そもそも神様に関するストーリーが、宇宙を知らないどころか海の向こうさえ知らない存在の視点で書かれているのが滑稽な気がします。
彼らの言う「世界」に地球の外は含まれていないというか、考慮されていないようで、まるで地球の外どころか海の向こうさえ知らない、当時の文明でわかる範囲を基準に一般人が考えた小説みたいですよね。
どれも神様とやらの所業は、なぜか人間に合わせたものばかりな気がします。
他にも探せば「人間の想像力らしさ」が多く見つかると思いますが、それでいてどうして人々は宗教を信じてしまうのでしょうか。
科学的根拠や歴史を無視してでも、見たこともない人伝てとも言える空っぽな言葉に信頼を置くのでしょうか。彼らには勘違いや偶然といった概念はないのでしょうか。
人が不可解な事象に不安や恐怖をいだき、それを解消するために理由や正体を求め、わからないから「想像」で非科学的な存在を使った結論に甘えて妥協してしまう。それが原因なのでしょうか?
お礼
ありがとうございました。