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どんな場合でも、暴力はいけないと思うのですが。。
こんにちは^^ 今、お相撲さん騒動がありますね。 なにがどうなっているのか、分からないのですけれど、お相撲さんのどなたかの、「上級力士から下級力士への暴力はよくあることだ」のような発言があって驚きました。歴史あるお相撲ですが、そんなところまで時代遅れの野蛮な面子であればもはや国技などと言ってほしくありません。 子育てに関しましても、私は子供に手をあげたことは一度だってないのですけれど、子供は学校の先生からいつも褒められる優等生に育ちました。 暴力の必要性は感じないのですが皆様はいかがおかんがえでしょうか?
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相手の考えをよく聞き、気持ちをよく聞き、境遇を理解し、 どうしたいのか一緒に考え納得の上で話し合って物事を決められれば 暴力が必要になる事はそうそう無いでしょう。 しかし、軽度ではない発達障害や何らかの重責を負うなどし、 自分自信の気持ちを理解したり整理する力が極端に弱い状態で、 1つ2つ3つ4つ5つ6つと悩みを抱え解決できずに居ると、 その人は暴言が飛び出しやすい刺々しい状態になって行きます。 その状態に更に、自尊心を深く傷付ける仕打ちや、 自分の大切な存在を侮辱する態度や、 かつて自分が理不尽に殴られた状況と似た光景(フラッシュバック)を感じると 感情が爆発(衝動化)し、咄嗟に暴力に及ぶ危険が高まります。 物事に対して強い拘りを持ち、それをやめられない人。 親戚の子供などと比べ恥ずかしくない子に育つ事をネチネチと求める人。 など、 精神的に安定して成長できない人と暮らし続けて成長すると、 幼少期から不安定な精神状態で人と接し、 不安を口走って周囲の雰囲気に水を差す様な事ばかり言って疎まれたり、 水掛け論的な衝突を起こして社会性の獲得が正常に行かなくなり、 大人になってもその「人生経験」の後遺症を抱え不安定に生きたりと、 どんな親の下に生まれるかで どんな経験(人生経験)からどんな価値観や習慣(人格)が構築されるかに 雲泥の差ができる傾向があります。 また、少し話しただけでちゃんと意味を理解し気持ちでも理解できる人は、 比較的我が子も似た性質を持ちやすい傾向があります。 先天的に他人の気持ちどころか自分の気持ちすら理解が追い付かない人も 我が子が似る傾向があり、 自分が多動的で拘りが強く集団と上手くやれない人も 我が子が似る傾向があり拘りの不一致のすれ違いから 暴言、時に暴力によって言う事を聞かせようとしてしまう場合があります。 先天的な器質的な遺伝、生活的な影響が家庭によってかなり違います。 「暴力はいけない」という認識と意志があっても、 自他の気持ちを理解する事も表現する事も苦手で、 上からの立場で独善的に押し付け従ってくる人や子供としか上手くやれない。 そういう人は特に男性には多くいます。 物事を決め付けず、自分の考えや善意を押し付けず、 相手が安心して話せる様に丁寧に言葉を選べる表現力が無いと、 なかなかその人の本音や、その人が自覚していない意志や気持ちは知れません。 人とのコミュニケーションや会話にあまり興味が無く、 上手く表現し伝達する経験(キャリア)が無い人間が、 対人関係の複雑な正解の無い問題に直面すると、 独善の押し付け ~ 抑圧の反動の発生 ~ 従わなかった者への制裁(時に暴力) という事態になりやすくなります。 私達の暮らしは1~10まで毎回説明を要する面倒なやり取りはやっておられず、 その組織の体質に順応できる者が残り、順応できない者が去り、 その組織の体質に倫理的に嫌悪感を持つ人は近付きすらせず、 その組織の体質に別に違和感を持たない人が近付くという傾向もあります。 同じ国に住んで居ても、 その組織やその家庭単位でかなり暗黙の部分に差があります。 上下関係がハッキリしている場であるほど、 対話と説明と納得を欠いた押し付け~抑圧~反動~制裁の泥沼は多く、 誰もが対等で対話能力が無いと意思疎通すら困難な場であるほど、 押し付け~抑圧~反動~制裁 で何とかしようとする人には居場所が無く 別の場に流れ去る様な一面があります。 その組織で要されるものが何で、何が無くてもやっていけるのか? その組織に飛び込む決意をする時点で、 集まる人間性にある程度の偏りが生じて行きます。 罰や暴言や暴力が生じやすい家庭や組織、全くそうでない家庭や組織。 どちらに慣れているかで、 どこまで実感として理解できるかできないかが変わるのかもしれません。 少々纏まりに欠けますが私の考えは以上です。
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- maiko0333
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言葉で言い聞かせて理解できる子供はいいのです。 でも、言葉で言っても理解できない年齢や性格はあるものです。 暴力はいけないと思いますが、「身体に覚え込ませる」ことは 必要だろうと思いますよ。 おねしょが治らない子供の頃、何度も叱責されて何度泣いたことか。 でも、カラダは言うことを聞かない。頭で理解しても無理なんです。 思春期の心が揺れ動く時期、非行に走るか走らないかは紙一重だと思いますよ。 非行に走ってはいけないと知りながらも走りがちなのが思春期ではないでしょうか?
お礼
おねしょは夜尿症といってお薬で治ります。 ご回答ありがとうございました。
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お礼
>相手の考えをよく聞き、気持ちをよく聞き、境遇を理解し、 どうしたいのか一緒に考え納得の上で話し合って物事を決められれば 暴力が必要になる事はそうそう無いでしょう。 仰る通りだと思います。 >しかし、軽度ではない発達障害や何らかの重責を負うなどし、 自分自信の気持ちを理解したり整理する力が極端に弱い状態で、 1つ2つ3つ4つ5つ6つと悩みを抱え解決できずに居ると、 その人は暴言が飛び出しやすい刺々しい状態になって行きます。 解決力が弱いのですね。 >その状態に更に、自尊心を深く傷付ける仕打ちや、 自分の大切な存在を侮辱する態度や、 かつて自分が理不尽に殴られた状況と似た光景(フラッシュバック)を感じると 感情が爆発(衝動化)し、咄嗟に暴力に及ぶ危険が高まります。 子育てで、子供を殴ってはいけないというのはここに通じると思うのです。 母親教室でもそう教わりました。 >また、少し話しただけでちゃんと意味を理解し気持ちでも理解できる人は、 比較的我が子も似た性質を持ちやすい傾向があります。 先天的に他人の気持ちどころか自分の気持ちすら理解が追い付かない人も 我が子が似る傾向があり、 自分が多動的で拘りが強く集団と上手くやれない人も 我が子が似る傾向があり拘りの不一致のすれ違いから 暴言、時に暴力によって言う事を聞かせようとしてしまう場合があります。 私の子育ては本当に楽でした。「これはこうだからね。次からは気をつけようね。」と言うだけで伝わったのです。 ところが今の主人は、そう、「拘り」が強いのですね。拘りが正しいものであれば問題はないのですけれど、変な思い込みで暴走するので困ります。 >罰や暴言や暴力が生じやすい家庭や組織、全くそうでない家庭や組織。 どちらに慣れているかで、 どこまで実感として理解できるかできないかが変わるのかもしれません。 私には理解できない世界です。 ご回答ありがとうございました。