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北条はなぜ「ほうじょう」と読むか
北条はなぜ「ほうじょう」と読むのでしょうか。 1)歴史好きなら北条高広「きたじょうたかひろ」を知ってると思います。 調べてみると大江毛利氏が北条「きたじょう」に居座ったから「きたじょう」氏を名乗ったとか。「条」は条里制に基づく地域の区分、北にある条だから「きたじょう」。 「きたじょう」の由来はひじょうにわかりやすい。 2)では「ほうじょう」氏はどうか、 うじは平氏、出身地は伊豆国田方郡北条郷とある(Wiki) これが「ほうじょう」と読むのでしょうか・・・? 漢和辞典にも「北」で「ほう」は見つかりませんでしたが、なぜに「ほうじょう」とよむのでしょうか
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根拠はないんですけど「ほくじょう」が訛って「ほうじょう」になったんじゃないでしょうかね。 「きたじょう」のほうが読み方としては不自然になると思います。「きた」が訓読みで「じょう」が音読みになります。訓読みなら「きたすじ」が自然です。前半訓読み、後半音読みだと「渡辺」を「わたへん」、「田中」を「たちゅう」と読むようなものですからね。 まあ「北にある条だからきたじょうで違和感ないやろ」といわれりゃその通りですが、「だったら条北さんでも良かったんじゃない?」とか言い出したらキリがないです。 これは私のなんとなくの勘なのですが、越後北条氏が「ほうじょう」と名乗らなかったのは鎌倉北条氏に遠慮したからではないかなーという気がします。鎌倉北条氏は武家として格上で、本来武士というのは権威というか格っていうのをものすごく重要視するからです。越後北条氏が越後に来た頃はまだそういう権威がモノをいう時代だったので「同じ読みにするのはヤバくね?」って遠慮した可能性はなくはないかなーと。だったらなぜ後北条氏は北条を名乗ったのかですが、この頃には戦国時代になっていてしかも相模国一帯を支配していましたから名乗っても許される土壌みたいなのはあったかもしれません。けれども伊勢(後北条)氏より(本来)はるかに格上の上杉氏からすれば腹立たしいことだったでしょうね。
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- Postizos
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「ウ音便」の中の「く、ぐ→う」に変化する音便ではないですか? おめでたく→おめでとう かぐはし→こうばし https://kotobank.jp/word/%E3%82%A6%E9%9F%B3%E4%BE%BF-439019 https://www.weblio.jp/content/%E3%82%A6%E9%9F%B3%E4%BE%BF https://www.all5.jp/subject/266.html 北條は伊豆の地名からだそうです(つまり元は北條に居た一族を表す)。地名の由来は知りませんが田方郡の中の南北に分けた区分との記述があります。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%9D%A1%E6%B0%8F ホクジョウが音便でホウジョウと変わったのでは。 伯耆と書いて「ほうき」の読みの例があります。
お礼
ウ音便の変化、勉強になりました。 変化前の「ほくじょう」という言葉があったかどうか気になりますが 今回はここまでわかっただけで十分です。 感謝!
- nagata2017
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デジタル大辞泉の解説 ほうじょう〔ホウデウ〕【北条】 旧かなづかいでは ホウデウだから 昔は ホウと読んでいた。
お礼
回答ありがとうございます。 「ほうでう」の表記は見たのですが、 この時点では結局 なぜ 「ほう」と読むのか解決に至りませんでした。
きたじょう→ほくじょう→ほうじょう
お礼
回答ありがとうございます。 他にもご指摘ある通り ウ音便の変化なのですかね。
お礼
歴史的背景を踏まえた回答をありがとうございました。 湯桶読みは意識していませんでした。 むしろ「きたじょう」の方が変なのですね・・・。