• 締切済み

些細なことでできなかったことは乗り越えられたのか?

中学の頃から、好きで小説を書いていました。 小説を書いて、完成させるのも、読んでもらうのも、反応があるのも好きでした。 おもしろくないと言われれば、次こそはという貪欲さも持っていました。 高校2年の時に、電撃文庫に応募し、佳作ももらいました。 その後、受験になり、しばらく書くのをやめ、その最中にドライアイになました。 ドライアイは、死ぬわけでも、ひどい苦痛があるわけでもありません。 当時は、ドライアイという言葉も出始めで、「ストレスに弱いあなたがわるいので、気合と根性でなんとかしましょう。」的な認識でした。 実際に、ドライアイは、大抵の場合、頑張ればなんとなる程度の不快感しかありません。 深爪とか、歯の磨き残しとか、食卓にハエが一匹いる程度の不快感。 しかし、その小説を書くときにその不快感を、我慢することができませんでした。 何件かの眼科医に行っても根本的な治療ではないし、寝る時間を増やすとか、目薬を指すとか、加湿器を使うとか、目をつぶるのも、その他本当にいろいろと試してみても、なにか違和感を感じてダメでした。 その後、糊口を凌ぐために書いた、ファンタジー系のエロ小説が2冊本になった段階で、小説家になるという夢を諦めました。 たいして売れなかったし。(苦笑 これは、なにか私の努力不足で、なにか乗り越えるような方法があったのでしょうか? それとも、ドライアイになった段階で、この結果は決まっていたのでしょうか?

みんなの回答

  • sikizero
  • ベストアンサー率20% (2/10)
回答No.8

そのとき乗り越えられなかった事でも時間や環境が変われば乗り越えられるものに変わらないでしょうか? 絶対的にそのときに乗り越えなければいけなったのか、乗り越えなかったことで進んだ未来で得るものがあったんじゃないでしょうか? すみません、答えになっていなくて。 どんな本を書いてたんですか?読みたいです‼

noname#246720
noname#246720
回答No.7

3回目です。しつこくてすみません。 >世間は努力すれば夢が叶うとか言うので、確認したくなるのです。 失礼ですが質問者さんは20代くらいでしょうか? まだお若いのかな。 私は30代ですが、これくらいになるともう努力で夢が叶うなんて言って他者を責める人はそういないですよ。 30歳越えると人生の理不尽もまあまあリアルに経験しますし、例えば親が急死したり変な犯罪に巻き込まれたり、そうしたことを経験すると、人生はままならないものだということを身をもって知りますから。 確かに有名な歌手の方で「諦めなければいつか絶対叶う」と言っておられる方がいて、私もその通りだとは思います。 だけど諦めちゃいけないなんて言ってないし、他に道があるならそのほうが良いとその人も言ってましたよ。 努力すれば叶うっていうのだって、努力する対象が他のことになったって別にいいじゃないですか? あと大人が子供たちに「努力すれば叶うよ」と言うのは、子供のうちに限界まで努力する力を養っておかないと大人になって生きていけないからだと思います。 それに子供のうちは大抵の努力は報われますから。 勉強も運動も、やれば大抵は大きく伸びますからね。 でも大人になるにつれてそれだけじゃないことを学んでいくわけです。 そうやって大人になった人は、誰も質問者さんを笑ったりしませんよ。 私もそうです。 というか、電撃のってあれですよね。エンタメ大賞でしたっけ? 佳作とか本当にすごいと思いますよ。 電撃のやつは私も応募したけどかすりもしなかったですもん(笑)

