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1.SNS、ネット時代には果たして集団行動を学ぶ意
1.SNS、ネット時代には果たして集団行動を学ぶ意味などはあるのだろうか?(なぜ集団行動は学ぶ必要性があるのだろうか?(なぜ集団行動、生活は学校で学ぶ必要性があるのだろうか?) 2.SNS、ネットでは知識は学べても集団行動は学べないから小中高大学には行くべきという議論があるが自分の興味あるなんらかのグループに属してそこで学べば良いのではないのだろうか? (知識ではなく集団生活を学ぶために小中高大学に行っても全ての人は学べないし、学校の集団生活に馴染まずにドロップアウトして不登校になる人がいる中でわざわざ学校で行く必要性はあるのだろうか?) 3.SNS 、ネット社会で集団行動、生活を学ぶことの意義とは?(利点欠点限界盲点とは?) 社会カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ちしております。 1. Do you have any meaning or the like to learn group behavior in the SNS and Internet era? (Why is collective action necessary to learn? (Why is collective action, life necessary to learn in school?) 2. In SNS and the Internet, you can learn knowledge but you can't learn collective behavior, so you have the argument that you should go to elementary, middle and high schools, but it may not be good if you belong to some interesting group and learn there. (Everybody can not learn even if they go to elementary, middle and high schools to learn group life, not knowledge, and it is necessary to go to school while there are people who drop out and get out of school without familiarity with school group life Is there sex?) 3. What is the significance of learning collective behavior and life in SNS and Internet society? (What are the advantages and disadvantages of marginal blind point?) Social Category Yours As you answer, We'll be expecting you.
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- staratras
- ベストアンサー率41% (1499/3651)
1.無人島のロビンソン・クルーソーでもなければ、人間は一人では生きられないから、集団行動(というより生活集団の中での個人の立ち位置)を学ぶ必要は、いつの時代にもあります。それはインターネットやSNSの発達とは関係ありません。ただし学ぶ場が学校であるとは限りません。世の中の多くの人は忘れがちですが、世界には(日本でも)学校に行きたくても行けなかった人たちがいます。そうした人たちも集団生活を学校以外の場、働く社会の中で学んだのです。 2.学校に通う目的は、「集団生活を学ぶこと」ばかりではない、というよりそれは学校生活の中で知らず知らずのうちに習得することも多い副次的なものです。本来は教科の学習が中心で、それはいくらインターネットやSNSが発達しても変わりません。科学の実験でもネットの映像で見るより、実際に器具を使って先生が目の前でやっているのを見て自分でもやってみる方がはるかにわかり易いでしょう。原子の世界のような微細な現象や巨大な天文現象のようにバーチャルが効果的なものももちろんありますが…。 3.学校の利点は特に一般の小・中学校では、様々な家庭のいろんな子どもと一緒に学ぶ点にあると思います。これはネット社会(SNS)で顕著にみられる「同種の志向(思考・嗜好)集団の中だけで大いに盛り上がる」こととは対照的です。ただしそうしたことにどうしてもなじめない子どももいますので、「すべての人が学校で学ばなければならない」わけではもちろんありません。何でもそうですが、「すべての人が〇〇でなければならない」という強制は諸悪の根源です。「すべての人が学校に通うべき」も逆に「すべての人に学校は不要」も不幸な結果しかもたらさないでしょう。 4.学校での出来事は、卒業後にかえってその意味が分かることも多いように思います。(引用は「一握の砂」(石川啄木)) 意地悪の大工の子などもかなしかり 戦(いくさ)に出(い)でしが 生きてかへらず 友として遊ぶものなき 性悪の巡査の子等(ら)も あはれなりけり
