「死に方」…難しかったかな。
トンチンカンに感じるかもしれないけど、
「生きていたら」ってのは、「死ぬまで」なんですよね。
「その時」だけでなく「死ぬまで」かもしれないと思ったら、ホントに「しんどく」なるんですよね。
でも、先が見えていたら「今だけ」苦しくても我慢できることってありますよね。
例えば道路でも目的地に辿り着けると分かってたら、
途中で寄り道しても「また道路に戻れば」行けるから不安は無いですね。
道が分からなかったら「しんどくても」不安で寄り道できませんね。
でも、目的地に着いてから「寄り道すれば良かった」って思うこともありますね。(それって後悔ですね。)
自分なりの考え方なんだけど、
自分では「死ぬ時」を「目的地」にしてるんです。
自分でも先が分からない生き方は「心がしんどく」なります。
だから「先が見える」生き方を選択するんです。
そうして「人生の目的地」を「死ぬ時」として物事を考えているんです。
「しんどい」時は先が見えるか考えます。
「先が見える」なら「しんどさ」から逃げられるか、或いは堪えるか考えます。
先が見えるなら「一休み」も選択肢でしょう。
先が見えないなら、その先どうなるか不安です。
それなのに「しんどい」時なんて、一目散に逃げ出したくなりますよ。
先が見えるところまで、自分の人生を戻しますよ。
まだ分かりにくいかもしれませんが、
そういうふうに「自分の生き方」を決めているので、
「しんどい事」も先を見通しながら判断してます。
先が見えて道に迷わなければ、「しんどい時」も自分なりに判断できます。
先が見えないまま目先だけの判断で「しんどさ」に溺れたり、人生の道に迷ったりしたくないんです。
それが自分の目的地に着いた時(死ぬ時)に「良かった」と思える、
つまり「後悔しない死に方」に繋がるんです。
文章下手で、分かりにくくてゴメンナサイね。
お礼
19歳の頃に 人生に行き詰まり富士山の樹海に死のうと思いました。 が なんか死ねませんでした。新幹線で帰りました。 ありがとうございました。
補足
何回も読んでました。 死ぬ時を人生の目的地に ですか。 含蓄のお言葉を ありがとうございます。