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何かが犠牲になる世界
- この世界では、何かが犠牲にならなければ何かが起きないという法則が働いています。
- 生物は何かを食べることで生きていくため、食事は犠牲が必要な行為です。
- また、科学の発展や人間の生活の向上には、マウス実験などの犠牲が必要な場合もあります。
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今の この世界って、必ず何かが犠牲になるようにできていますよね ↑ 今じゃなくて、昔からですけどね。 得るモノがあれば、必ず失うモノがある。 例えば文字です。 文字を発明したので、記憶力が退化した、と言われています。 無文字時代では、情報や知識の伝達は、覚えやすいように 詩や、唄、物語にして伝えました。 そういう感性は現代からは失われました。 科学技術が発達して、環境が汚染され、人間は 軟弱になりました。 どうしてこの世界では犠牲が生まれるのでしょうか? 「何も犠牲にならない」なんてものは夢物語ですか? ↑ 私見ですが、エネルギー保存則が作用しているから と考えています。 エネルギーが一定なら、何かを得れば何かが無くなる、という のは当然だからです。
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- BluesHeart
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植物は光合成だけで生きていけます。 (受粉とかで虫を必要としているのは「虫が発生してからの適応」ですから、まぜっかえさないでくださいね) 動物はもともと植物を利用して生きています。 そして、その動物を利用している動物もいます。 鹿(カモシカ)の子どもがオオカミやライオンに食べられているのは必要であることはお分かりですか? これは犠牲とは少し違います。 また、交換条件も犠牲とは違います。 牛が草を食べるために牧場の中を歩く労力も「犠牲」の範疇にいれるのであれば別ですが、自分自身が何かを得るための行為は犠牲ではないように思います。 単なる「必要経費(条件)」です。 厳密に定義すると 『自発的意思で、利他的な目的で、何かを提供する行為』 ではないでしょうか? 動物である以上、食べ物を探さなくてはならない。(もちろん、この延長線上に農耕や漁労などが入ります)←これは犠牲ではないでしょう。 完全に自給自足しているのでなければ、交換するために何かを提供する。(この延長線上に労働や製作が入ります)←これも犠牲とは違います。 これらの能力がない幼児期にはすべてが得られて、自分はなにも提供する必要がないですね。(提供する能力がない、ともいえます。ですから障碍者などで「提供する能力」が乏しい人は福祉の対象となっています) さて、こういう言葉があります。 「幸せとはなにかを得ることによってもたらされるというのは幻想である。幸せとは、深く感ずる、自由に考える、単純に楽しむ、人から求められる、命をかける、というような能力の上になりたっている」 まぁ最後の2項を見ると「犠牲」とは幸せを得ることのできる一握りの人がもっている「能力」ということもできます。 そうでなければ、あなたがすべての犠牲を引き受けて、他の人々が犠牲になる代わりになる、という方向性もあり得ます。 如何でしょうか? 追伸:とりとめがなくてすみません。普段、あまり「犠牲」について考えることもなかってので、考えるきっかけをいただいて感謝です。
お礼
回答ありがとうございます。 必ずしも全てのことが犠牲よって成り立っている、という訳ではないのですね。 『犠牲』の定義にもよるのかも知れませんが、考えようによっては一見犠牲に見えることでも犠牲じゃないのかも知れませんね。 >普段、あまり「犠牲」について考えることもなかってので、考えるきっかけをいただいて感謝です 僕にとっても新しい考え方でした。 こちらこそ回答していただけて感謝です。 (^人^)
この世界と言うか、他に世界は無いじゃないですか。 創作物なら異世界とかありますけど、現実では 数十億年前から決まってる世界です。 貴方の悩みをなくすのは、貴方が気にしないようにするしか 解決しません。
お礼
回答ありがとうございます。 普通は深く考えるようなことではないですよね、、(^_^;) 「犠牲が存在するのは当たり前」って思うことができればいいんでしょうけど、中々難しそうです。
- satoklew
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犠牲=命って考えなら、たしかに人類の命を守るために他の命(マウス実験)を犠牲にしていると感じます。 でもその犠牲がなかったらより多くの犠牲が伴ってしまうと言う考えもあると思います。 人類は生き延びるために文明を発達させ、人類自らも犠牲を作っているのでしょうね。
お礼
回答ありがとうございます。 >その犠牲がなかったらより多くの犠牲が伴ってしまうと言う考えもあると思います 大きな犠牲を防ぐために小さな犠牲を払っている、ということですね。 そうなると、どの道 犠牲は避けられないということでしょうか、、 変な質問ですが、犠牲が存在するのは『犠牲を出さざるを得ない世界(世の中)』に原因があるのか、『犠牲を出さないと生き延びれない生物(人間も含む)』に原因があるのか、あるいは他の何かに原因があるのか、どう思いますか?
淘汰が存在する以上仕方ないことです。 この世は弱肉強食の世界ですから…全ての物は他者を犠牲にして生き延びてるのです。 これは自然の摂理ですから人とて例外ではないですが、文明という楽園を築いてしまったので現実として感じにくくなってるだけです。 生物の一番の目的は「生き残る」事ですから…。
お礼
回答ありがとうございます。 この世界が何かを犠牲にしないと生き残れない世界である以上、犠牲が出るのは仕方がない、ということですね。 そもそも、どうして(何が原因で)この世界は何かを犠牲にしないといけないようにできているのでしょうか、、? 当たり前のことに「どうして」なんて突っ込むのは野暮なのかも知れませんが、それでも、どうしてなんだろうって思ってしまいます。 考えても答えなんて出ないことなのかも知れませんが、ppccrcvさんはこのことについてどう考えますか?
- eroero4649
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>「何も犠牲にならない」なんてものは夢物語ですか? それって食事に例えると、メシは食いたいが金は払わずに済む方法ってことではないですか。 何かを手に入れたいと思うなら、それに見合う代償を払うのは当然のことだと思いますよ。質問者さんは自分の何も犠牲にしないで愛を手に入れたいのかい?
お礼
回答ありがとうございます。 >それって食事に例えると、メシは食いたいが金は払わずに済む方法ってことではないですか これは少し誤解です。 僕が言いたかったのは、例えば生物の食事(エネルギー補給)なら、他の生物の命を奪わなくてもエネルギーを得ることはできないのかなってことです。 マウス実験にしても同じです。 実験によってたくさん得られるものはあるんでしょうけど、「本当にそれは他の命を犠牲にしないとできないことなのかな?」と思ってしまいます。 “犠牲”というと少し抽象的な表現で分かりにくいかも知れませんが、要は、「何かのために何かが辛い思いや可哀想な思いをしなければいけないのはどうなのかな?何も傷つかないようにはできないのかな?」ということを言いたかったんです。
お礼
回答ありがとうございます。 >エネルギー保存則が作用しているからと考えています なるほど。 例えば世界のエネルギーを10として、それを100の生物で分けるとなると、エネルギーが足りなくなる(奪われる)生物が出てくるのは必然的、ということですね。 そもそも世界に存在するエネルギーが、エネルギーを必要とする生物に対して足りていないことが、世界で犠牲が生まれる原因ということでしょうか。