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父の死。皆さんはどう思い受け容れましたか?
- 父の死に関する感情や受け入れ方についての質問です。
- 火葬場の関係でお通夜なしの家族葬となり、霊安室での父の姿にまだ生きているような感じを抱いたというエピソードもあります。
- また、人の死を悼む名曲についても教えてほしいという要望があります。
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こんにちはfs64vvzさん もう一度だけお邪魔させていただきます 前回は質問の回答にもなっておりませんし 私の父が逝ったのは昭和56年ですから40年近くになります 膵臓ガンでした 顔には黄疸が出ておりましたしお医者様からも長くはない 母の姪やら父の姪などが交代で付き添っておりましたが 私も仕事がありますので傍にもおれません 母からすぐ来てと連絡がありまして 駆けつけた時にはお医者さんが心臓マッサージをしておられた 父は13人兄弟の次男坊でしたから兄弟が多いものですから もう駄目かも?と思い連絡したのでしょう 近くにいる人は皆駆けつけてくる お医者様が御臨終ですと言えば 伯父さん兄貴と母ともども泣きすがる 私は一人黙って眺めていたような記憶が?少し離れて 涙も出なかったような? 親父、本当に死んだのかなあ?現実味がないのですねえ 通夜、葬式も終わりまして 皆さん帰られてから親父と向き合って、ああ親父死んだのか ようやく受け容れたのでしょうねえ 骨箱を抱いて私は号泣したのです母もそうでしたが こんな箸にも棒にも掛からぬ馬鹿息子の最高の理解者でした 今でも忘れない言葉に 「お前の人生だ好きにすればいい、ただ人の痛みを分かってやれるような人に」 最近ねえ夢に良く父と母が出ましてね そろそろ又一緒に暮らそうか? 嫌だ❗もう少し先にしてくれアハハハ
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- ミッタン(@michiyo19750208)
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私は親族の死に目に立ち会っていないので答える権利はありませんが、お父様を亡くされたと言うことで心よりお悔やみ申し上げます ばーちゃんでも死に目には会えませんでした 亡くなったと聞いてすぐに実家に帰った次第です
お礼
michiyoさん、こんばんは。 私も実はこれまで誰かの死の瞬間に立ち会ったことはないのです。 ドラマで見るよりも想像以上に、肉親の死にゆく姿は悲しく辛いものでした。 また、母が「あなた、愛してるよ。来世でも結婚しようね。まだまだ、話したいことがたくさんあるのよ」と声をかけながら泣いているのを見てのもらい泣きもありました。 いつかお別れが来るとは思っていたけれど。 子どもの頃学校で合唱させられた「大きなのっぽの古時計」を、悲しくて今は聴けません。 ご回答ありがとうございました。
こんばんは。 心よりお悔やみ申し上げます。 辛い現実を受け入れるというのも更に辛さが増してきますね。 私が27歳の時に父を亡くしました。 何もしてあげられなかった後悔にさいなまれました。 あんな事もしてあげれば良かったとか。 どうかお気持ちを少しでも落ち着けて下さいね。 https://www.youtube.com/watch?v=vD1dBv6LS_4
お礼
Live-monsterさん、こんばんは。 不肖の娘だったと後悔は山ほどです。 最後まで、豊かな暮らしをさせてあげられなかった老後でした。 代わりに自分が父から得たものはなんと多かったことか・・・。 漫画家になりたいと言えばつけペンやケント紙を買ってくれ、専門学校に行きたいと言えば行かせてくれた父でしたが、全部中途半端で終わらせ父に無駄金を遣わせてしまいました。 そんな父に、心から感謝とお疲れさまでしたを言いたいです。 素敵な音楽と映像のムービー、癒されました。 ご回答ありがとうございました。
- kamejrou
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こんばんはfs64vvz さん 私は言葉もありません 私はお父様のことについては良く承知しておりますし 悔いは誰にでも残るのです でも、あなたにありがとうと言ってくれたのなら あなたも少しは救われるのでは? お仕事の合間にお父様の心配をされるのは大変でしたでしょう 回答にもなりませんが お父様のご冥福心より祈っております 私は涙もろいからあなたの気持ちを思えば泣けるのです
お礼
kamejirouさんありがとうございます。 一緒に泣いてくださるのですね(涙) まだ喋れていた頃、父はよく私のことを、親のために家1軒買ってしまうんだから凄いな。と褒めてくれたり、またトラックに乗るのか、心配でしょうがないと認知症でありながら繰り返し言ってくれていました。 結果的に家は病気で手放しましたがそのことに感謝してくれていましたし、今は肩の故障のせいで仕事はクビになりそうですが父が心配のあまりそうさせたのかも知れませんね。 今後は、父の死を無駄にしないためにも自分をもっと大切にしなければならないのかな。 そうすることで父への手向けになるのかな。 そう考えると落ち着くのかも知れませんね。 ご回答ありがとうございました。
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お礼
kamejirouさん、再度のご回答ありがとうございます。 私は、祖母が亡くなった時には亡くなってから対面していて死に際に間に合わなかったのですが、同じようになんだか現実味がありませんでした。 そして、これまたKamejirouさんと同じように、火葬場で焼かれて骨を拾う段になって、小さな髑髏になってしまった祖母を見て「ああ、もう会えないんだな」と実感して泣いたものです。 きっと、父が骨になった時もまた号泣するのでしょうね。 父からもらった言葉は数知れませんが、子供達宛の遺書と書かれた物に、「お墓に骨を入れても、私はそこにはいません。骨は粉骨して海などに散骨してください。もし私を父として懐かしく思うのならば、声に出さずとも写真を見て想ってくれれば私の心に届きます」と書いてあるのを今日読みました。 まさしく「千の風になって」のような、父らしい言葉だと思いました。 >最近ねえ夢に良く父と母が出ましてね そろそろ又一緒に暮らそうか? 嫌だ❗もう少し先にしてくれアハハハ 最後に笑わせてくださいましたね(笑) 少し心が和んだ気がします。 ご回答、ありがとうございました。