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人助けはどこまでが相手の為でしょうか。
あまり丁寧に助け過ぎると相手の自力で考え解決する成長を削いだり、 一緒に居てあげ過ぎると独りの時間をつまらなく感じさせていたり。 よかれと思っても結果あまり良くない影響を与える事もあります。 何かほどほどな匙加減の見極め方ってないでしょうか?
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自分の意見を言わないことです。 ただ、聴く、という態度で止めるのが最善です。 もちろん自分のほうが知っている専門知識だとかプロの経験で役立つことがあればそれを言うのはかまいませんが、解決をする主語まで奪わないことを注意すべきです。 そういう態度でいると、相手も、このひとは「正解を教えてくれる人」だと考えます。それは相手の思考を停めてしまうことなんであなたのおっしゃる通りなんです。 一般に悩み事というのは専門知識の問題じゃなく、人間関係とか作業の効率化がうまくいかないとかそういうことが多いですから、そんなものは共有できません。 自分だったらどうする、なんて言っても、その人と同じ立場で同じ空気にいて同じ経験をつんだわけでなければ、まずぴったりした回答にならず、野次馬の言い放題にしかなりません。 だから「聴くだけ」をこころがけるのがいいのです。 あなたに理解してほしくて相手は、自分の抱える問題を、わかりやすくまとめて分解して、構造的に理解してもらおうと努力します。 当然お前の被害妄想だ、とか思い込みだと言われる危険性がありますから、そうではない理由と証拠をみつけてはなそうとします。 こういう思考をしていると、実は問題点は整理されてくるんですね。そして、説明しながら「あ、おれ、こういうことにあまり着目していなかったんだ」というようなことを発見し出したりするのです。 あなたは、誠意をもってそれを聴いているだけです。基本何もツッコミを入れずに。 やがて、「ああ、こういうことを確かめればよかったんだ」とか「こうすれば好転したかもしれない」と発見するようになったら、自分で問題を解決しているのです。 そういう解決法を得られないとしてもこの人は助かっています。 自分の悩みをしっかりと受け取ってくれる人に話をしたのですから。 王様の耳の秘密を井戸ではなくあなたに打ち明けることで、気持ちがハレバレとしたはずです。自分の悩みを知ってくれている人がひとりでもこの世に居ると思うだけで、自分は世界からのけものになっているクズじゃないんだと自信がつきます。 人を助けるというのは、ここが原則です。 自分で片付けなかった問題は自分のスキルになりません。自分で片付けてもらうのが大事です。 これをやると、今度はこの人が他の人の悩みを聴くことができるようになります。そうすると助けの輪は広がるんです。
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- sabro-
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「人助け」っていうのは、どんな場面においても結局のところ、しているつもりになっている方の【自己満足】でしかありません! 困っている方の為に「してやったっ!」 という自己満足です。そのしてもらった方は、本当にありがたいと思っているかどうかの線引きは、困った側にしかわかりません! 〉どこまでが相手の為でしょうか? 〉〉考える必要はありません。先に記した通り、困った側にしかわからない事なので、頼まれた事だけをしてみたらどうですか!? それで初めて【人助け】です。 後は余計なお世話になる事も多いですよ?! 話は少し奥深くなりますが、そろそろ24時間TVですね!? アレは、障害者の方等や、本当に困っている方々を見せ物にし、【健常者目線の「やってやった!」】という満足感でしか成り立たないひどい番組だと私は思ってます。 例えば・・・、24時間誰かが走ったところで、障害者の方々は、誰も喜びません!し、助けにもなりません!今回は、誰が走る?は、当日に発表!?、もはや、娯楽番組です。障害者の方々をバカにするのもいい加減にしろ!と、思いますね。サンシャインが「【いえ~いっ!】で走る?」バカにすんのもいい加減にしろ!です。 あの番組も堕ちたもんですわ・・・。 スタジオや、その他の番組の項目として、どんな見せ物等があったとしても、 あの番組は、健常者による健常者の為の自己満足の娯楽番組でしかありません。唯一、一つだけ人の為になる事と言えば、人助け項目としての【募金】ですかね! - しかしながら、本当はいくら貯まって本当に困っている方々へ渡ってるのかどうか?まではわかりませんが・・・、 - 【人助け】っていうのは、困った人にその困った事に対してだけやればいい事です。 後はおせっかいになる事さえあるものです。先に記した24時間TVのように、「私・・・、困ってる君の為に24時間ずっと走ったんだ・・・!」こう言われたりやられたらどう感じますか? 【意味ねーし!私の困っている事とは全く関係ねーし!】だから何?恩でも売ろうってぇのか?等と思いませんか!? - 結局のところ、 - 今回の、質問への回答としては、 困っている人にその困っている事を頼まれた時にやればいい事です。 後はあなたの自己満足や、相手の状況によっては、余計な事でしかありませんよ!
