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あなたの好きな歌詞のフレーズ
歌の中には、とりわけ心に残るフレーズがあったりします。 忘れていた歌でも、その言葉がすべての詞をおもいださせてくれる、 そんなことってありませんか? 私は、さだまさしの「雨宿り」 うたい出しの 「それは私がまだ神様を信じなかった頃」 のフレーズが好きです。 オッサンがなんという少女趣味な歌を・・と笑われようが、あのフレーズに 心惹かれます。 糸井重里のほぼ日にも、オフィスで誰かが「それは私がまだ神様を信じなかった頃」と口ずさんだら、最後は大合唱になったという話がでていました。 さて、みなさんの「好きなフレーズ」教えてください。
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osarunokagoya2さん、こんにちわ 好きな歌詞のフレーズ♪ とっても単純なんですけど、これを聴くと、 こんな人生いいなあ~って思えます。 ウルフルズ「バンザイ~好きでよかった~」 https://www.youtube.com/watch?v=GdSg_NdtGbc イェーイ 君を好きでよかった このまま ずっと ずっと 死ぬまでハッピー バンザイ 君に会えてよかった このまま ずっと ずっと ラララふたりで
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- lolipop-sapporo
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いろいろありますけど・・・、 ・NSP「北北東の風」 http://www.kasi-time.com/item-815.html この歌の全編が好きなのですが、「叶わぬ夢ばかり追いかけてばかりより今のこのひと時を大切にしよう」このフレーズが大好きです。 ・風「ほおづえをつく女」 http://www.kasi-time.com/item-3946.html これは最後の、「夜空の星がとても美しいのはほんの少し光っているから」このフレーズには衝撃を受けました。 どちらの曲もよくカラオケで歌いますが、周囲の方のほとんどが知りません。「北北東の風」に至っては「採点カラオケ」で全国で歌った人数が一桁でした(笑)。
お礼
ロリポップさん こんにちは NSP は、私が学生時代ずっと聴いていたバンドです。「さようなら」は歌詞を見ずに歌えます。私の第二の故郷仙台と彼らの出身地一関はかなり近いです。ベイシーという老舗の ジャズ喫茶のある(多分今もある)街です。 ♪やけに真っ白な雪がふわふわ 真っ裸の木を凍えさせ セミの子供は 雪の下 温かいんだね ぐっすり眠る 昨日まで そうだったように 明日からもこのままで居たかった 楽しかったわだなんて それが最後の言葉かい 人の言葉は悪いいたずら 愛はこころに書いた落書きさ いつまでも心にへばりついて・・・ 去年の冬はふたり 仲良く こたつでまるまっていたんじゃないか・・・ (二番を歌うと、完全に涙声になっちゃう 一人カラオケで初老のオヤジが顔をぐちゃぐちゃにして この曲を歌っているとき、 飲み物を運んできた兄ちゃんが、何か恐ろしいものを みたかのように怯えた顔で逃げ帰りました) 思い出すと右手がアルペジオの動きで勝手に弦をつま弾く。 港に続く丘だの、空の雲だのオフコースのような洗練された言葉はなくて こたつだのみかんだのセミだの、田舎臭い詞なんですが僕は 愚痴のかたまりみたいな女々しいこの歌が大好きでした。 天野滋さんは私と同い年。2005年に脳内出血で他界されました。癌が転移したのだそうです。 彼の命日7月1日は今年は私がチャレンジしている資格試験の日です。終わったら内緒で駅前のカラオケに行って天野滋の歌を歌おう。 叶わぬ夢を追いかけてばかりより、目の前の幸せを大切にしよう とは、今の私にそのままあてはまる。 でも、あきらめたりしない。 「夜空の星がとても美しいのは、ほんの少し光っているから」 カッコイイ言葉ですね。うちの娘にも教えたいです。 これも伊勢正三ですか。曲もカッコイイ大人のバラードですね。 最後のフレーズ・・・たまらなくお洒落です。 ありがとうございました。
