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終わりの見えない努力が辛い

終わりの見えない努力が辛い ※かなり長文な上に乱文となってしまいました。申し訳ありません。 タイトルのままですが、もう終わりの見えない努力を続けるのが辛いです。 その努力がやりたい事であればいくらでも続けられるのだとは思うのですが、自分の場合はその努力が報われて夢が叶わない限りやりたい事をやることができません。 やり始めた頃はまだそれ自体が「やりたいこと」でもあったとは思うのですが、何年も報われないままで苦痛になってきました。 夢を叶えるためにお金や時間を作らなければいけないので、他のやりたい事は我慢しているうちに、他のやりたいこともなくなりました。 現状は「夢が叶う日が来る」と自分を騙して盲信しながら、仕事で稼いだお金をつぎ込んで取り組んでいます。というか、そうする他術がありません。 仕事と通勤と家事でほとんどの時間が潰れてしまうので、睡眠時間を削っているような状態です。 感覚的には「仕事をしながら、稼いだお金と空いた時間を使って別の仕事をしている」ような感覚です。 もう自分ではどうすることもできず、周りの人間に助けを求めたりする事もあるのですが、「いつか報われるよ」「ずっとそのままじゃないよ」といった的外れの気休めをもらって終わります。 詳しく話した友人曰く「俺にもどうすれば良いのか分からないから、気休めを言うしかできることが無い」そうです。 しかし、周りには似たようなことでいろんな人に助けてもらって(一部嫉妬も混ぜると「本人はあまり苦労をせず」)簡単にこなす人もいて、自分はそれほどまで魅力がないんだなと自分が憎くなることもよくあります。 あまりにも辛すぎて、「前世でどんな大きな罪を犯したのか」と思う事も多々あり、生きることそのものがしんどいです。 きっと自分の努力が足りないか悪いかだとは思うのですが、もうどうしたら良いのか全くわかりません。 甘えた考えなのかもしれないですが、もう精神的にもかなり不安定で、厳しくとも優しいアドバイス等をいただけたら幸いです。

みんなの回答

回答No.9

ちょっと私の読解力が無いのか、分かりにくいのですが 具体的に努力について報われないということに悩んでいるようで 努力が報われないことは、世の中いくらでもあります。 ほとんどの場合、努力の力の入れるところがズレていることです。 もちろん私もですが 努力が報われない→なぜだろう?→ 考える→やり方を変えてみる→ 努力する→やっぱり変わらない→ 考える→別のやり方で試してみる→ 要するに努力の仕方を変えてみることで 改善して報われるようにして行くことだと思いますが 努力が報われないことで、さらに良い結果を 引き出す事が出来る。 今はそんな時ではないのですか?

noname#261481
noname#261481
回答No.8

努力なんてしたくてしてる人はいないですよ。 言ってみれば必要悪ですよ。 何処かへ行くのに歩かねばならんのと同じです。 遥かに遠い道のりでも一歩一歩歩まねば目的地に着かないんです。 ただ、努力には方向も必要でいくら歩いた所で方向が異なれば歩けば歩くほど遠ざかってしまう。 これの見極めは重要で器用な人は最短距離がわかるんですよ。 もし努力しても結果が出ないならちょっと立ち止まって自分の立ち位置を知る必要があります。 自分の今の位置から目的地はどっちなのか…。 残念ながら人生にはナビどころかコンパスすら無いのです。

  • pipipi911
  • ベストアンサー率22% (1029/4602)
回答No.7

抽象的なので難しいのですが、 人生や、知識やスキルなどは、 1日1日の積み重ねですな。 誰かに評価されるなどの チャンスが必要な分野のことならば、 そうした機会が得られるように環境を 整えることが大切になります。 訪れたチャンスを シッカリ掴み取ることが できるように心技体の準備を整えて おくことも大事ですな。

  • hue2011
  • ベストアンサー率38% (2801/7250)
回答No.6

あのねえ。 終わりがない努力、というのは自分で終わりを作っていない努力なんです。 工程表で「マイルストーン」というのがありますね。 たとえばAから始めてZに行きたい場合に、目標点をZ点だと宣言するのです。 そしてZにいくための道をいろいろ考える。 CからEに進み、Sで受け、という道のりを考える場合もある。そうでなく、D、G、Hと進む方法もある。 そういうことを考えて、絶対に通る点というのを洗い出し、それを中間目標にします。 Bにはいく、Jには行く、Rには行く、ということがはっきりしたら、これらの点B,J,Rは「マイルストーン」と言うことになります。 オリエンテーリングなんかで必ず通れと設定されるポイントですね。 そうすると、段々工程表が具体化します。 Aで初めて、Bを通過し、Jを通過し、Rを通過して最後にZにいくのだと計画するのであれば、「進捗」というものが測れます。 Bを通過したら、最初のマイルストーンは確保したのです。まだまだZにはいきつかないけど、Bは達成したのです。次に向かうべきはJなので、そこにいくのにCを通ろうがDを通ろうが自由です。 同じように、JやRでやればいいのです。 これは山登りと同じことで、最後の頂上へは結局いけないかもしれませんが、1合目はいった、3合目五合目にいきましたという結果報告があるのと変わりません。 マイルストーンを設定すると、全然何もやっていないのか、一応結果が出る努力をしているのか、が自分自身で分かります。 終わりがない努力なんていうのは、頂上だけを目的にし、まだ頂上にたっていない、まだ目先に見えてもいない、などと悶々とすることであって、神経をすり減らした上どういう努力をしてきたか自分でも測っていないということです。 まずマイルストーンを設定し、どこまで踏破したのかを人にも言える状態でなければ、質問サイトに愚痴を書いても誰もアドバイス不可能と言うことになります。三合目でこういう目にあって先にいけませんでした、と言う話なら、三合目を経験した多数のひとたちがこうすればいい、こういう考えを持てと言えるのです。 夢がかなう日がくる、なんていうのは3000メートル先に頂上が見えていっているのか1000メートル近くまで来て言っているのかによって全然違います。 まずマイルストーンを設定し、実現可能な道を見えるようにしてください。

