最初に全4楽章の交響曲を書いたのは誰?
先に質問した内容は記述が未熟な為、削除しました。
調べた結果、メヌエットが入った最初の交響曲は
オーストリアのマティアス・ゲオルク・モン(1717-1750)
が1740年に書いたニ長調の交響曲でした。
私も調べましたが今や交響曲の「本当の父」と
呼ばれる、イタリアのジョバンニ・バティスタ・
サンマルティーニ(c.1700-1775)あたりではないかと
思っておりました。
彼は「交響曲の祖」とよばれるにふさわしい人物で
1720年代の作といわれている彼の最初の交響曲と
思われるハ長調の交響曲JC-7は、まだバロックの
コンチェルト・グロッソを思わせる旋律の中に新しい
息吹きを感じさせる3楽章の交響曲です。
私も全部は調べてないのですが、イ長調の交響曲
JC-62が4楽章なのですが、残念な事に1750年頃の
作品と見られています。
1760年代に作曲された交響曲変ホ長調JC-26等は
古典派と呼ばれるにふさわしい曲になっています。
ハイドンの同世代の作曲家であるヨゼフ・
ミスリヴェチェクは1780年頃ミラノで彼の初期の
作品を聞いて「私はハイドン様式の父を見出した」と
叫んだと伝えられています。
ちなみにJCの番号は作曲順ではなくて、整理の
都合上、調性の簡単なハ長調から番号が
割り振られています。
しかし、当時は後の交響曲とは違って各楽章が
連続されて演奏される事も多く、4楽章である意味も
それほど重要でないのかも知れません。
いずれにせよ、知識のない私にご指導ご鞭撻して
いただけるかたが居りましたら幸いです。
お礼
ぴったし!! ありがとうございました。安心して眠れま~す。