- nijjin
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子供のころに聞いた「オタスケマンの歌」 出だしの「キラッキラッ キラッキラッ スタースター」 バブルのころに聞いた「ドリルでルンルン クルルンルン」の 「ド~リルでルンルン クルルンルン~」のフレーズ・・・ 強烈過ぎて今でも心に残っています(^^;
お礼
nijjinさんこんにちは 山本正之という人は、いつでも作詞作曲を一人でやってしまう。 というか、浮かんだ鼻歌をそのまま書いちゃうみたいな安易さが たまらない魅力かもしれません。 トラック野郎の映画監督 鈴木則文のの「下品はこの世の華」という 哲学と一脈通じるものがあります。 タイムボカンは知らなくても、山本正之さんの これは誰でも知ってますね。 https://www.youtube.com/watch?v=x23TLok8DUI これもhttps://www.youtube.com/watch?v=cK7tSybjtIs これもhttps://www.youtube.com/watch?v=H5onxiJuz1Q いや、なつかしいです。 でもどれも似た感じの曲にきこえたりするけど、それもご愛敬 職人芸に期待されているのは、普遍性とサービス精神なのでしょう。 心に残る歌がかけたらそれが才能。 ありがとうございました。
- oya_zico
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https://www.youtube.com/watch?v=uR6IYdUbx0k exさん、おはようございます。 ♪夜明けの来ない夜は無いさ あなたがポツリ言う♪ 何故か、この曲『松田聖子さんの瑠璃色の地球』を思い出してしまいました。 ♪なんでだろー なんでだろー なんでだなんでだろー♪
お礼
ジーコさんこんにちは いいなぁ。すごくいい。https://www.youtube.com/watch?v=uR6IYdUbx0k 曲も詞も歌声も 想起される映像も 松本隆はやっぱり偉い。 こんないい曲、へたなこと書かずにだまって聴くのが一番。 シンプルな詞の構成なのに深みがありますよね。 明けない夜はないという言葉のあとに、サビの 朝日が水平線から光の矢を放ち ふたりを包んでいくの・・・ 心が洗われる、美しい一曲です。 ありがとうございました。
- tzd78886
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しゅうさえこの「きっとしあわせ」に出てくるフレーズ。私は男性ですけど、泣けました。やはり女性に人気があったようです。 以下一部抜粋 きっとしあわせ いつかわかるもの ずっとしあわせ おいかけていよう きっとしあわせ そんな気がするの ずっとしあわせ みつめていたいの きっとしあわせ 今を生きること ずっとしあわせ 信じていよう きっとしあわせ そんな気がするの ずっとしあわせ みつめていたいの」
お礼
