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孤雲心浩然の読み

書道で「孤雲心浩然」を書きたいのですが読みがわかりません。 漢文の読める方、読み方を教えてください。 意味は、そらにポツンと一つ浮かぶ雲のように心は広くゆったりしているということでしょうか?

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  • fujic-1990
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回答No.1

 一応高校と大学(の一般教養)を合わせて2年(史記や十八史略、長恨歌など)やったのですが、「漢文が読めるか」と言われると自信はないので引っ込んでいました。が、コメントが付かないので(もちろん、中国語式に発音しろという要望ではないですよね?)。  「孤雲」も「浩然」も日本語の辞書に出ている熟語ですし、「心」は常識ですので、「こうんしんこうぜん」と読めば、恥をかくことはないと思います。  クビを傾げる人があるとすれば、どこで切るかかなと思います。「こうん・しんこうぜん」「こうんしん・こうぜん」か。大差はないと思いますが、若干ニュアンスが違うかもしれません。  漢文の先生が言っていたのですが、「五里霧中」は、「五里霧・中」と切って読むのが正しくて、「五里・霧中」と切って読むのは間違いなんだそうです。  なんとなれば、五里霧はいたずら好きな妖術使いの「個人名」だから。本来の意味は、「人を混乱させて面白がる五里霧の術中にハマって、混乱させられている。こんちくしょう」という意味だったのに、「五里・霧中」と切ることで5里の広大な霧の中にいるかのように見通しが立たず混乱しているという平凡な比喩になってしまったのだそうです。  中国語は、「てにをは」がなく、we us のような字形変化もしないので、どこで切るのか、主語なのか目的語なのかなどの判別が難しいのです。  「こうん・しんこうぜん」なら、孤雲が主語。「こうんしん・こうぜん」なら、「孤雲の心は」で、心が主語。  文の意味は、「空にポツンと一つ浮かぶ雲は、心が広くゆったりしている(あるいは、心が俗事から解放されてくよくよ悩むところがない)」か、「空にポツンと一つ浮かぶ雲の心は、広くゆったりしている(あるいは、俗事から解放されてくよくよ悩むところがない)」か、でしょう。  この文に関するかぎりは、どちらに区切っても大差はないですが、どちらにしても、「雲のように」という比喩の意味は読み取れません。  比喩にしたいのであれば「如」などの字も使われていただろうと思います。

その他の回答 (1)

  • kzsIV
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回答No.2

五字句は意味的に 2・3と区切ることが多いので、訓読すれば「孤雲(こうん) こころ浩然(こうぜん)たり」となると思います。「孤雲」は「離れ雲」のことで「孤独で頼りどころのない貧士」とも「他を頼ることのない賢士」とも言います。「浩然」は水が流れてとどまることがないさまを言います。孟子の「浩然之気」の意味もあるかもしれません。 よりどころのない貧しい身だが、他におもねることなく、志の強さは誰にも止められない。 いや 質問者さんの解釈のほうがいいかもしれません、素直で。

M1343
質問者

お礼

読み方は私もkzslvさんと同じように考えていました。解釈ありがとうございます。参考になります。

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