お礼
まぁ回答も自己満足ですもんね。 誰もが見捨てられない欲求があって自己満足に走るだけ。 義務教育も社会保障制度も弊害の面を見れば余計な事でしかないでしょうね。
- hekiyu
- ベストアンサー率32% (7193/21843)
蚊帳の教え、という実話があります。 アフリカのある地方では、蚊が伝染病の媒介をして 多くの人が犠牲になっていました。 それで米国の俳優が中心になって、蚊帳をプレゼント することになりました。 俳優の中にはシャロンストーンもおりました。 それで一時期、伝染病が減ったのですが、タダで蚊帳が 手に入ったため、今まで蚊帳を作っていた会社が倒産し 10年後、以前よりヒドイ伝染病が流行し、いたって犠牲者が 増えてしまった、という話しがあります。 また、トダローの逆説、というこれまた実話あります。 スラムを改善しようと、頑張り、住みやすくしたのですが、 そのため、スラム人口が増え、いたって悲惨な結果を 招いてしまった。 何かほどほどな匙加減の見極め方ってないでしょうか? ↑ 飢えた者にはサカナを与えてはいけない。 与えても食い終わればまた与えなければならない。 飢えた者にはサカナを捕る技術を与えるべきだ。 そうすれば一生餓えに苦しむことはない。 助けるのではなく、自助を促すのが最善だと 思います。
お礼
善意も愛情も常に良い方向に巡る訳ではないですよね。 援助が産業を壊し余計苦しめる話、 国の指導者の善意が国を大惨事に陥れてしまう話は もう数えきれないほどある様ですし。 >飢えた者にはサカナを捕る技術を与えるべきだ。 ただ鉄鋼、造船、漁業など色々技術を与えた中国が 回復力を無視した根こそぎ漁業で漁業資源を壊滅させた挙句 日本の周囲の漁業資源まで食い散らかすのを見ると・・。 まぁこれはもう別の問題なんでしょうけどなんとも。。 3000万人以上の餓死者を出してる国を見過ごす事なんて 出来なかったのでしょうけれど。 観測も想像も困難な影響がどこまで及ぶかは解らない。 この世は責任を取れない事ばかり。 無知無自覚は結構残酷な結果を招きもする。 うーん。考えすぎですかね。 ともあれ自助、自立が最初の一歩でそこから考えて行くしか 出来る事はないのかもしれません。 遠い先に招かれる因果まではなかなか想定し難いですし。
- eokwave
- ベストアンサー率25% (6/24)
人助けは何処までが相手の為かは正直わかりません。一つ言えることは「相手の言動や行動が確実に変化した時」と言えるかもしれませんね。でも結局は、相手「貴方への感情」と貴方「思い入れ」次第になると思います。 人助けは貴方にも共に成長する事を求められます。「よかれと思って・・・」の言葉は、失礼ですが貴方が未熟であることを表しています。そう言う私も未熟ですが、ひとつのテーマを成し遂げ満悦していると、次のテーマでは未熟を感じ自信を無くすなんてことは、誰もが一度や二度は経験があると思います。「人の為に」が自分の為「自分の歓びや幸せ」に直結していれば、「よかれと思って・・・」の言葉は影をひそめるでしょう。何よりも大事なのは貴方の「人の為に」の気持ちです。自分の成長に繋がる機会は持ち続けましょう「自分の幸せの範囲でね」。人間のお師匠様であるキリストは言いました。「私の如く生きたものは、私以上の力を現すであろう。」 未熟な私が、貴方に分かる話で上手く「アドバイス」ができませんので、指導者として高い評価を受けた日本人「西岡京治さん」が残した言葉を列記させて頂きます。ご紹介する理由ですが、物事を始めるに当たって重要なことは、考え方に於いて「根っこ」の部分が重要(大切)であると共感できる点です。「人助けはどうあるべきか」ご自分の過去の行動と照らし合わせてみて下さい。西岡京治さんは、ブータンの農業指導「海外協力事業団から派遣」に於いて功績を認められ、国王から最高の称号「最高に優れた人」を外国人で初めて授与「最初で最後の外国人とも・・。」された方です。 ・言葉で教えるのではなく自らやってみせる。 ・身の丈「相手の目線」に合っていなければ根付きはしない。 ・技術「やり方」をどれだけ移し終えたかではなく、農民「相手」の気持ちをいかに変えるかが大事。 TVで放映されましたのでご存知かもしれませんが、西岡京治さんの肉声「迷わない人」が聞ける動画のサイトを紹介します。よろしかったらどうぞ御覧になって下さい。 https://www.youtube.com/watch?v=yG92I6toRCc
お礼