「幸福の有効期限」 そういうものがあるのかどうか、という話ですよね。 あるいは、「願望がみたされること」「安心感」これらの 保証期間。 これは、相田みつを風に言えば、「いつも心が決めること・・ みつを」なんでしょうね。 自分の事をふりかえると、過去最大レベルの幸福感は、大学入試に 合格したことでしょうね。これは、なにも旧帝大の難関学科にもぐりこめた という意味にとどまらず、「求めて行動すれば、欲しいものは手に入る」という ことを身を持って体験した喜びなんでしょうね。自分は「神に愛されている」 みたいな意識が持てました。鼻持ちならないエリート意識、あるいはさらに上の レベルからみたら「そんなもんで喜んでいるのか」という蔑みにもなるかもしれ ませんが、とにかく しゅうさえこさんの歌詞の気持ちでしたね。 人は誰でも自分が生きたいと思った生き方をしているのです。(IXTYSさん) ふとあるとき、仕事仲間の女性のプロデューサから、 「あなたは恵まれているのよ」 と言われ虚を突かれた感じがしました。いままでそんな風に思ったことはなかったから。自分と他人を比べることはあまりしてきませんでした。自分の願望を叶えることには熱心でしたが、他人との位置関係はどうでもよかった。 隣が何を食ってどういう酒を飲んでいようが、僕は自分のオーダーしたものが美味ければそれでよいという性格です。 何度も書いていますが、私が中学生の頃、父がふと「こういうのが幸せというのだろうなぁ」とつぶやいたのを覚えています。高校教師の安い月給に不満だった母は、「この人はどこまでお人好しなんだろう」といいたげに父の顔を見上げていました。 40年代の地方都市の暮らしは、世の中はオリンピックが終わって万博に向けて高度経済成長に拍車がかかり家には新しい家電が次々と導入される時代でした。 うちは、貧しいのに親父はのんきだなぁ。僕もそう思いました。そしてその年の夏。小学校4年生だった弟が小児癌で入院しました。 好事魔多し。嫌な言葉ですが、父が「これでいいんだ。」とつぶやいて間もなく、我が家はちっともよくない状況に陥りました。 ずっとしあわせ みつめていたいの その意識があれば、よかったのでしょうが、我が家は自分たちの幸せをその存在すらたしかめられずにいたのでしょう。 今の自分をしあわせと感じる心・・・これはとても大事なんでしょうね。 いい言葉を教えていただきました。 ありがとうございました。
補足
そんなことを思いながら飲む、いつもの珈琲が、なぜかとても美味しく感じました。仏壇まで持っていって、亡き父母と弟と一緒に飲み、御線香をあげました。
こんにちは(*^_^*) 小田和正さんの「mata-ne」の “どんな時も忘れていない 君は僕の大切な人” です。
お礼
一昨年、妻が突然クモ膜下出血で倒れたときのことです。もちろん、二度目の結婚のパートナーとしてすでに15年一緒に暮らしてはいました。 いつでも、どんなときでも傍にいて一緒に時間を共有し、励まし不安も喜びも共有し生きていこうと思ってきました。 妻が頭が痛い、といったとき直感的にこれは普通ではないと思い会社に向かう電車を降りて妻が倒れた病院にかけつけました。その日はMRIを撮って、とくに異常はないという診断で、しかし夜も頭痛は続き、わたしは翌日も会社を休んでセカンドオピニオンを求めに慶應病院につきそいました。午前中の診察では担当医がいなくて同じような診断でした。自宅に近い大崎の駅まで来て、急に妻は激痛に襲われ気を失い倒れました。そのとき自分が傍にいたことを神に感謝しました。 これが、本当の配偶者の役割なんだと、僕自身なにもできないけど祈り、見守り、妻の手を握り締めICUまでついていきました。それから50日の間、私は毎日ICUを見舞いときには病院に泊まりそこから会社に通いました。どんなときでも傍にいて一緒に時間を共有し、励まし不安も喜びも共有し生きていこうという思いだけでした。 妻は、病中のことはほとんど憶えていなくて、それでも完璧に回復した段階で、ぼくは生まれてはじめて神に感謝した。自分の幸福を全部あげるから妻を生かしてほしい。妻を元通りにして返してほしい。 その願いをしっかり叶えてくれました。やっぱり僕の神様はいい神様です。 coffee-beanさん。ありがとうございました。 “どんな時も忘れていない 君は僕の大切な人” この言葉を聞いて、想いを新たにしました。 愛してるなんて、本当に体現するには、小田さんの言うように 「できることはただそこにいて暮行く空を遠く眺め当たり前の明日をただ 待つだけ」 本当に、五反田の病院の病室の窓から暮ゆく空を眺め、あしたも病状が 急変したりせず、静かな寝息をきけたらそれでいい、いつか必ず 意識が正常にもどりせん妄もきえて、僕に悪態をつく元気な君に帰ってきてほしい。 づっと思い続けた二か月間 あれからもうじき2年。どんなときも僕はわすれていない 君は僕の大切な人。 いい歌ですね。どうもありがとう。
