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相田みつをさんの作品で気になります
相田みつをさんの作品に対して気になる事があります 道 という作品では弱音を吐かず涙を見せずにとかいてあります 涙 という作品では声をかぎりになくがいいとあります また 【のに】 がつくと愚痴になるという作品もありますが ぐちという作品では愚痴を言っていいと書いてます 矛盾してるなと思ったんですが私の理解が間違っていますか? 違う意味がありますか? 私は泣きたい時があるのですが泣いたらだめなのかなぁと思い気になりました
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詩は継続しているものではなく そのときの心情で変わるものです。 また、詩はご自身に対して発しているのか、他人(家族も含む)に対しての 言葉なのかでも違ってきます なので同じ言葉でもご自分には厳しく、他人いは優しいということもあります。 あなたの心境にあった「詩」を選べばいいんです。 相田先生の詩はもともと作品を世に発表するためのものでなく ご子息「相田一人さん」にあてた詩が多くその成長によって 変化がみられるのかもしれません。相田光男さんの作品のほとんどは お亡くなりになった後、世に出ましたので、「誰に対して言っているのか 母親に対していっているのか、私に対していっているのかよく分からない 作品もある」と相田一人さんの講演で話されていました。 「相田みつを美術館」では作品の解説もされていますので一度行かれたらどうでしょう。またYouTubeでも一部、相田一人さんが詩を解説しているものがUPされています。
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- Dr_Hyper
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一番大事なことは,彼は思想家でも,心理学者でも,まして宗教家でもありません。 あなたがいっているように,彼の作品をあなたは見ているのです。 例を変えましょう,あなたの好きな歌手が,失恋の歌を唱っていたとします。 自分が失恋したときに聞いて,号泣したとします。 有るときその歌手が新曲をだしました。大好きな人に出会えてうれしい。という曲でした。 あなたは矛盾を感じますか?恋は悲しい物だと私に教えてくれたじゃ無いか。 相田みつをの作品は,その時に,すとん。と心に落ちる言葉があればそれを楽しみ,何かの力にするものであり,彼の言葉全てに一つの物を求めるのは,間違っています。 にんげんだから,揺らぎ,迷い,強く生きようと思えるときもあれば,立ち止まってしまうときもある それらすべて,人間だから。人間だもの。と受け入れ書にしてきたのが彼の作風ではないでしょうか。 躓いたっていいじゃない,にんげんだもの。でしたっけ? 泣きたいときには,こんな言葉をみて,勇気づけられればいいのだと思いますし,共感できない言葉にいちいち反応する必要はないんですよ。 大好きな絵画の作者が書いた他の絵が嫌いでも,それは極々普通のことですよね。
お礼
ありがとうございます!
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ありがとうございます! とても参考になりました 先日美術館見てきました