西岡京治さんは幾度か番組で見た事がありました。 どこか山本五十六さんの名言、 ・やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、 ほめてやらねば、人は動かじ。 ・話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。 ・やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。 これらに通じるものを感じもします。 時と場合と状況によって取れる行動には限りがあり、 どこまでいっても正解は無く、 反省と改善の繰り返しに終わりは無いのかもしれませんね。 人も社会も絶えず変わり続けてしまいますから。
- vcrrtuu
- ベストアンサー率10% (1/10)
あなたの この質問一つに しても 人助けに なってる・・ 運営は 利用者が居るから成り立つし 回答者も あなたの質問に回答出来てる・・ あなたも 回答を貰い 疑問点を理解する事が出来る・・ この様に 廻り回って返ってくるのが人助け・・
お礼
視点を変えれば何事も無駄にはならず糧になるんですよね。 例えどんな出来事でも悲しみを拭う確かな術を築く糧に。 私は自分が人助けを受けその感謝を自分なりの形で返していた。 それが自他をもっと知り色々な事に気付く貴重な経験にも。 医学の進歩、科学の進歩で救われ繋がった命が 自分なりの形で誰かを掬おうとして繋がり巡り続けている。 どこか不思議なものですね。 ご回答ありがとうございます。
- totutotutotu
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こんにちは。匙加減は人の数以上に無限ですね。 「人助け」は、助ける側がどの目線から目視しているかにもよると思います。 質問者様の文章で「一緒にいてあげ過ぎると」という表現においては上から目線という印象がありますね。 助ける側の心の位置で助けられる側が不快に感じることもありますし、 逆に人助けと思っている側が、そこに依存していて人助けすることで実は自分が助けられているなんてこともよくあることです。 よかれと思ってというのは主観なので「自己満足」。 相手が助けを求めてきたことに対し、客観的に考察して分別をつけ対処するのが適当なのかなとも思います。 一般的な視点としてエピソードをフォーカスしていることが多く、その時は良くない影響が出てしまったとしても、 人生を歩んで行く中で実はあの影響が今はとても良い経験だった良くも悪くも感謝しているなんてことも自分を含め人生の終末期の方々からも見聞きした経験もあります。人生を終えた後、故人の家族が整理の際、感謝することもあり、 どういう匙加減が正解かは人が人生を終えても永久の謎ではないかと思います。
お礼
>人助けすることで実は自分が助けられている しばしばあります。自他を知るとても勉強になる経験です。 >相手が助けを求めてきたことに対し、客観的に考察して >分別をつけ対処するのが適当なのかなとも思います。 本来そうあるべきなんでしょうね・・。 あまりに丸投げ全放置に近い新規さんが訳が分からなくなる環境だと 私は余計なお節介を焼いてしまう様です。 面白おかしく話をして一緒に楽しい時間を数時間作る事は それなりに得意なので合間合間に教えたり案内したりと お互い良好な関係は築けていますが、 あまり楽しい時間を一緒に過ごすと、後は退屈なのかなぁと。 あの頃は楽しかったという過去の思い出の方が輝く沙汰になると ちょっとそれはそれで悲しいのではないかとも。 >どういう匙加減が正解かは人が人生を終えても永久の謎ではないかと ぁー・・・そうかもですよねぇ。 私自身も色々な人と話し世話をしてもらった経験から ある種の恩返しとしてやっていた事でもあるんですが、 私がやってる事も色々な想像を超える影響を与えるのでしょうし、 評価はしきれないのかもしれません。 でも誰かの心に小さくでも温かな気持ちを灯らせられていたなら、 どこかで誰かの笑顔の支えになる事もあるのかもしれません。 うーん。永久の謎なのでしょうね。 ありがとうございます。
- bardfish
- ベストアンサー率28% (5029/17766)