- keaget09
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こんにちはです。雨音(あまね)です。 私が好きなフレーズは・・・ 絢香さんの『三日月』の曲のなかの ♪君も見ているだろう この消えそうな三日月~ のあとの・・・・ ♪つながっているからねって 愛してるからねって の部分です。 私は1度も『愛してる』と言われたことがないので、いつか言われてみたいです。
お礼
のんさんこんにちは。 この名曲は、4月のこのシーズンにぴったり。ずっと一緒にいたふたり。 進学で彼は上京し二人は離れ離れに。僕らの頃なら木綿のハンカチーフ https://www.youtube.com/watch?v=4kavnmW3EqA 木綿のハンカチーフが二人の会話がそのまま歌詞になっていうように 三日月も会話ととらえるべきなのでしょうね。 「今にも泣きだしそうな空を見上げて あなたを想った・・・ 以下は女性の彼との電話の会話の回想でしょう 『君がいない夜だって、・・・もう泣かないよ 頑張っているからね・・強くなるからね・・・ 君もみているだろ、この三日月 それが、か細く消えそうなほど細い』 ノンさんも離れて暮らす好きな人がいるのでしょうね。 どんなに、繋がっているから 愛しているからって言われても 電話で「好き」といわれても 傍にだれもいない 今度いつ会えるの あなたの言ってくれた「愛してる」の一言。それだけが待つための電池 でも携帯とおなじく放っておいたら切れちゃうよ 切ない遠距離恋愛の想い。 永遠の名曲ですね。 ありがとうございました。 >私は1度も『愛してる』と言われたことがないので、いつか言われてみたいです。 ちなみに64年生きてきて私も女性から「愛してるわ」と言われたことは一度もないです。愛は言葉にしたら薄っぺらくなりそうで、行動や態度のなかに塗りこめられて伝わるものなのかもしれません。 結婚は二度もしているけど、最初の妻は、ベッドの中で「好きよ」と言って私を抱きしめただけで、愛してるとは言われなかったです。 今の妻は、愛してるという相手は飼い犬に頬擦りしたときにしかいいません。
- 5mm2
- ベストアンサー率9% (329/3309)
こんばんは。 isokenさんのように、「好きなフレーズ」と一つのラブストーリーが結びつかないのですが、この曲のこのフレーズを聴くと、過去の苦い恋愛を幾つか思い出しては、感傷に浸ってしまいます。 かぐや姫「22歳の別れ」 「目の前にあった幸せに すがりついてしまった」 https://youtu.be/zjxEdRGByWQ?t=25(22歳の別れ) 逆に、納得して苦笑いする曲も有ります。 みなみらんぼう「大阪慕情」 「大阪南の川のほとりの ぶらり入った飲み屋の女は 客はみんな最初の男で よけりゃ二階で遊んでいけとゆう」 https://youtu.be/6uxT-zoz-LQ?t=8(大阪慕情)
お礼
22歳の別れ やはり、かぐや姫の演奏がいいですね。懐かしすぎて言葉がでません。聴いていると自分があの時代にそのまま戻っていきそうです。 今でこそ偉そうに恋愛を語っていますが、当時の私は冷静に振り返ると、まるでモテませんでした。おそらく、奥さん同伴の同窓会でもあれば、友人にもっていかれた美形の女子大生の5人くらいに会えるでしょう。 とにかく身の程(身の丈?)を考えずに美人ばかりを追いかけ、玉砕の日々。 ある日、モテモテの先輩のお供でいったハイキングで友釣りで出会ったキャンディーズの伊藤蘭に良く似た女の子。うーん、可愛いのはタイプではない。