※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:統合失調症のための親子カウンセリング、母親会)
統合失調症の親子カウンセリング、母親会についての悩み
このQ&Aのポイント
統合失調症の当事者が母親と共に受ける親子カウンセリングや母親会について悩んでいます。
カウンセリング施設での白髪の女性との話し合いが心に響き、母を説得して参加を決めたものの、高額な費用について悩んでいます。
母との話し合いの結果を待っているが、自分の貯金からでも参加費を出す覚悟でカウンセリングに参加したいと思っています。
こんにちは。
私は39歳の女性、統合失調症の当事者です。
罹患したのは18のときです。
今は服薬をずっと続けており、最近まで微量ずつ、慎重に減薬をしていましたが、主治医の先生が「これ以上は減らす必要がないと思う」というので維持しています。
私がいま悩んでいるのは、母とカウンセリングルームのことです。
その施設は都内某所にあるのですが、初回は無料で、親子で来てください。というので母といってみました。
そこで話しを聞いてくださったのは、白髪の女性でした。臨床心理などの資格などは持っておられないとのことでした。
女性は私の成育歴について、長い間はなしを聞きながらコメントしてくれました。
母が教師だったため、学級崩壊や上司からのパワハラのときなど、私が聞き役になり、本を何冊も読み、母を助けようとしたことや、小学校、中学校でも嫌な友達からいじめのようなことをされ、しかも親には言えず、高校では様なことではなく本当にいじめに遭い、大学は止めたかったというか、休みたかったのですが、当時の主治医の先生に止められ、泣く泣く通ったことなどを話しました。
女性は「こういういい子はね、親の変わりに親になるんですよ。そして自分の親を助けようとするんです」と言いました。母は子育てを否定され、すごくショックみたいでしたが、持ち前の気の強さで心の葛藤を跳ね返し、その日帰えってシャワーから出てきたら、真実一路みたいな目で「私ちゃんも洗脳されたの?」と言ってきました。もう自分は悪くないつもりなのです。
でも、私はすごく心を動かされました。長い闘病生活でカウンセラーさんにみてもらったことは数あれど、私の味方になって母に意見してくれた人など一人もいなかったのです。心理士の資格を持っていない(持っているカウンセラーさんもいらっしゃいますが、カウンセラーは選べませんとのことでした。)ことなんかなんとも思いませんでした。なぜならいままで、有資格者のプロなはずの人々に、お金を無駄にされたり、時間を浪費されたり、仕事をしてくれなかったり、ひどいことを言われて傷つけられたりしてきたからです。私はこの施設にすごく興味を持ち、母を説得して次の母親会に出てもらいました。
母親会というのは、その施設がもともと、不登校や引きこもりの人のための施設であるため、月に二度設けられている講演会のようなものです。けれど母は特別なことは何一つなかった、と言っていました。
そして、この施設で会に参加したり、この先もカウンセリングを受けるとしたら、まずは10万円の入会金と、母親会が年八万円、そのほか雑費含め、初年度は年に二十万ほどかかると言われたのです。
私は悩んでいます。母と話し合い、一週間はこのことについて考えようと言うことになりました。期限まではあと三日です。
母がとてもじゃないけれど通ってくれるとは思いません…親のためのカウンセリングや講演会なのは、「子供のこころを癒せるのは親だけだから、また親と同じように愛して、構ってやって、いつくしんできた人だけだから、親が代わらなくては子は治らない」という理由だそうです。
私はその理念には納得していますし、お金が高くとも私の貯金から、初年度だけでも全額出したいと思っています。何より、母に変わってほしいからです。
母には長い間苦しめられてきました。嫌がらせ、無視、意地悪、うそを言う、非言語的行動による否定的な態度…。でも通っても、とても母が変われるとは思えません。
それでも私は未練を捨て切れません。カウンセリングには、当事者である私も自由に同席できるようです。
何しろはじめて、生まれてはじめて、人に味方になってもらったのですから…。
皆さんだったらどう思われますか?
お金が高いから止めますか?
それともお金は出すからと母を説得することに頭を使いますか?
ご回答お待ちしております。
お礼
再びのご回答ありがとうございます。 お詳しく書いてくださったので、回答者様の子供のころのことが良くわかりました。思い出すだけでもつらいような思い出ですね。でも、いまの回答者さまは、とてもしっかりした大人の方のように思えます。 母が結婚したのは30歳ごろのことだと思います。私が中学二年のときに、公務員であり、薩摩男児でもあった父のDVとモラハラが原因で離婚しました。子どもの頃から現在に至るまで、二つ上の兄が半ば父親代わりで、母も兄を溺愛しています。 子どものころは父が怖いのと恋しいのと、母の情緒が不安定なのとで常に緊張していました。学校ではお山の大将でしたが、家に帰ると母が座布団を持って「さ、こうして身を守るのよ」と体を小さくさせられました。 友達の家に泊まらせてもらったり、小学校の三年生の頃には母の親戚の家に母と兄と私で居候させてもらいました。家の表札と自分の苗字が違い、子供心に同級生に違和感をもたれていると思い、「父はカメラマンで世界中を旅している」とうそをつきました。そのうち転校しましたが、そのままいたらおそらく、近いうち虐めの対象になっていたと思います。そのうち母と私たち兄弟は父の元に戻りました。 兄と私の仲が良いことと、私が若かったときの二十数年間は、母の嫉妬に苦しみました。今でも思い出します。数々の嫌がらせはだんだん減りましたが、今でも毎日のように母の嫌がらせがあり、つらい思いをしています。 確かに母は変わらないと思います。でも、私が変わろうとして、実際に母の嫌がらせを無視できるようになったら、母は今度は別の手段で嫌がらせをしてくるようになりました。私が変わったことでは解決されないと知りました。 カウンセラーの方には不信と信じる気持ちが拮抗しています。でも、少しでも可能性があれば、あきらめたくないという自分の気持ちを、この質問で確認しました。 もう少し、母を説得できないか、よく考えをめぐらしてみます。 心のこもったご回答、本当にありがとうございました。 失礼いたします。