回答No.6

 とりあえずそういう気負ったりストレスに弱いということがわかったら、1.諦める 2.何が不快感の原因か(たぶん家庭状況だと思いますが)考えて、考え方を修正をする 3.過去は過去として、前向きに、不快感を感じながらも全然それが大したことないくらいに慣れてしまう など取り組み方の選択はいろいろあります。  普通は、自分での修正が難しい場合は、カウンセラーに話しながら修正していくという、芸能人の方の話もよく聞きます。  まだ、何で小説家になる事を気負うと、ドライアイなどのストレス症状が出るかがよくわかりませんが、カウンセラーだったら、「何で小説家になろうとすると、それにブレーキをかける何かが働くんでしょう?」と掘り下げてくれるでしょう。「そのトゲのようなものは何なのか。誰かの反対なのか?」と。  自分もそうやって20年以上自分のストレスに取り組んでいるので、そうではないかと思い、回答しました。これ以上やり取りすると、カウンセリングになってしまうので、もうあまり回答しませんが。

  • izumi044
  • ベストアンサー率36% (1333/3622)
回答No.5

努力すれば夢が叶うと本気で言っている人は、一握りじゃないでしょうか。 でなければ、夢を見ていたい人の言葉のように思います。 以前、まんまの質問があった時には「そんなことはありません」が大半でした。 水木しげるさんは「才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ」とおっしゃっています。 むしろ、プロほどそういう考えなんじゃないでしょうか。 散々尽くしてダメなら諦める。 見極めるための努力をしてダメだと結果を導いたのなら、それは質問者さんにとって正しい判断だったのではないでしょうか。

noname#242403
noname#242403
回答No.4

>ファンタジー系のエロ小説が2冊本になった段階で、小説家になるという夢を諦めました。 夢が現実に近づいて怖くなったのでしょうね。 このまま突き進む勇気が無かったので、ドライアイを言い訳にしただけです。 小説家で大成するというのは、一種の博打ですから、努力不足とか、乗り越えなきゃいけないとかでは無いんですが、一度途中で諦めた事は、一生後悔を引きずったりします。

noname#247825
質問者

補足

一応ドライアイは病気なんですけどね。 夢に近づくのが怖いという気持ちは、なかったと思いますが、怖いと思うのは、私が悪かったのですか? 回避できたのでしょうか?

noname#246720
noname#246720
回答No.3

再投稿失礼します。 色々補足を頂きましたが、つまりまだ諦め切れていないんですかね? てっきりもう次の道で輝かれていて、懐古的にご質問されているのかと思いました。 私は今作家業をしていますが…やめていった人もたくさんいます。 最初はそういう人は根性が足りないんじゃないかと思っていましたが、今は違うと思ってます。 だから、あなたが諦めたのも根性が足りないとか言うつもりは全くない。 そうじゃなくて、やめたからにはその先の道もできているはずだと思ったんです。 今そういう実感がないなら、まだ見えていないだけ、だと思います。 実は私にも、作家業に就く前に幼少から目指したものがありました。 小学生くらいから活動していて20代中盤まで続けたので自分としては本気でしたよ。 だけどあなたのドライアイ問題と似たようなことで諦めました。(他にも色々ありましたが、話の流れ的にここに焦点を当てます) 私も、その職業を続けるにあたり体に色々問題がありました。 あなたの挙げた、牛乳アレルギー問題みたいなことも関係しています。 生まれつきの体の特徴とも言えることです。 ただ、アレルギーもドライアイもそうですが、手段を尽くせば解決法や避ける道は必ずあります。 実際あなたも、乗り越える手段はあった、と感じておられますよね。 私もそうでした。 だけど、その手段を追及するところまではいかなかった。 当時は自分なりにできる限りのことはしたと思っていましたが、今ははっきり思います。 乗り越える気が無かった、つまり向いていなかった、他の道があった。 実際、他の道に進んで満足している今の自分というものがあります。 その「以前目指したもの」というのは役者業です。 小中高生時代はかなり筋がよくて、色々なところで賞を取ったりしました。 雑誌にも載ったことがあります。 才能はそこそこあったと思います。 だけど続けることができなかったのは、つまり続けたくなかったんだな、と思ってます。 みんなができるのにお前はできないんだ、と言うつもりはなくて、できないからには理由があるんだろう、という感じでしょうか。 あなたが今どういった状況かわかりませんが、必ず輝く道があるはずです。 私も今は今で満足してますが、いつか限界が来るかもしれないです。 その時に他の道をまた選べるように、とにかく今は今の状況を悔いなく生きるのみです。 ちなみに、輝くって、世間に大注目されてテレビにもバンバン取り上げられてチヤホヤされるって意味じゃないですよ。 自分の納得のいくようにできているか、ということです。 ここを勘違いするといくら注目されても全く輝かない人生になります。