俺はセクシーな美形が趣味なんだが・・・文句をいうにはヤモメのジョナサンの暮らしがはや1年以上、すこし守備範囲をひろげてみるか、とつきあったら秋を越えて誕生日、クリスマスとあっという間に1年がすぎました。気が付けば私は彼女のアパートに入りびたり。かぐや姫の曲ならば神田川の世界。 そうか、自分が惚れていなければ女の子なんて扱い易いものなんだ・・などと酷い話です。柴田翔のされど我らが日々の主人公が「あなたのお友達って、なんだかぼーっとした人ばかりね。」といわれ、「それってセックスに対する冒涜よ」と責められ「わかったことをいうな。」と押し倒すシーンを思い出していました。 たしかに、彼女は惚れていた御茶ノ水のクラスメイトやペンフレンドにくらべたらまるで逆のぼんやりした女の子でした。彼女はせっせと私に手編みのセーターを編んだり、お弁当をつくったりしてくれました。これで子供ができたら、そのまま新婚の夫婦だなと思いながら、どうやって別れたらいいのか、そればかり考えていました。 ただ、そうはいっても19歳から22歳までの日々をともに過ごした仲です。情のつながりというのはかんたんなものではなく、いつしか時に流されていきました。 22歳の別れは・・本当に心底リアルな心を抉られる歌です。 ご回答ありがとうございました。またのちほど。 南らんぼうは、声が好き。
- 19800923d
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こんばんは^^ 私も、さだまさしさんの曲なのですが、 「追伸」という曲が好きです。 2番の歌い出しで たとえば今日のあなたのこと 他の人と楽しそうに笑ってた あなたの声が眩しくて耳をふさぎました 声が眩しくて、という表現が何だかとても好きです。 そして一番好きなのは、やはり最後の 「わたし髪を切りました」というフレーズ。 吹っ切れたような、 でもまだ諦めきれないような 切ない気分を感じます^^ 私もう、一人で歩きだせるのよ。。。と、 強がってみせたい切ない気持ちに胸が詰まる思いがします。
お礼
金魚さんこんにちは 追伸は、曲名はしらずにメロディはよく知っていました。これもいい曲ですね。 最後の「あなたの肩幅教えてください」で不覚にも目が潤みました。さだは、このころから人の泣きのツボをつかんでいたみたいですね。 とにかく、別れを嘆く女の歌で ここまでけなげな詞はほかに知りません。 女性の言葉で心情を綴ったのはかの名曲「精霊流し」。 http://www.kasi-time.com/item-15507.html これも詞をよむだけで涙が流れます。言葉が映像を紡ぐようです。 女々しい曲ばかりでさだまさしは嫌いだ。そういう男が昔はたくさんいました。 そりゃ、拓郎や斎藤和義の方が「好きだったんだぜ」とか男っぽい。 でも世の中の男が女性化したのか、こういう曲が共感を持って受け入れられる。 最後のフレーズ 秀逸ですね。 先に亡くなった恋人を思い泣き出したい思いの主人公を 庇うように人ごみの中を静かに時間が通り過ぎます と歌う。押し殺した哀しみがあふれ出しそうです。 >私もう、一人で歩きだせるのよ。。。と、 強がってみせたい切ない気持ちに胸が詰まる思いがします。 そう。このトーンがこの時期のさだまさしのテーマだったりします。 ほんとうに凄いシンガーソングライターです。 ご回答ありがとうございました。
補足
消えたのかと思って書き直したので、こちらも載せておきます。 追伸は、初期の精霊流しとならぶ「女性文体」の秀作ですよね。タイトルをわすれてもメロディはわすれません。 https://www.youtube.com/watch?v=LhJiWFw36Xw イントロのバイオリンの調べ・・・もう涙腺をくすぐります。 朝刊のようなコミカルな曲でも抒情的な空気につつんで優しさをもりあげます。 冒頭に季節感を表現する言葉を「季語」のようにもってくるのも、導入部として効果的ですね。ナデシコ、シャクナゲなどだれでもイメージの浮かびそうで苦労する花をもってくるのですね。 