- ノーバン(@nobound)
- ベストアンサー率13% (295/2111)
まあ日本はサービス業、接客業が多いし、同時に職場のややこしい人間関係もあるし。 「三丁目の夕日」の昭和の和やかな集団関係を体得すれば別に人生は困らないと思いますが、現代の細かいややこしい人間関係をどこで学ぶか?集団クラスが下手をすると、昔の嫁姑のようなややこしい心理戦をしている可能性もあり、社会に出るとハラスメントもあり、ご近所トラブルもあり。たぶん昔よりややこしい集団関係の学びをするべきか、避けるべきかの問題ですね。 どこへ行ってもご近所は居ると思いますが。
お礼
ご回答のほど、 ありがとうございます。
- tukuneto
- ベストアンサー率26% (12/45)
不登校になるかどうかは、個人とその環境の特殊な問題なので、質問に組み込むべきではないと考えます。 また、知識を得る得ないも、論点ではないと感じます。 論点は、集団行動は必要か?いなか?いうことですよね? 人の幸福とは、他者との関係の中で築かれるという哲学者もいますからねー。 ただ、個人の価値観としてはそれで良いとおもいます。 私も、1人で生きて1人で死ぬ、それが今のところ理想です。 欠点や限界はなんですかね。 共感や肉体的な接触を、与えられない、得られないことですかね。 集団行動をどの程度まで考えているか?によっても違うとおもいますが。 夫婦や家族も、集団行動ですかね?
お礼
ご回答のほど、 ありがとうございます。
- yaasan
- ベストアンサー率22% (2726/12281)
1、原点に返って考えれば、質問すら馬鹿らしい話です。誰も全ての事を一人で成し遂げて生活している人はいません。引きこもってネットを通じて買い物も済ませれば、一人で何でも出来ているように見えるでしょうが、そもそも引きこもって生きれるその稼ぎは誰が持ってくるのでしょうか。ネット(根元のサーバー)の管理は誰がしているのでしょうか。買い物をして受け付ける会社は誰がその注文をこなしているのか、誰が家に届けてくれるのでしょうかね。 人間は一人では何も成せないのです。周りに助けてもらって、初めて生活が成り立っているのです。ですから、最低限コミュニケーションを上手に取れる事をどこかで学ばなければいけないのです。 2、集団生活による社会性を学ぶ上でもっとも大切な事は我慢をするということです。噛み砕くと嫌な人と無難に付き合い、嫌な事に挑戦して無難にこなす、これを幼少期から覚える事が大切です。 自分が好きなグループに行ってそれは絶対に学べないです。嫌な事ができれば簡単に辞めてしまう事もできます。ですから余計に学ばない。それでは意味はありません。 現に小中どちらかでもドロップアウトして成功している人間はおそらくいないと思います。何とかまともに生活している人はいるでしょうが、それはうまく我慢を学べたからでしょう。 3、もう一度書きます。一人で完璧な自給自足ができる人間はいません。少なくともこの社会では実現不可能です。多少でもコミュニケーションを取らないと生きていけないのにその術を一切まともに学ばないで大人になれば、社会から見放されてしまう可能性が高いでしょう。そうなれば、より一人で生きていけなくなるのは間違いないです。 勉強という観点からだけ見たら、学校は特別な場所ではありませんが、地域や同年代というだけで集められる集団生活の学びの場としての学校は必要不可欠かと思います。
お礼
ご回答のほど、 ありがとうございます。
- roadhead
- ベストアンサー率22% (852/3790)
利点欠点限界盲点などと言う寝言を話している時点でネット社会のマイナス点でしか無い。 SNSやネット社会に依存して生きていると現実と虚構の区別がつかなくなる。 集団で学ぶのではなく現実世界で他人と触れ合う事で家族以外の人間の考えを肌で学び人の愚かさや素晴らしさ等を知り他人との関係性や距離感等の基本的な人間関係を学ぶ事でネット社会やSNSとの関係性をも学ぶ事が出来ると考えます。 ネット社会やSNSだけで生きて現実の社会に出ないで学べば判断力が鈍化されて生きる知恵が身に付かなくなると考えます。
お礼
ご回答のほど、 ありがとうございます。
お礼
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