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プラハの春国際音楽祭での「我が祖国」の演奏について
プラハの春国際音楽祭の開幕で毎年スメタナの「我が祖国」が演奏されますが、これは冷戦中(チェコが社会主義国だったとき)も同じように演奏されていたのでしょうか? 規制などはされなかったのでしょうか?
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- nororo
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規制するとしたら、政治的、思想的に当時の体制に危険を及ぼすものというのが基本にあると思います。 その点、スメタナの芸術はチェコ国家賛美でしたし、音楽に悪い意味にとられるような詩もついていませんし、 なにより社会主義体制のチェコ人官僚でも自らの国家を愛していましたから、 社会主義であっても、民族のシンボル・文化であるスメタナや音楽祭と社会主義とは共存していたと思います。
- ChM
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「プラハの春国際音楽祭」は、(ご存じとは思いますが)スメタナの命日にあたる5月12日に開幕しています。これからもお分かりのように、スメタナをたたえた音楽祭といっても良いかと思います。 「わが祖国」は、スメタナが1879年に全曲を完成すると、プラハにささげた作品でもあり、「プラハ」を名称とする祭典にもっともふさわしいものとする解釈は、社会主義国であるか否かを問わないと思います。毎回この曲が演奏されてきました。 1946年に発足以来、この交響詩が演奏されており、それは『民族の自立』というナショナリズムの運動が背景にあります。しかし、1948年にチェコスロバキアで共産主義政権が誕生したことで、これに反発した指揮者ラファエル・クベリーク(一般にクーベリック。この音楽祭を企画した一人)が祖国を捨てて国外に去ったという、不幸な事実もあります。 ちなみに彼は、この国で共産主義が崩壊した後の1990年に、42年ぶりに母国を訪れ、この年の「プラハの春」開幕公演を指揮しました。もちろん、「わが祖国」を、です。 1996年にスイスで永眠しました。
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ありがとうございましたm(__)m
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回答ありがとうございました。 レポートで調べていたのですが、音楽祭で毎年何が演奏されていたなどの資料が見つからなかったので質問させていただきました。 冷戦中のドイツやソ連の音楽史を調べていましたら、民族自決を煽るような音楽の演奏は禁止されていたという記述があったことと、1968年のプラハの春事件でソ連の軍事介入以後特に民族性が強調されるものはかなり厳しく規制されていたらしいので、やはり国民楽派の代表的な作品である「我が祖国」の演奏も規制されたのかと思いまして… この社会主義の中でも音楽祭が共存していたのですね。