芙蓉って・・どんな花だっけ、みたいな。そうそう重たいやわらかいカーネーションみたいなやつで、枯れると結構みじめな姿になったりするやつですよね。 なでしこも芙蓉も、可愛らしいけど目立たない花。 この歌の主人公の控えめでひっこみ思案な女性のようです。 相思相愛だった相手を失うような重く深い悲しみとはちがうけど、想いをよせながら 届かない相手でしょうか。それとも、プラトニックなおつきあいなのかな。 でも、手紙を書く仲なのですから、相応の期間、一緒にすごしてきたのでしょう。 その辺は謎めいたまま、不器用で奥ゆかしい女の子の心情を見事に切り取った詞ですね。 恋人同士の関係なら、「肩幅」など気軽に測っちゃうのに、聞けないでひとりで ベストをあむ健気な愛らしさ。こういうのはなかなか男には伝わらない。 さだまさしらしい優しい思いやりあふれる歌ですね。 あの時代、ニットのベストは流行ってました。当時の彼女に編み機で刺繍網の 大作を編んでもらったりレターカーディガンを作ってもらったりしたことを思い出しました。でも手編みのセーター・・・重たいから(フィッシャーマンセーターとかでなくても)今どきはすたれたのでしょうね。
- isoken
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ex さん、こんばんは。 >あなたの好きな歌詞のフレーズ 「 おちて行くのも 幸せだよと 二人冷たい 身体合わせる 」 ・・ 沢田研二 『 時の過ぎ行くままに 』 カラッとした思い出ではありませんから、殆ど封印していたのですが、上野の韓国クラブのホステスさん・・、同い年の彼女といい仲になったのは、25 ~ 6 歳の頃でした。 韓国でも美人の産地と言われる 大邱 の出身でして、結構いい女だったはずです、彼女を連れて行った 他所の飲み屋で 他のお客さんから よくそう言われましたから。 やり手の彼女はその後 上野で一番若いママになる、その開店資金捻出に苦労したみたいです、ただ私には何も言って来なかった、もっとも当時の私を逆さに振っても鼻血一滴出なかったはずですが。 ひょっとすると惚れられていたのかも知れません、何せ飲み代は一度も払った事が無い、お店がはねてから二人で行く他のスナック・焼き肉店の支払いも全部彼女持ちです。 そのうち 文京区 にあった彼女のマンションから、週3日程度 通勤するようになる、時々 小遣いをよこしたりしましてね、今思えば 殆どヒモの世界、言うなれば 韓国人の情婦に パラサイト するグータラ日本人、それが当時の私でした。 「 こんな生活 駄目だよな! 」 ・・時々 正気に返りそう思う反面、このまま 堕ちちゃえと思わないでもなかった、実は 迫られて彼女のお姉さんとも関係を持ったりしましてね、我が人生で一番 退廃的な生活をしていたのが恐らくその頃です。 もっとも 当然の如く別れが訪れる事となる、結婚して欲しいと言われたのです、曖昧な関係の清算を迫るその言葉がなかったら、もう少し続いていたでしょう、但し その瞬間 我に返りました・・絶対に無理な相談でしたから。 ・・という事で、「 時の過ぎ行くままに この身をまかせ 」 たら、堕ちるとこまで堕ちちゃいました、今思えば夢の中の出来事のようです、彼女には悪い事をしましたが・・。
お礼
isokenさん、ご無沙汰いたしております。 先日の「次代に残す恋愛の格言?」間に合わずにアンカテの毛利小平太になってしまいました。 そこで、歌で綴る恋愛談義とばかりに、回答者の皆様方に好きなフレーズを語っていただき、それをコラージュにつかいながら果たせなかった恋愛論を語ると目論んだものの、すっかり楽しんでしまいました。こら、遊んでいるんじゃないと、いきなり出てきた「鯛の尾頭付き」 とっておきの大ネタをありがとうございます。 さて、この竜宮城の乙姫さまとの思い出のごとき大ネタをどう料理しましょうか。 