山本五十六の戦略
山本五十六の発案による真珠湾攻撃により日米戦争が始まったことはよく知られています。彼はアメリカの能力を充分理解していて日本には勝利の望みが無いにも関わらず開戦したように言われていますが、軍人の
指揮官が勝利の見込みのない戦争を始めるものでしょうか、もし開戦せずに石油が無くなり軍艦、飛行機の運用が出来なくなり挙句に降伏する不名誉にたえらないとの考えから開戦に踏み切ったように理解しています。自分達の不名誉に耐えられないために国民の命を犠牲にするほうを
選択したとは考えたくないが、本当にそうでしょうか?日本は過去に勝利の望みのない戦争と言われた日露戦争をしています、その成功体験に
触発されたのではないでしょうか。しかし日露戦争の時は世界一の海洋国家と言われた英国と同盟を結んでいましたが、日米戦争の時はあのナチスドイツとの同盟でなんと当時の政府には世界を見る目のない連中が
政府の方針をきめていたようです。軍人が戦争を始めるからには勝利の見込があるはずだとおもうのですが、山本五十六は真珠湾攻撃したあとの戦略はどのように考えていたのでしょうか、まさか戦艦を全て撃沈されたから戦意喪失して講和を申し込んでくるなど考えていたわけないと思いますが。彼は真珠湾での攻撃目標は戦艦ではなく空母であったはずですがそのことを全く理解しない南雲長官に指揮を任したばかりに空母を無傷のまま放置して逃がしそのため後にその空母から本土空襲されたばかりにその後の作戦に大いに齟齬をきたした。山本は太平洋から米空母がいなくなると日本海軍の独断場となり、アメリカが本国で空母を建造するまで1年ぐらいで南太平洋に航空基地を建設されてしまっていたならあのような悲惨な戦闘をしなくともよかったのではないかと思います。その意味からも真珠湾攻撃は失敗であったと彼は判断したはずだと思われますが皆さんはどのようにみておられますか?
お礼
来年2月に、訪ねようと計画中。ありがとうございました。