noname#246720
noname#246720
回答No.5

何をやろうとしているのかわからないので、参考にならなかったらすみません。 私は芸術関連の分野を仕事にしているのですが、以前は「努力すれば必ず報われる!」と思っていました。 思い込んでいたため、自分の望む形での報われ方をしなかった時に絶望して死のうとしたことがあるくらいです。 それでも辞めようと思わなかったのは、自分が思いもよらない形で報われたことがあったから…ですね。 やっていたことは無駄ではなかったんだと思いました。 今も続けてますが、まあ報われませんよ(笑) じゃあどうしてやるかと言われたら、単純に、やりたいからです。 それでも時々やめたい、もう嫌だと思うこともあります。 でもやっていれば必ず、何かを手にしているんですよ。 思ったような報われ方をしなくても、ギリギリ限界倒れる寸前まで努力したことって絶対無駄にならないと私は断言できます。 それと個人的な意見ですが、やりたいことを「夢」と表現する人って、何となく叶ってない気がします。 私は周りの人から「夢が叶って良かったね」とか言われることがあるのですが、私にとっては夢ではなくひたすら現実です。 もしかすると質問者さんは、夢だと思っているから叶わないのでは。 そこへ続く道は毎日の地道な現実の積み重ねですから、その過程を見ていかないと幻のようになってしまうのかも…と思います。 あと… 厳しい言い方になってしまいますが、絶対的に嫌になってしまった時は諦め時かもしれません。 私も以前別の業界を目指していた時に、やはりどうしても報われなくてそれ自体が嫌になって辞めたことがあります。 全く後悔していません。 むしろあの時にしっかりやめる決断をした自分に感謝したいです。 そしてやはり当時の自分は、その業界を「夢」だと思っていました。 だから叶わなかったというか、そもそも本当は向いていなかったんだと思います。

  • E-1077
  • ベストアンサー率25% (3258/12620)
回答No.4

私は芸術家な自分が基本的人格なので、努力というか地味な事の繰り返しや一見してそれが何の役に立つのかわからないような事の繰り返しは全く苦にならないのです。 地味な事の繰り返しが何時の日にか報われるという成功体験がある為にそう思えるのかもしれません。 自己満足であっても、日々の努力は自分の時間をどう使うのかも含めて、自己責任ですからね。 終わりの見えない努力ってなんだろ。っていうか、終わりがある努力とはなんだろ?

  • izumi044
  • ベストアンサー率36% (1333/3622)
回答No.3

どんな夢に向かって、どんな努力をしているのかがわからないとなんともいえませんし、他の方がおっしゃるように努力すれば必ず夢は叶うものでもありません。 たとえ教師になりたいといっても、欠員が出なければ教師の採用試験すら受けられませんから。 たとえば、料理教室に通って、初心者クラスから順に学び、上級者クラスを終了すれば、その料理教室で講師として教える資格は取得できるとしましょう。 しかし、そこで人気の講師になれるかはまた違った努力が必要になってきます。 「料理さえうまくなれば」「おいしいものさえ提供できれば」と考えて、ひたすら料理の腕を磨くだけで夢が叶うかといったら、難しいと思います。 また。それが芸術家や音楽家として売れたいといった場合。 才能と実力も考えなければなりません。 もし、質問者さんが周りから才能を認められているにもかかわらず、芽が出ないというのなら。 実力以外に人脈を得るための努力や、自分で売り込みに行く必要あるはずです。 自分を知ってもらわなければ、仕事なんて回ってきませんから。 かのビートルズですら、マネージャーというブレインを得たから売れたという話も聞きます。 自分の願いを叶えるためにブレインやマネジメントが必要ならば、そういう人間との出会いも必要になるはずです。 勉強するだけ、実力の底上げをするだけで足りないというのなら、自分でそのチャンスを掴むための努力も必要なのではありませんか。 それが、自分一人で可能なのかどうかも、考えてみることも大切かもしれません。

noname#230581
noname#230581
回答No.2

努力って、すれば必ず報われるって事は無いでしょ。 でも、しないでいては、叶えられないからする必要がある。 ましてや何をかなえたいかで、何年努力をし続けなければならないかは変わってくる。 これを勘違いしていますね。

  • saltmax
  • ベストアンサー率39% (2997/7599)
回答No.1

文章の内容に具体性がないので アドバイスはむずかしいのではないでしょうか。 内容によっては 決心して、 望めば必ず叶うということでもないでしょうし、 時間を掛けて習熟すればできるようになることもあるでしょう。 内容次第です。 小説家になろうとか、弁護士になろうとか でも この二つの職は決定的に異なるので 取り組むやり方も違うでしょう。 自分で期限を切って、その段階での内容評価しだいでは あきらめるとか、 段階的な基準を設けて、その時点における評価判断をするということも大事でしょうし、 軸足を仕事とするのなら、その何か不明な努力に向ける割合も変えることも 考えることではないでしょうか。

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