「明治天皇の日露大戦争」と「太平洋戦争とひめゆり舞台」のことで少しでも教えてください
こんばんは。
私は映画が好きですが映画の仕組み、歴史、映画館、配給などの方の興味もいっぱいあります。
先日、大阪にある千日前国際シネマが休館になってしまいました。なんと46年にできた劇場で映画の歴史の1つでした。
シネコンに押されてというより配給会社が単館に良い作品を配給してくれないということで大阪の映画館はほぼ全滅してしまいました。
ちょっと遠かったですが入場料金が¥500円ということもあるし最後の雄姿を見たく行って来ました。
上映作品は「明治天皇と日露大戦争」で日本初のシネマスコープ、初のカラー作品、超大作、新東宝製作配給作品で高島忠夫や丹波哲郎なんかも顔出ししてるんでびっくりしました。制作費は3億だったかしら?
この映画は日本映画史に残る大ヒットとなり続編にあたいする作品が3本できてどれもヒットしたようです。
ヒット理由の大きな点はタブーとされていた天皇を描いたことでしょう。これはショッキングであるしカラー作品、超大作となればみんな見に行きたかったと思います。
新東宝の社長が大蔵社長でいろいろ問題があり大蔵社長は退社になってしまったようですが映画への情熱が強かったのか新しく大蔵映画を立ち上げました。
その1作目が日本で3本しかない?70ミリ作品「太平洋戦争と姫ゆり部隊」(150分)なんとこの映画の戦闘シーンでは戦車がいっぱいでてくるとか・・・
戦車と言えば「戦争と人間」は中国に協力してもらって、「野性の証明」はアメリカに協力してもらって・・・というぐらいで他の邦画で戦車がいっぱい出てくる映画はまったく知りません。
「明治天皇と日露大戦争」と同じような豪華さインパクト、そしてタイトルが「太平洋戦争と姫ゆり部隊」だと今リメイクされても超大作で「男たちの大和」よりも描く舞台が壮大だし「姫ゆり部隊」これはきっと「天皇」と同じぐらいタブーでありながらも興味を持ってしまう歴史でないかと思うんです。
と、ところがこの作品はヒットしなかったようで(私はビデオやテレビでもまだ見る機会がないですが)大蔵映画は撮影所の一部を娯楽施設にし大蔵映画チェーン(劇場)も名だけが残る現在になってしまったようです。
でも大蔵映画は別のジャンルの作品へ生き残る道を見出し今も固定ジャンルの映画を配給しています。
ここまで書きましたが私が一番知りたいのはなぜ「明治天皇と日露大戦」が歴史的なヒットをしたのに「太平洋戦争と姫ゆり部隊」はなぜヒットしなかったかなのです。どんな時代でどんな要因でそうなってしまったのでしょうか?
何かからの情報、推測、ご覧になった方(当時含め)のご意見など是非是非少しでもお聞かせください。
またもしこれらの時代の映画や映画館の状況が読めるような本でもありましたらご紹介ください。
どうぞよろしくお願い致します。
お礼
お礼が遅くなって申し訳ありません。 ご回答ありがとうございました。 早速問い合わせて探していただいてますが、一緒に探すのをお願いした「栄光と狂気」という作品以外はまだみつかりません。でも、丁寧に対応していただいてます。 よいところを教えてくださってありがとうございました。 この2作品、どこかにないかなあ、という感じです。 乗馬クラブや馬術教室にあるかもしれませんね。 諦めずに探していきたいと思います。