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自分(男)が創価学会二世(ほとんど活動していない)

自分(男)が創価学会二世(ほとんど活動していない)で、彼女が神社巡りなど大好きなんですが、 結婚を考えた時に、一番大きな障害が【宗教】になります。 彼女のことが好きだから、捨てられないからと、自分(男)の方が創価学会と家族を捨ててまで結婚するメリットはありますか? もちろん家族からは反対されています。

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  • suzumen
  • ベストアンサー率42% (12/28)
回答No.5

はい、わたくしも創価学会員の2世です。 妻はクリスチャンです。 日本国憲法は信教の自由を保障しています。 日本国憲法は思想信条の自由を保障しています。 わたくしは政権与党にいる創価学会系列の政治結社を支持も支援もしていません。 創価学会は袂を分かってしまいましたが元々は日蓮正宗の信徒団体です。 日蓮正宗の依教(拠り所とする経文・経典)はご存知ですね。その依教とされるものは当然に創価学会の依教です。 もはや大石寺とは何らの関係はありませんが、依教については変わってはおりません。それが変わってしまえば創価学会の存在意義が消滅します。 かつての創価学会(日蓮正宗)の教義や経典の解釈はご承知の通り極端に排他的なものでした。例えばイスラム教のそれと共通する部分が多く有りました。日蓮正宗(創価学会)の教え以外は全て邪教であり邪宗であると。 その一例がかつての大石寺参拝の際の富士宮駅からのバスルートです。駅前のメインの通りの大鳥居の下を潜りたくないという理由から極端なルートで設定されていました。全く馬鹿げた拘りです。 現在はその様な極端な解釈はありません。30年ほど前から社会通念上の常識と言って良いレベルの狭義と解釈です。 宗教団体が信徒を募り権勢を拡大する事は当然のことです。現在の創価学会の「拡大」はあくまでも他宗のそれのレベルと変わらない程度のものでしょう。 此処であなたに問いたいと思います。 あなたは日本国憲法で保障された「思想・信条・宗教信教・政治結社・言論・出版」の自由を尊重しますか? それとも自分の属する狭い世界の中の独自の教義を尊重しますか? 信教の自由は「宗教を信じる権利」も「宗教を信じない権利」のどちらも同等に保障しています。 創価学会員が宗教宣伝や勧誘活動を行うのは全くの自由。 その宣伝や勧誘に賛同して入信する事はその方の自由。 その宣伝や勧誘に賛同せず入信しない事もその方の自由。 もう答えは出ていますね。 あなたが創価学会を辞める必要は全く有りません。 同様にあなたが創価学会に留まる必要も全く有りません それはあなた自身が決める事です。 まあ、所属しているコミュ二ティから足抜けしようとすれば大抵は「罵詈雑言」「脅迫・脅し」が競い起こるでしょう。 宗教団体の場合は「転落者」「地獄に堕ちる」「人生崩壊」「裏切り者」辺りは常套句です。かつては機関紙に山の様にソレ系の体験談などが載っていましたね。 それはあなたにとって日蓮大聖人が受けたような「迫害・法難」そのものでしょうが気に掛ける必要は無い。 日本国憲法は「個人の独立と尊重」も謳っています。ですから家族を棄てる!な発想自体が笑止千万なことですね。 あなたはあなたが創価学会を辞めようと辞めまいと「個」として尊重されますし、あなたも学会員であるか無いかを問わず、家族一人一人を「個」として尊重しなくてはなりません。但しそれは思想信条とは全く別のベクトルです。 あなたが創価学会員のままで!、でを前提として自分の見解を申し上げますが、彼女と堂々と結婚なさればよろしいのです。 日本国憲法は「婚姻は当人同士の同意のみ必要」と婚姻の自由を保障していますから周りの雑音など蹴散らせば良い。それが出来ないのなら幸福な結婚生活など営めませんよ。 彼女がいかなる宗教施設を訪問しようともそれは彼女の自由です。あなたはその部分を尊重しなくてはいけません。 もちろんあなたは其れを止める様に説得する事も自由です。しない事も自由です。二人でよく話し合い二人のルールを創れば良いだけのコトでしょう。 私は妻と教会へ行きます。ミサにも行きます。牧師の説法を聴きます。但し信者では無いので献金はしない。 教会のバザーにも協力をします。これは宗教活動色より社会貢献色の要素が大きいから。誰人にも非難される事では無い。 何故なら自分は彼女の配偶者であり、彼女はキリスト教の信仰者ですから。これは家族内での、相手への尊重の当然の行為です。その行為に創価学会の教義は優先しないし優先させるつもりも無い。 逆に妻を座談会に連れて行きますし、妻は普通に付いて来る。その理由は私のそれと全く変わりません。 それぞれに「洗礼を受けなさい」「創価学会に入会しなさい」と勧誘が有ります。「配偶者を説得しなさい」もある。 けれどもそれには応じません。はっきりと申し伝えています。私も妻も「配偶者の宗派の信者にはならない」と。 私は創価学会員である事に誇りを持ち、妻はクリスチャンである事に誇りを持っています。 相手の信仰を尊重する。強要する事では無い。それだけの事です。それ以上でもそれ以下でも無い。 あなたが彼女にお付き合いをして他宗の宗教施設に行く事は創価学会の教義上、全く否定されていません。 あなたがいかなる宗教施設に行く事(参拝とはあえて書きません)も自由ですし、社会通念上の儀礼の範囲で手を合わせる事も頭を垂れる事も自由です。それは他宗教の参拝でも無ければ改宗でも無い、賛美でも無い、礼拝でもありません。あくまでも礼儀に過ぎないからです。但し賽銭や献金は為さらない方がケジメが付けられるでしょう。 当然、あなたが創価学会の教義に則って本殿や拝殿の参拝はしない!でも何らの問題はありません。鳥居の下を潜りたく無ければ潜らなければ良い。それだけの事です。彼女に問われても「宗派が違うから」で十分でしょう。 法律にも「礼拝所(宗教施設)で不敬な行為をしてはならない」というものが有ります。これは宗教施設では礼節を保った行動をしなさい。社会通念上、非礼な行為をしてはならない。という事です。 ちなみに、有償でおみくじを引く行為は全く問題ありません。これはおみくじというサービスを購入する購買行為に過ぎないからです。おみくじなんて格言集にべからず集みたいなものですから。宗教的要素はゼロでは無いが、目くじら立て!なほどでは無い。 ですがお守りや護符の類は避けた方が良いでしょう。これはもう、その宗派の信仰対象と同列だからです。 教義集や書籍、出版物は特段問題無いですね。キリスト教の聖書やイスラム教のコーランも問題無し。あくまでも文献の一つであり、他宗の教義の研究資料の解釈で良い。 極端な解釈になりますが「創価学会以外は邪宗」と思われるのなら「創価学会以外は宗教では無い」と言い換える事が出来ます。さすれば「他宗の礼拝所は宗教施設では無い」との論が導き出されます。創価学会員が宗教施設・礼拝所では無い場所に行く事はなんら咎められる事では無い。 創価学会員である前に、あなたは日本国の国民であり主権で在り、一人の人間だからです。創価学会員の教義や地位はそれに優先するものではありません。 一番大切なことはあなた自身が確固たる考えを持ちぶれない事です。 そうそう、創価学会は創始者である牧口常三郎氏(あえて先生とは書きません)が旧憲法下での宗教弾圧(不敬罪等)で獄死しました。 2代目会長の牧口常三郎氏(あえて先生とは書きません)も旧憲法下の治安維持法違反に問われ長期の投獄という宗教弾圧を受けました。 だからこそ、創価学会は現憲法を尊重し規範としています。 ですからあなたもそれに倣えば良いのです。創価学会員として。