修羅場はおろか愁嘆場の描写もなくあっさり、帰ってきたかのように語っていますが 本来ならば箱からパッと白煙。イソケンたちまちお爺さん。それが無傷というのがまず凄い。 20代から任侠の世界に睨みが効いたisokenさん。高倉健なみの体格と容姿をもってあたりを睥睨していれば、あれは、普通の学生じゃないことくらい誰でもわかったのでしょうか。 https://www.youtube.com/watch?v=nVjcSGTP6Nk 次世代に残す恋愛格言のその1は (1)出会うのは易し別れるは難し これが、華奢な体躯の私なら、東上野キムチ横丁で皿を洗いながら鶏の頸をはねる仕事を二年くらいやらされて、指だけは勘弁してくれと泣いて許してもらい、ならば何か稼げと言われて、ホモ宿のボーイで連日オカマを掘られながら、泣く泣くシーツの張り替えをしていたかもしれません。 「はい、お客さん清掃の時間です」 「おう、兄ちゃん。可愛い顔しとるやないか。」 「やめてください。ボクノンケなんで・・」 「アホぬかせ。ノンケがこんなとこでバイトするかいな。 ええやないか。優しくおしえたるで」 これはこれで結構怖い。恐怖心から婚姻届に判を押しそうです。 >同い年の彼女といい仲になったのは、25 ~ 6 歳の頃でした。 >「 時の過ぎ行くままに この身をまかせ 」 たら、堕ちるとこまで堕ちちゃいました、今思えば夢の中の出来事のようです、彼女には悪い事をしましたが・・。 私の一つ年上の(浪人して入学)同級生が私の恋愛のメンターで、 「おまえね、恋愛にしてはいけないことってないんだよ。ケツのアナを舐めさせようが カネを貢がせようが、したいことをすればいいんだよ。人殺し以外はなんでもアリだよ」 と言っていました。彼はのちに更正(笑)してセメント会社の社長になりました。 自分に正直に生きることこそ大切なのだと教えてくれた兄のような男でした。 いや、ひさしぶりにお話できたのにつまらない話で失礼しました。 またお会いしたいです。
補足
現実を直視したくない気分の時期って、ときどきあります。飛行機のトランジットのように時間が定まっていても待つ時間というものは、退屈極まりないものです。 そういうとき、人は自分で「不安」を造りだしたりもする。不安は、角度を変えて楽しめるパズルのようなもので、暇つぶしには丁度いいのですね。 そういうものが見つからないときは、酒を飲むか女を抱くのが一番いい。男というものはそういうふうに造られていたりします。 さて、才能とポテンシャルを持った男にとって20代の半ばほどつまらない時期はありません。先にいけば、もっと権限とやりがいのある仕事もある。とはいえ順番まちの時間は大人しく待つしかないのですね。 遊んで待っていればいい、だから文字通り遊んで待っていたら、思わぬ陥穽がしかけられそうな雰囲気になったのでしょう。 私のケースでは、40代半ばに、先妻との関係を清算して人生をやり直そうと決めた時期がありました。しかし、相手が見つからずに人生のリスタートは切れません。信頼していた妻に裏切られたショックは離婚を保留した2年間で、それなりに癒されたけれど、それは心の傷が治癒しただけであって生活の足場のない浮遊感は少しもかわりませんでした。 人妻とつきあうのは本意ではなかったので、渋谷のワインバーに通うのに、女友達がいたほうが様になるだろうと誘ったあいてが、たまたま彼女だったということで、身体の相性がよかったこともあって、とても頻繁に会ってお互いを求めました。 こんなことをしていていたら、自分がダメになる・・・そういう感覚はないわけじゃないけど、いまさら失ってこまるものもなかろう・・くらいの意識でいました。 これが、今思えば恐ろしいくらいの「官能の魔力」というものでしたね。自分が竜宮城の浦島太郎になったような感覚は何度も味わいました。13歳年下の丙午の筋肉質の引きしまった肢体は僕を夢中にしました。正直にいうと、セックスというものがここまで良いものだとはそれまで思わなかったのです。 