相手の状況や事情を無視して施したものは「余計なお世話」。 自分の価値観を押し付けるように良かれと思って施したものは「自己満足」。 相手の話を聞くだけでも手助けになるということは多々あります。 多くの人は、話を聞くだけのつもりでも相手の話を遮って自分の考えを述べてしまうので逆効果になることが多い。 相手にしてみれば、自分の話を遮って持論を展開する人は「ウザい人」となり、嫌われないにしても近寄りたくない人となってしまうでしょう。 「好き」の反対は「嫌い」ではなく「無関心」ですらね。 たせから、誰かの手助けをしたいと思うのなら、まずは話を聞き、相手の反応に合わせて適切な対応を取る。 人生経験がなさすぎたり、詰め込んだだけの知識で俺は凄いんだぞという自己満足に浸っているだけの人には到底できない芸当です。 本当にすごい人というのは、得難い知識を持っているだけでなくその知識を活用する方法を知っているということで決してひけらかすことはしません。 逆に、知識や力を自慢する人は器の小さい小人(しょうじん)で、どうでもいいことで大げさに一喜一憂する姑息で器の小さい愚かしい人。 小人は自分より優れたものを妬み、自分より劣ったものを笑う。 器の小さなセコくて恥知らずの小人物(小人物)もしくは小者のこと。 ※この考え方は中国のものです。 ※まるでどこかの国の人のようだとは決して口にできませんけどねwwww
お礼
私は基本的に相手とちゃんと話して 相手がやりたい事に関する助言だけに絞って話して 相手に余裕があれば役立つかもしれない情報も雑談的に教えて 一緒に話して一緒に楽しむスタンスでした。 毎度良好な関係を築けていましたが、 これは逆に独りをつまらなくさせてそうだなとも感じていました。 限られた時間と機会で伝えられる事には限りがあって いつもあれを言えなかったこれはこう言った方が良かったかもと 反省したりしていましたが、うーん。 >器の小さい小人 小さい頃から、何事も決めつけずに穏やかに話を聞いてくれる人が 周囲に居るとその子もそういう人の鏡に育ちやすく、 小さい頃から、ばかにしたり決めつけたりする人が 周囲に居るとその子もそういう人の鏡に育ちやすいんですよね。 色々な人との出会いで結構変りもしますが根っこの気性は中々。 嫌われ者に育ってしまう人が減ると もっと皆仲良くできるのかもしれませんが、 それはそれで無個性でつまらない世の中になるのかなぁとも。 ご回答ありがとうございます。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
「良かれ、と思ってしたことが裏目に出て」とはよく聞きますし、「有難迷惑」という成語もあるので、相手のためは -100%から+100%までありそうです。
お礼
人は絶えず経験し変化し続けてしまうので自分の影響がどれほどか 評価し把握する事すら難しいですが、 マイナスな影響は残したくないものです。ご回答ありがとうございます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >ただ、聴く、という態度で止めるのが最善です。 >わかりやすくまとめて分解して、構造的に理解してもらおうと努力 >理由と証拠をみつけてはなそうと 言われてみると私も技術的な事に悩んでいた時に 幾度も相談しようとして整理して自己解決を繰り返していました。 ただ真面目に話を聞いてくれる人がいる。 たったそれだけが人を大きく育てる事があるんですね。 特別優秀な人が身近に居なくても 子供や人材がどんどん自分で成長して行ける人に育っていく。 そんな構図が世の中のあちこちにありますが、 その背景にはそうしたものが有った訳ですね。 しかし聴くという所で止める事はそれはそれで簡単な事ではないですね。 相手の話に真面目に耳を傾ける事はできますが、 つい世話を焼きたくなってしまう。 しかしそれが相手の為になる訳でもない。 相手がこの先も自分の力で生きて行く。その為になるのは 相手が自分で解決し自分で成長できる人になって行く事。 本当に相手の事を想うのならば、様子を見ながら 時に一緒に考え気付きや発見の糧になれる様にしつつも 相手を信じ見守る、精神的な強さが問われるんでしょうね。 これは子育てと同じなんでしょうね。 知らない事を知らない という状況だと こういうものもあるよ とおぼろげに教えておいたり、 調べても簡単には解らない事を少し掘り下げて案内したり。 また正解の無い匙加減の難しい別の問題もある気がしますが、 人の能力と精神を健全に自立させ成長させるには 世話を焼き過ぎない自制が大事という事ですね。 私も色々な人に助けられ今があります。 これからも小さく輪に参加し続けて行こうと思います。 色々教えて下さってありがとうございます。