noname#247825
質問者

補足

さすがにもう小説家になろうとは考えていません。 体力的に保ちません。 しかし、屈強に立たされる時に、常に考えます。 なにか他に方法があったのか?それともなかったのか?と。 それは、誰にも答えられない事だとは思うのですが、私としてはなかった。 あなたはあなたのできる事をしたが、それは繋がっていなかった、という方が慰めになるのですが、世間は努力すれば夢が叶うとか言うので、確認したくなるのです。

noname#246720
noname#246720
回答No.2

2冊出た時点で書きたいものが無くなっただけだと思いますよ。 もしくはあまり向いていなかったのかも。 (なるのを諦めたというより、一度プロにはなっているのですから「続けるのを諦めた」ということですよね) 本当に続けたいときは、大して売れなくても多少体に不具合があっても、何としてでも絶対に続けようとします。 ドライアイはあまり関係ないと思います。 作家は大体、体になかなかの不具合を抱えながら続けているものなので。 悪い意味じゃなくて、他に道があったというだけじゃないでしょうか? 今は他のご職業なのだと思いますが、何だかんだ今のご自身に満足されているのでは。

noname#247825
質問者

補足

書きたいものは、まだあったんですよねー。 あと、何か問題を抱えながら書いている人は、その問題を乗り越えられる人なのでは? きっとあなたの人生も妥協せずになんでもできた人なのでしょう。 でも、それはあなたがギリギリ乗り越えられた問題であって、あなたが乗り越えられない問題が、たまたま出てこなかったあだけとは考えることもできませんか? 牛乳は好きじゃないが、出されれば飲める的な。 牛乳アレルギーとは、話が違う。 牛乳アレルギーは精神力や努力では乗り越えられないが、単なる牛乳嫌いは精神力で乗り越えられる。 小説家は本当に夢だったので、色々と方法を探したのだけれども、それでも、あなたの選択は間違えで、乗り越えられたはずだ!と言われるのなら仕方がない。 ドライアイ程度は多くの人が乗り越えられるのかもしれないが、私はダメだったとは考えられませんか? 平均すれば当たり前にできることでも、それがどうしても苦手な人もいるでしょう。 みんなができるから、あなたもできるはずと言うのは、個を省みない幻想ではないですか? みんなができても、あなただけができないことがある。 しかし、みんなができているのだから、あなたもできるはずだ!と言うのは、ちょっと残酷な気がしますが、どう思いますか?

回答No.1

 何となくですが、小説で賞をもらって、小説家として現実味を帯びて来たときのストレスの象徴のような気もします。  現実にプロの小説家としてやっていく時に、何か壁は感じたりしなかったのでしょうか?その不快感の中に。  弱いと言っているストレスの中身が書かれていないので。それがわかるだけでも違うかも。

noname#247825
質問者

補足

ストレスというか、大学生になったら、好きなだけ小説を書いて、現役大学生小説家になる!と気負ってはいましたが、それをストレスと考えたとしても、ストレスに影響されやすいと言うのは、私のせいですか? 私は自分を作るときに、ストレス耐性は低くてもいいや、と、選択した記憶がありません。 もし、そのような選択をしたのなら、自業自得で、先が読めていなかった私が悪いです。 でも、そんな記憶はありません。 あなたはありますか? それについてどう思いますか?

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