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ヘルプマークのあり方
脊椎に障害を持っており、普段外出する際はヘルプマークをつけています。 背中・腰の痛みと下肢の痺れで、長時間立っていたり、背中を押されたり、乗り物の揺れで踏ん張ることが困難です。また、腕を高く上げることができないので高い位置の吊革に掴まることができません(身長も低いので)。 最近、通勤で使う電車の路線でヘルプマークを付けている方が増えたように感じます。若い人でも、お年寄りでも増えています。 ヘルプマークが普及してきていることを嬉しく思いますが、同時に「私レベルがマークを付けていていいのかな」と思うようになりました。 いつもヘルプマークを付けて優先席付近に立つのですが、ヘルプマークを付けた方が同じエリアに数人(私含め)いることがあります。 そうすると、自分が席を譲っていただいたときに「あの人もマーク付けてるのに…」と考えて座りにくくなってしまったり、優先席に座る方達に「またヘルプマークだよ…」と不快に思われてしまうのではと、肩身の狭さを感じます。 ヘルプマークが普及してきた今、マークを付けた人が増えてきた今、マークを付けている側としても優先順位が難しくなってしまったように思えます。また、周りの人に「ヘルプマーク付けてる人多くないか?」と思われてしまいそうで、不安です。 皆様はどのようにお考えでしょうか? ご意見をお聞かせください。
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- iwashi01
- ベストアンサー率17% (187/1051)
そうですね。 優先順位が・・・のようなことをお考えなのは、 ヘルプマークをつけていても、いますぐ席を譲ってほしいわけじゃない、 という状況があるから、ということでしょうか。 だとすると、いますぐヘルプがほしいのか、そうでもないのか、が わかるような表示マークだと、周りの人も配慮しやすくなるような気もしますが、 そこまでしなくて、もっと気軽に、何かしてあげた方がいいか、とか聞いたり、 聞かれたらいまは大丈夫です、というようなやりとりができるように、 皆がなっていけたらいいとは思いますが、なかなか難しいですよね。 というか、単純に、電車がいつも混んでいるような状況が悪いだけのような気もしますけど。
- g27anato
- ベストアンサー率29% (1166/3945)
大丈夫なら「だいじょうぶ。」 有り難たければ「ありがとう。」 …それで十分。 「ヘルプマーク」で意思表示してるんだから。 できる事はします。 できない事はできません。 それ以上でも、それ以下でもありません。 当事者同士の問題です。 第三者がどう考えようと関係ありません。 …それでこそ互いが対等な筈です。
- show1968
- ベストアンサー率32% (532/1616)
ヘルプマーク所持者です。 私なりの解釈なのですが、 ヘルプマーク=席を譲ってくださいではないと思います。 私は足と腕にも問題があるので、譲っていただけるとありがたい身ですが、 それよりも「意識不明になってしまった時の対処法」の都合で、 ヘルプマークを所持してるんです。 問題点のある体ですとアピールしているだけです。 耳の悪い方も所持しています。 耳以外は健康な方です。席譲らなくていいですよね。 ヘルプマークとはそういうものです。
お礼
はい、それは私自身も分かっております。ただ、電車のアナウンスなどで「ご年配の方やヘルプマークをお持ちの方に席をお譲りください」ともあるので、「譲った方がいいのでは」と考える人の方が多いのではと思います。 また、周りにいるマークを付けた方が譲ってほしいと思っている人か譲ってもらわなくても大丈夫な人か、分かりませんよね。その中で自分が座ることで「私より席を必要としてる人かもしれない」と思ってしまうわけです。
補足
質問の仕方が悪かったようで、上手く伝わっていない方もいるので補足させていただきます。 ヘルプマークの普及が進み、街中でよく見かけるようになったマークですが、マーク利用者が増えたことに対して皆様はどう思われますか? メリットやデメリット、様々な意見を聞きたく質問致しました。
- g27anato
- ベストアンサー率29% (1166/3945)
「ヘルプマーク」 …申し訳ないですが、その意味を理解できてません。 言葉の意味からは、 「困った時は助けて下さい」という意味なのではないでしょうか? 「困ってなくても助けろ」という意味とは考えたくありません。 個人的に考えていることは、 「他者が困るような事はしない」ということです。 (それでも不可抗力ということはあります。) 貴方の行動が結果的に他者を困らせないのなら、それはそれで構わないだろうと思います。 ただ、貴方が倒れやすい状況に置かれた時には、その事情を周囲に知ってもらう必要は有るのではないでしょうか。 「プライドや痩せ我慢」或いは「遠慮や余計な気遣い」が、 結果的に周囲を困らせることにならないか少々の不安は感じます。 「困らせる」ような事になるかならないかは、当事者本人にしか判断できない事でしょう。 「ゼロか100か」ということではなく、 その時その場合の状況に合った判断から「大丈夫」なのか「大丈夫でない」のかを、自ら示す必要は有るのかもしれません。 「あの人」とか「優先」とか他者との比較ではなく、 貴方自身の事と捉えて、その上で周囲との関わりとして考えるべき事だろうと思います。
お礼
ありがとうございます。もちろん「困ってなくても助けろ」とは思っていません。理解力がなくて申し訳ありませんが、他者を困らせる……という話にどう繋がるのかが分かりませんでした。 私も「他者を困らせるようなことはしない」というのは考えております。 私がヘルプマークを付けているのは、倒れた時や事故にあったときに、救助してくださる方に私の体の状態を知ってもらうためが一番です。体に多数の金属が埋め込まれているため、何か処置をされるときに必要な情報をマークの裏に書いてあります。 譲っていただけたときには有難く座らせていただきますし、本当に大変な時は電車を降りたりもします。自分の状態を見極められず他者を困らせることのないよう、そういった配慮は自分なりにしているつもりです。
ヘルプマーク付けてる人多くないか? とは、思いませんが マークの対象条件ってのか 基準が僕には判ってなくて、それで マークを付けてる人は、みんな同じなのかな? など、思ってしましす。 もちろんマークを配布するときは 慎重に検討などし、誰にでも与えるマークじゃないのでしょう。 とりあえず 僕がもっと、この制度を知らないとダメだな...と感じています。
お礼
ありがとうございます。実は、ヘルプマークは結構すんなりもらえてしまうのです(地域によるのかもしれませんが)。バスや地下鉄の営業所などで配布しており、私の時は「ヘルプマークが欲しいのですが」と言うと「はい、どうぞ」ともらえました。だからマークを持った人が増えているのかもしれません。 この機会にマークのことを知っていただけて嬉しいです。
お礼
ありがとうございます。はい、今の私よりあの人の方が困ってるのかもしれない、と思ってしまうのです。 そういうときに「座らせていただいてもいいですか」や「私は大丈夫ですのでどうぞ」などの声かけがお互いにできる社会ならいいなと思うのですが、朝の通勤時間帯などはみんなピリピリしていて難しく感じます。 だからこそのマークだとは思うのですが、マーク利用者が増えた今、その人が何を必要としているのかが分かりにくくなっているのかもしれませんね。 貴重なご意見ありがとうございます。