渋谷の道元坂のラブホテルや宮前平のマンションの寝室で彼女を抱くたびに、このまま続けていくのは破滅しかない・・・次第にそういう意識に変わってきて、別れるなら自分から言いださねばならないと思いました。 ここから先は、五輪真弓の歌の通りです。彼女の目に涙があふれたとき、私はそれが信じられませんでした。だって彼女はいつも私も遊びよ、という態度でいたし、夫もそれなりに大切にしてきていましたから。 結局、私は自分を強制的に「結婚相談所」に入れることで、とんでもない美人に出会えたら彼女との別れに踏ん切りがつくと思ったのです。この先の話はすでにisokenさんにもお話しました。不思議なことに僕は陰萎になった。これもご存知ですよね。
- DESTROY11
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むーん、いろいろありますが、 谷村新司「 昴」 「我も行く。心命ずるままに」 山口百恵「いい日旅立ち」 「いい日旅立ち。夕焼けをさがしに。母の背中で聞いた歌を道連れに」 及川光博「フィアンセになりたい」 「言葉より確かなもの。肉体(からだ)より曖昧なもの。見つからなくて二人 かすり傷増やして」 嘉門達夫「ゆけ!ゆけ!川口浩」 「ジャングルの奥地に新人類発見。腕には時計の跡がある」
お礼
いままでの「恋の歌」の流れで谷村新司とくれば、『22歳』あたりなんでしょうが それにしても谷村という人かくも多彩な作風をみせるアーチストなんですね。 そう、やはりこの歌。なにをおいてもこの歌です。 1980年代はこの曲ではじまりました。80年の暮、81年の新年。何度歌ったことでしょうか。 「目に見えるモノだけに縛られる物質的な生き方に別れを告げ、目に見えないモノを大事にする精神的に豊かな生活を選ぼう」 谷村が受けたというプレアデス星団からの啓示なのだそうですが、http://lite-ra.com/2014/08/post-414_2.html皮肉も80年代の日本はバブル経済に向かって徐々に加速していきましたね。 歌い出しの「目を閉じてなにも見えず」は多くの漫才で「あたりまえやろ」とギャグのネタに使われました。 「哀しくて目をあければ 荒野に向かう道より ほかにみえるものはなし」 ここが瞑想と覚りっぽくて 私は好きです。心に喝を入れてくれる 身の引き締まる言葉です。 せめてひそやかに、 この身を照らせよ プレアデス星団のかすかな光が、折れそうな若者の心を支え導く スピリチャルな時代の訪れを告げる不思議な歌でした。 1987年 日本SF大賞 - 『帝都物語』を荒俣宏が受賞しどんどん神秘主義が台頭しはじめると90年にはいってバブルが崩壊。1995年のオウム真理教事件が起きて、さらには阪神淡路大震災が重なり人の心に冷や水を浴びせました。 そんな時代背景のなかで、「昴」は歌われ愛されてきたのだと思います。 「いい日旅立ち」 は、それより二年前。宇崎と亜木のコンビでなく谷村が曲と詞を書いてヒットしましたね。 https://www.youtube.com/watch?v=Dgv3vNdRVfU じっと耳をすまして聴くと百恵ちゃんの歌はキレイですね。 何度も聴きたくなります。 及川ミッチーは、ちょっとのけておいて と思ったら「フィアンセになりたい」のメロディーが衝撃的。これいいですね。 https://www.youtube.com/watch?v=xWC8uhSzwu4 ちょっとブルーノ・マーズっぽいダンサブルな曲ですね。好きですよ。 嘉門達夫はすべて好きです。とくにこれ。 https://www.youtube.com/watch?v=Ew7odufLcrI いや、ありがとうございました。嘉門達夫ですべての感動が一掃されてしまいました。(笑)
お礼
adeleさん、こんにちは いつも素敵なご回答をありがとうございます。 この歌、あっさり聞き流したらもったいないほど、パワフルですね。 こういうバンドは貴重です。 二番の詞がいいです。 言霊という言葉を思い出します。 ありがとうございました。