その他の回答 (4)

  • zabusakura
  • ベストアンサー率14% (2383/15960)
回答No.4

結婚にメリットなんて考える人は、結婚しない方が良いと思います。 結婚そのものにメリットなんて無いですよ。 しかも家族に反対されて考えるようなら、最初から学会の方と 結婚なされば反対もされないのでは? 相手の方も、その程度しか(メリットがあるかどうか)愛されてないんだから 別れてさしあげた方が彼女も幸せなんじゃないでしょうか? ほとんど活動もしてないのに、学会のこだわるのは、何なのでしょう?

  • roligolin
  • ベストアンサー率17% (11/62)
回答No.3
  • nekosuke16
  • ベストアンサー率24% (903/3668)
回答No.2

結婚にメリットを求めるなら、彼女への愛情など、はじめから無いということになりますが??? こんな考え方では、貴方が学会関係者であっても、なくても、結婚自体、無理だと思いますよ。 彼女を家族や学会から、何としても守り抜く覚悟がないのであれば、今から結婚は諦めた方がいいですね。 それでなければ、学会の中から探すしかないと思いますよ。

  • copemaru
  • ベストアンサー率29% (895/2998)
回答No.1

メリット、デメリットを考えて結婚しないでしょ。 貴方にとって愛が宗教を上回るのなら、また、彼女が日蓮よりも大切であるのなら結婚すれば良いし、その逆であれば結婚すべきではありません。 先程回答したように、宗教は貴方を苦しめ、彼女を不幸にするでしょう。 世界の人々が宗教という呪縛から自由になれた時、平和に一歩近づく事でしょう。

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